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『かわいいねこの絵巻物 画猫・夢唐』(瓜几拉、藤原由希:翻訳) [読書(小説・詩)]

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 半年あまりの間に、「唐朝猫」シリーズのイラストを五十数枚も描いた。絵を見る限りふざけているように見えるかもしれないが、実際には山のような史料や絵画を調べ、唐朝の社会をできる限りリアルに再現するように努めた。
(中略)
 イラストの構図に関しては、『宮女図』『虢国夫人游春図』『搗練図』『吹簫仕女図』などの唐代の壁画や絹絵を参考にした。残念なのは、これらの絵画に描かれているのが中産階級以上の生活に限られることだ。貧しい庶民の暮らしについては、後年の歴史資料を参考にするしかなかった。だからイラストには多少の間違いや不満があるとおもうけれど、歴史考証の専門家の皆様はどうか大目に見てください!
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単行本p.127


 華やかな宮廷文化から、庶民の風俗まで。歌舞、音楽、騎馬や蹴鞠などのスポーツ、囲碁や投壺などのゲーム、怪談や酒宴。中国唐代の文化風俗を描いた「原作」のテイストを活かしつつ、現代の漫画家が巧みに擬猫化したかわいいイラスト集。単行本(KADOKAWA)出版は2018年2月です。

 唐代絵画の雰囲気を再現しつつ、登場人物をすべて擬猫化したイラスト集です。猫の絵は写実的ではなく、表情や漫符の使い方など明らかに漫画テイスト。その現代感覚と唐代文化の共存から、不思議なリアリティが漂ってきます。

 日本版の出版元プレスリリースに、何枚かサンプルが収録されています。

  角川書店のプレスリリース(2018年02月22日付け)
  http://shoten.kadokawa.co.jp/company/release/detail.html?id=2018204206



タグ:絵本
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『水牛の余波』(小池正博) [読書(小説・詩)]

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 単独の句集として、本書をもって私の第一句集としたい。
 川柳を作っていることに迷いはないが、「川柳とは何か」についてはますます迷いが深くなっていく。言葉を蕩尽する文芸、無名性の文芸である川柳の、その末端に連なることができれば嬉しい。
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 「言葉を蕩尽する文芸」、川柳。その蕩尽っぷりに目を見張る第一句集。単行本(邑書林)出版は、2011年3月です。


 小池正博さんの第二句集が面白かったので、前作も読んでみました。ちなみに第二句集の紹介はこちら。


  2017年02月01日の日記
  『転校生は蟻まみれ』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2017-02-01


 言葉と言葉の異質な組み合わせから生ずる、何ともいえない不思議なおかしさ。第一句集もその感じにあふれていて素敵です。

 まず、動植物名の響きが妙におかしい作品。


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逆引きのいさかい順接のトナカイ
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軽鴨を見て乱心がはじまった
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朝顔の蔓が大河を越えてゆく
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練乳の沼から上がるヌートリア
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声紋が同じ動物ビスケット
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丸顔の恐竜だから狙われる
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二百には二百足りない揚雲雀
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カモメ笑ってもっともっと鴎外
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一斉に場外からは鹿の笑み
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 そして、言葉のリズムで煙にまくような作品。


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評定の途中で鼻が増えてゆく
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空調機から降りてくる見知らぬおばさん
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鏡台の後ろあたりで増えている
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廃線の枕木たちのアルタイ語
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風の辻曲がりきれずにまあいいか
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第五惑星こんなにあった仲介者
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雷鳴が来る春巻きを注文する
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高僧が雲に乗ったと広報課
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『問題だらけの女性たち』(ジャッキー・フレミング、松田青子:翻訳) [読書(小説・詩)]

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かつて世界には女性が存在していませんでした。
だから歴史の授業で
女性の偉人について習わないのです。
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 女性の脳は男性より小さい。女性が学問をすると胸が小さくなる。女性は家庭に閉じ込めておかなければならない。女性の功績は無視されなければならない。これらの事実により女性が男性より劣っていることは明白である。19世紀英国ヴィクトリア朝における女性観を辛辣な皮肉をこめて描き、実のところ今も大して変わらない女性蔑視を痛烈に笑い飛ばす絵本。単行本(河出書房新社)出版は2018年3月、Kindle版配信は2018年4月です。


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当時の女性は精神薄弱だったので、
教育を必要としませんでした。
女性の脳は小さいだけでなく、柔らかい、
スポンジのような軽い素材でできていました。
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女性は夜はよく目が見えなかったので、
外出は許されていませんでした。
また、どこに連れていくにも感情的すぎたので、
たいてい家の中でしくしく泣いていました。
時にはヒステリックに。
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女性だけが堕落することができました。
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女性による芸術は時として
うっかり評価されてしまうことがありましたが、
その間違いは歴史のゴミ箱に捨てることで
簡単に修正することができました。
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 19世紀、あまりにも理不尽な女性差別がまかり通っていた時代。歴史に名を残す偉人たち(もちろん男だけ)が残した言葉もこんな感じです。


