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『チャイナ・カシミア』(川上亜紀) [読書(小説・詩)]

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 彼女の文章がまた『群像』に載ることを、私は長年のぞんでいた。引用でもいいから載せようと思ったのだ。それで新年号に引用した。
 しかし雲の上に? それだって最初、外国留学にでもと思ったほどだった。
 だって、「北ホテル」の、桃の味の飴はまだ雲の上にある。仙人の不老不死の果汁の飴、詩と小説を交錯させる空に。
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単行本p.165


 昨年亡くなった川上亜紀さんの作品集です。単行本(七月堂)出版は2019年1月。短編小説四篇に加えて、笙野頼子さんによる解説が収録されています。なお、この解説については昨日の日記で紹介しています。

  2019年02月05日の日記
  『知らなかった (川上亜紀『チャイナ・カシミア』解説)』(笙野頼子)
  https://babahide.blog.so-net.ne.jp/2019-02-05



[収録作品]

『チャイナ・カシミア』
『北ホテル』
『靴下編み師とメリヤスの旅』
『灰色猫のよけいなお喋り 二〇十七年夏』


『チャイナ・カシミア』
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 私はまたオカアサン、と叫んでしまい、メヘヘヘンという鳴き声が響いた。灰色猫はサッカーボールを電話台の下に追いこんでから、椅子の上で丸くなった。背中の毛並みが鰺のゼイゴのように段々に割れている。たちまち夜になったことに私は気がついて、窓のカーテンを引きはじめた。重みのあるカーテンで幕を閉じてしまえばこの日が終わって、またこういうことは続いていくのだろうが、続いていく限りは生きていられるので、それもまた悪くはないことだ。
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単行本p.30


 温かいカシミアのセーター。だがその原毛をうむカシミアは劣悪な環境で生かされている。山羊になってメヘヘヘヘンと鳴いてしまった語り手は、家族のもとで、灰色猫とともに、搾取され囲い込まれ毛をかられる生活を続ける。生きていられるのだから仕方がない。だが夢の中では、山羊も灰色猫も、したたかに増殖してゆくのだった。

 冷酷な世界経済システムに取り込まれている生活実態を、冷徹な視線とほわほわした幻想を通じて見つめる短編。


『北ホテル』
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 誰かが廊下を曲がってやってくる気配に友子は思わず顔をあげたのだが、薄暗い廊下を急ぎ足で《佐々木》がこちらに向かって近づいてきたので、なぜこの場所ではこんなふうに予想したとおりのことが起きるのかわからないが、こうした事態を解決するためにはどちらかがいなくなるべきだという考えは間違っていると思った。
「こうした事態を解決するためには、このホテルの運河とは反対側の非常階段の表示がある扉の前の古い椅子に座って、モスコーミュールで乾杯するのがいちばんいいのよ」
 友子は黙ってグラスを受け取り、目の前で軽く持ち上げてみた。
 櫛型のレモンと同じ形の月が夜空に上がっていき、扉の向こうには昨夜の花火がもういちど金色の細かい雨のようにスローモーションで拡がっていき、その映像が繰り返し交錯したあとで、一瞬の海の情景が現れた。潮の匂いがする風が吹いていた。北ホテルは一艘の客船となって航海に出ていくところだった。
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単行本p.75


 小樽に旅行にいった佐々木友子の人生は、旅先のホテルで佐々木と友子に別れてしまう。ダッフルコートが叫びながら空を飛び、詩の断片が生まれては消えてゆく。詩と小説の境界を軽々と飛び越え雲の上に向かう作品。


『靴下編み師とメリヤスの旅』
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「ええ、そうかもしれません。もしよかったら、水色の毛糸で靴下を編んであげましょうか? わたしにとっていまは靴下を編む時期みたいなんです。よい靴下編み師になれるとは限らないですけどね」
 私は適度に冗談めかして半ばはまじめにそう言ってみた。
(中略)
 こんなふうに小さなパン屋の片隅で、黙々とした編み物の世界からとつぜん顔をあげるとまもなく、私は見知らぬ年上の女性の靴下を編むことになったのだった。
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単行本p.106、109


 難病を抱え、母と二人きりで暮らしている語り手。楽ではない、希望の薄い生活。パン屋の片隅で出会った年上の女性との会話の流れで、ふと、靴下を編んであげましょうか、と申し出てしまう。始めて他人のために、というか「仕事として」編んだ靴下。それは、語り手が予想もしなかった運命をたどることに。自分の生活と遠い異国とがかすかにつながったような気配。

 小さな日常と大きな世界、その狭間に浮かび上がってくるささやかな希望と諦念を、静かな筆致で、丁寧に、丁寧にえがいた作品。


『灰色猫のよけいなお喋り 二〇十七年夏』
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 こんどの自分の治療が終わったらやりたいことっていうのを飼い主はノートにわざわざ書き出していたからこのあいだちょっと覗いてみたら「ピンクのシャツを着たい」とか「阿佐ヶ谷カフェめぐり」とかそんなどうでもいいことばっかり。ボクは偉大な詩人や作家の猫として後世に語り継がれることはまるでなさそうだから、今のうちに自分で語っておくことにしたの。人生は一〇〇年、猫生は二〇年の時代。飼い主は「阿佐ヶ谷の黒猫茶房のマスターが飼っていた黒猫さんは二〇歳までとても元気だったそうだよ」なんてボクに言うけど、飼い主にももう少し頑張ってもらわなくちゃ。だってボクのカリカリと缶詰めを買いに行くのは飼い主の仕事なんだから。ほらガンバレ飼い主、ゴハンは寝て待つ! ピンクのシャツでも何でも好きにすればいいのよまだ若いんだしね。
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単行本p.145


 ほらガンバレ飼い主、ゴハンは寝て待つ!
 作者の飼い猫が大いに語る、来歴、日々の生活、そして命。

 おそらく川上亜紀さんの最後の作品。死を前にして、最後まで「奇妙な事に(良い感じで、淡々と)どこか他人事のよう」(解説より)に語って去っていった川上亜紀さんのことを思うと、今も涙が止まらないのです。



タグ:川上亜紀
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