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ジャン=ジャック・ルソーによると、
娘たちには人生の初期に
挫折させてやる必要があるそうです。
そうすれば、男性を喜ばせるという女性の自然な
役割がより自然にできるようになるからです。
ルソーは自分の子どもたちを孤児院にいれ、
挫折させてやりました。
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こちらはラスキンのお言葉です。
「女性の知能は発明や創造には向いていない。
男性を讃えるのが天職だ」
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ピカソによると、女性の存在価値は
苦しむことだそうです。針仕事や
拍手することよりは斬新なアイデアですかね。
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ヘンリー・モーズリーは医学を学ぶと
胸がしぼみかねないと女性に警告しました。
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エドワード・クラーク博士によると、
若い娘が熱心に学んで成功することは
どの分野でも可能であるが、その後の人生において
健康を損なうことになり、
産まれてくる子どもたちはしなびているだろう、
とのことです。
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 しかし、何といっても本書に最も数多く登場するのは、進化論を唱えたダーウィンでしょう。本人のみならず、その知人も大活躍です。


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ダーウィンによると、
著名な男性と著名な女性のリストを比べてみれば、
男性がすべてにおいて優れていることは
明白だそうです。
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ダーウィンのいとこをはじめとする天才たちは、
なぜ男性だけが天才なのだろうと
興味をかき立てられました。
理由がさっぱりわかりませんでした。
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ダーウィンによると、
女性を家の中に閉じ込めておけば
男性のように結果を残すことができないので、
女性が生物学的に男性より劣るのも必然、
だそうです。
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ダーウィンの協力者であるロマネスはこう言いました。
「我々が男性的な精神と呼ぶ、
逆境をものともしない強靱な持続力や信念を
持った女性はほとんどいない」
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ダーウィンの友人であり
同僚のジョージ・ロマネスによると、
女性は脳の大きさが5オンス分小さく、
知的に劣る存在ではあるが、
カーテンやクッションをつくること、
がっかりすることにかけては秀でているそうです。
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 著者はダーウィンが特に嫌いだという気持ちがよく伝わってきます。

 というわけで、今日の感覚ではにわかには信じがたいのですが、本当に19世紀にはこういう女性差別が常識だったのです。21世紀の今、そういう偏見は払拭され男女平等が達成されたかと言うと、あー、正直、本質的なところはあんまり変わってないかも知れません。笑うより前に、ページに込められている憤りや怒りに強く共感することになるでしょう。この絵本を読んで屈託なく笑える時代が、早くやって来ますように。



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『J・G・バラード短編全集4 下り坂カーレースにみたてたジョン・フィッツジェラルド・ケネディ暗殺事件』(J.G.バラード、柳下毅一郎:監修、浅倉久志他:翻訳) [読書(SF)]

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バラードの書いた文字列を追っているうち、私の脳裏には、刻々と姿形を変える得体の知れない視覚の産物が突如としてよぎっては砂のように消えていく。そして、生み出されたそれらのイメージのあまりの奇矯さに、いつのまにかすっかり夢中になってしまっている自分に気づくのだ。だからといって物語の筋までもが消えてしまうことはないけれども、時にはそれを追いかけるのが億劫になってしまうくらい、バラードの小説の細部に宿るこうした視覚喚起力は強烈だ。
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単行本p.409


 ニュー・ウェーブ運動を牽引し、SF界に革命を起こした鬼才、J.G.バラードの全短編を執筆順に収録する全5巻の全集、その第4巻。単行本(東京創元社)出版は2017年9月です。


 第1巻から第3巻の紹介はこちら。


  2018年01月11日の日記
  『J・G・バラード短編全集3 終着の浜辺』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2018-01-11

  2017年10月12日の日記
  『J・G・バラード短編全集2 歌う彫刻』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2017-10-12

  2017年05月16日の日記
  『J・G・バラード短編全集1 時の声』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2017-05-16


 第4巻には、60年代後半から70年代中頃(1966年から1977年まで)に発表された21編が収録されています。


[収録作品]

『下り坂カーレースにみたてたジョン・フィッツジェラルド・ケネディ暗殺事件』
『希望の海、復讐の帆』
『認識』
『コーラルDの雲の彫刻師』
『どうしてわたしはロナルド・レーガンをファックしたいのか』
『死亡した宇宙飛行士』
『通信衛星の天使たち』
『殺戮の台地』
『死ぬべき時と場所』
『風にさよならをいおう』
『地上最大のTVショウ』
『ウェーク島へ飛ぶわが夢』
『航空機事故』
『低空飛行機』
『神の生と死』
『ある神経衰弱にむけた覚え書』
『六十分間のズーム』
『微笑』
『最終都市』
『死者の刻』
『集中ケアユニット』


『希望の海、復讐の帆』
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 二時間たらずでわたしたちはリザード・キイに着いた。わたしがそれからの三週間を送ることになったこの島は、さながら宙に浮かぶように熱波のうねりの中から高く盛りあがり、テラスと張出しのある別荘が、もやの中にかろうじて見分けられた。三方を砂礁脈の高い尖塔にとりかこまれて、別荘と島とはある無機的な幻想のように砂漠から現われ出ていた。別荘へ向かう通路のそばにそそり立った岩の螺旋塔は糸杉の並木そっくりで、天然の彫刻作品がそれらをとりまくようにして生えていた。
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単行本p.16

 テクノロジーと芸術と倦怠が支配する砂漠のリゾート、ヴァーミリオン・サンズを舞台としたシリーズの一篇。砂漠に棲む砂エイのせいで怪我をした語り手は、謎めいた美女に助けられ、彼女が世捨て人のようにひっそりと隠れ住んでいる家に運び込まれる。モデルの姿を反映して有機的に変化し続ける能動肖像画に、少しずつ立ち現れてゆく真実とは。


『コーラルDの雲の彫刻師』
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 わたしたちが手がけた雲の彫刻の中でとりわけ異様なそれは、レオノーラ・シャネルの肖像である。いまにして思うと、去年の夏のあの昼下がり、白いリムジンに乗った彼女がコーラルDの雲の彫刻師たちをはじめて見物にきた当時には、この美しい、だが、狂気をはらんだ女性が、うららかな空にうかぶ彫刻をどれほど真剣にうけとめているかを、まだわたしたちはほとんど認識していなかったのだ。それからほどなく、竜巻の中に彫りあげられた肖像は、その彫刻師たちの骸の上に雷雨の涙をふらすことになったのである。
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単行本p.49

 テクノロジーと芸術と倦怠が支配する砂漠のリゾート、ヴァーミリオン・サンズを舞台としたシリーズの一篇。巨大な雲の周囲をグライダーで飛び回りながら、薬品を雲に吹きつける雲の彫刻師たち。薬品がふれた部分は水蒸気が凝結して雨となって地上に降り注ぎ、雲はその部分だけ「切り取られ」て、ごく短時間しか存在できない巨大な彫刻作品へと変わるのだ。コーラルDの周辺で活動していた雲の彫刻師グループが、謎めいた美女にパーティでの余興としての雲彫刻を依頼される。だがパーティ会場には、渦巻く愛憎の象徴のような嵐と竜巻、そして悲劇が訪れる。


『死亡した宇宙飛行士』
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 一ダースの宇宙飛行士が軌道上の事故で死亡し、カプセルは新しい星座を作る星のように夜空を経巡っていた。最初のうち、ジュディスはほとんど無関心だった。その後、流産してから、頭上を経巡る死亡した宇宙飛行士の姿が、時間へのオブセッションとともにジュディスの心に再登場した。何時間も、何かが起きるのを待っているかのように、ジュディスは寝室の時計をじっと眺めていた。
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単行本p.81

 事故で回収不能となり、死亡した宇宙飛行士を乗せたまま軌道上をめぐり続ける有人宇宙カプセルたち。ときおり誘導ビーコンに引き寄せられて、すでに廃墟となって久しいロケット発射場を目指して落下してくる。宇宙飛行士だった恋人の「帰還」を、ロケット発射場で待ち続ける女と男。見捨てられた宇宙時代の遺物が、時をこえて彼らにもたらすものとは。


『ウェーク島へ飛ぶわが夢』
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 磨滅した砂とコンクリートの組み合わせ、滑走路の傍で錆びていく金属の無線小舎、そんな人造風景総体の心理的還元が、彼の心をあいまいだが強力に捉えたのだった。不毛にも洋上に孤立していながら、ウェーク島はメルヴィルの意識の中で、やがて強烈な可能性の圏域となっていった。彼は太平洋を島づたいに軽飛行機でウェーク島まで飛ぶ白昼夢をみた。
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単行本p.169

 墜落して砂に埋もれた軍用機を掘り出し続ける男。決して飛び立つはずのない残骸を掘り出しながら、彼はひたすらウェーク島へ飛ぶ夢を見ていた。そんな男の前に、夢をかなえる現実的な手段が現れるのだが……。


『低空飛行機』
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 四十年前はこれとは対照的に、世界人口の著しい落ち込み、出生率の明らかな暴落、さらにもっと不穏なことには、奇形の胎児の大増加が万人に知れ渡ると、不安の病が蔓延して収拾がつかない有様だった。(中略)その反面、当初こそパニックがあったものの、本物の絶望はついぞみられなかった。三十年間、人々はシーズンの終わりにテントを解体して動物を殺すサーカス勤めの一団よろしく、さばさばと割り切ってわが子を抹殺し、西半球を店仕舞してきたのだった。
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単行本p.205、206

 重度の奇形児しか生まれなくなった近未来。パニックが過ぎ去った後に残されたわずかな人々は、それぞれに静かな終末風景の中を生きている。正常児を産むという希望にかけた女性とその夫は、ほぼ無人となったリゾート地にたどり着く。そこで出会った、野外で低空飛行を繰り返す医師。なぜ彼はそんな無意味に見える行動を繰り返しているのだろうか。


『死者の刻』
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 道路からそれて、サトウキビ畑のあいだの小道を進みはじめると、みんながそろったという奇妙な慰めをおぼえた。“家族”といるという安心感めいたものが生まれたのだ。同時に彼らと縁を切りたいという衝動はまだ残っており、機会があれば――通りがかった国民党軍の車輛に便乗させてもらえるかもしれない――最初の機会で彼らを置き去りにしただろう。しかし、からっぽの風景のなかで、彼らはすくなくとも安心の要素をもたらしてくれた。とりわけ敵意のある日本軍パトロールと出くわした場合に。おまけに彼らに対する忠誠心が、そして彼ら――死者――が、わたしを見捨てた生者よりも生きているという感覚がはじめて芽生えていた。
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単行本p.362

 太平洋戦争の集結直後。大陸における日本軍の捕虜収容所に収容されていた青年が、多数の遺体を墓地まで輸送するよう命じられる。途中で遺体を廃棄してそのまま逃走する予定だった青年だが、次第に死者だけが自分の仲間だという感覚にとらわれてゆく。自身の体験を元に書かれた、後の長編『太陽の帝国』の原型となる作品。



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『てつぞうはね』(ミロコマチコ) [読書(小説・詩)]

――
てつぞうはね
わたしの ねこ

しろくて ふかふかの ねこ
すわると おにぎり みたい
すっごく でっかい おにぎり
――


 独特のタッチと色彩で描く動物画や植物画で多くの人々を魅了する画家、ミロコマチコさんが愛猫の思い出を描いた絵本。単行本(ブロンズ新社)出版は2013年9月です。

 飼い猫の「てつぞう」が紹介されます。エッセイ集でも愛情ほとばしる文章で描写されていた、あの鉄三です。


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 こうやっていざ、文章に書こうと思っても愛おしい。毎日、愛でる。胸が高鳴る。
(中略)
 飼い主の私であっても、突如噛まれたりひっかかれたりすることは日常茶飯事だ。毎朝顔を叩かれたり足の指を噛まれたりして起こされるのだが、かといって、鉄三は抱っこをされるのも撫でられるのも大っ嫌い。だけど、どれだけ攻撃されても私は懲りずに抱っこしてグリグリ顔を押し付ける。私の腕は傷だらけだが、最高に幸せだ。
――――
『ホロホロチョウのよる』文庫版p.69、72


――――
とれたことのない とりを まいにち ねらう
ほんものの ねずみを みたことない
めを ダイヤにして いぬと たたかう

わたしが おどりくるうのを くろめで みている
うたを うたうと ひっくりかえる
あしたも ぜったい とりを ねらう
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『ホロホロチョウのよる』文庫版p.80


 ちなみに、『ホロホロチョウのよる』の紹介はこちら。


  2018年02月08日の日記
  『ホロホロチョウのよる』(ミロコマチコ)
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2018-02-08


 あの鉄三が絵本に。子どもが勢いよく描いたような活き活きとしたタッチ、心踊る色彩、どこ見てるんだか分からない「てつぞう」の絶妙な表情。読者に「てつぞう」を一所懸命に紹介してくれます。


――
てつぞうはね
だれもが おそれる あばれねこ

 めをひんむいて いかりくるうよ
にんげんも ねこも だいっキライ
だれとも なかよくなんて しない

でも わたしのことだけは だいすき
グルグル スリスリ あまえてくるよ
――


――
なつの てつぞうはね
ひんやりする せんめんだいで ねるよ

わたしは かおも あらえないし
はみがきも できないよ
――


――
ふゆの てつぞうはね
おふろの マットで ねるよ
おふろの あったかい くうきが すきだから

わたしが おふろから あがっても しらんふり
だから わたしは
てつぞうで あしを ふくんだ
――


 転換点を経て、読者にではなく「てつぞう、」「てつぞう、」という呼びかけから始まるようになるところで、何度でも泣けるのです。泣ける。



タグ:絵本
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