『再演譚 vol.1 『病める舞姫』『春の祭典』』(黒田育世、BATIK) [ダンス]
2022年3月12日は、夫婦でKAAT 神奈川芸術劇場に行って黒田育世さんのダブルビル公演を鑑賞しました。
[キャスト他]
『病める舞姫』
振付・演出: 黒田育世
出演: 鈴木ユキオ
『春の祭典』
振付・演出: 黒田育世
出演: 加賀谷香
BATIK 大江麻美子、大熊聡美(3/10,12のみ)、岡田玲奈、片山夏波(3/10,12のみ)、熊谷理沙、相良知邑(3/11,13のみ)、武田晶帆、政岡由衣子、三田真央(3/11,13のみ)
『病める舞姫』は、2018年に初演された黒田育世さんのソロ作品で、今回は鈴木ユキオさんが踊ります。まったく異なる身体が踊っているのに、這ったり、床を叩いて無言の絶叫をあげたりするシーンなど、やはり黒田育世さんらしさがほとばしります。同じシーンが繰り返されることもあって、見ている方も時間感覚や記憶が歪んでゆくのが恐い。
『春の祭典』は、2014年に初演された『落ち合っている』の一部を再構成して独立させた作品。参考までに初演時の日記にリンクをはっておきます。
2014年09月08日の日記
『落ち合っている』
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2014-09-08
ボロボロになったソファが赤い照明に照らされて置いてあり、床にはチョークで書いたような何かの輪郭。おそらく手形だと思うのですが、第一印象はどうしても猟奇的な殺人事件現場。そこから母の凄絶な苦悶と絶叫が始まり、やがて殺された赤子たちが登場して……。『SHOKU』や『ペンダントイヴ』など初期作の衝撃が甦るすごい舞台です。使われている音源がライブ録音で最後に拍手が入っているのですが、それもラストの演出に利用されており、全身に鳥肌がたちます。観るのに勇気と覚悟を必要とする作品ですが、その圧倒的な黒田育世っぷりに圧倒されました。悪夢に出てくる。
[キャスト他]
『病める舞姫』
振付・演出: 黒田育世
出演: 鈴木ユキオ
『春の祭典』
振付・演出: 黒田育世
出演: 加賀谷香
BATIK 大江麻美子、大熊聡美(3/10,12のみ)、岡田玲奈、片山夏波(3/10,12のみ)、熊谷理沙、相良知邑(3/11,13のみ)、武田晶帆、政岡由衣子、三田真央(3/11,13のみ)
『病める舞姫』は、2018年に初演された黒田育世さんのソロ作品で、今回は鈴木ユキオさんが踊ります。まったく異なる身体が踊っているのに、這ったり、床を叩いて無言の絶叫をあげたりするシーンなど、やはり黒田育世さんらしさがほとばしります。同じシーンが繰り返されることもあって、見ている方も時間感覚や記憶が歪んでゆくのが恐い。
『春の祭典』は、2014年に初演された『落ち合っている』の一部を再構成して独立させた作品。参考までに初演時の日記にリンクをはっておきます。
2014年09月08日の日記
『落ち合っている』
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2014-09-08
ボロボロになったソファが赤い照明に照らされて置いてあり、床にはチョークで書いたような何かの輪郭。おそらく手形だと思うのですが、第一印象はどうしても猟奇的な殺人事件現場。そこから母の凄絶な苦悶と絶叫が始まり、やがて殺された赤子たちが登場して……。『SHOKU』や『ペンダントイヴ』など初期作の衝撃が甦るすごい舞台です。使われている音源がライブ録音で最後に拍手が入っているのですが、それもラストの演出に利用されており、全身に鳥肌がたちます。観るのに勇気と覚悟を必要とする作品ですが、その圧倒的な黒田育世っぷりに圧倒されました。悪夢に出てくる。
タグ:黒田育世
『旅書簡集 ゆきあってしあさって』(高山羽根子、酉島伝法、倉田タカシ) [読書(小説・詩)]
――――
道中はめちゃくちゃ楽しかった。誰かの最高の冗談が決まったその瞬間みたいなやつが、ずっとつづいた。それでいて意味の感じられない話なんて一つもなかった。運転のできないぼくはまるで旅の役に立たず、シートで身を縮めた。たまに静かになるごとに、高山さんが思いもよらないようなことを話して一同を湧かせた。
あのときみんなでどういうことを喋っていたのか、さすがにはっきりとは思い出せない。思い出せないけど、大切な思い出だ。当時のスマートフォンは壊れ、写真もない。それくらいがちょうどいい気もする。とにかく、そういう季節があったということだ。背水の陣の緊張感と自己に賭ける気持ちとがそれぞれに重なりあった、期せずして訪れた第二の青春が。(中略)
本書は架空旅行記であり、ユーモラスな幻想譚であり、もしかすると、三人が持てる才を全力でぶつけあった青春の記でもある。いまやそれぞれに異なるキャリアを重ねた三者の尖りに尖ったこれらの書簡が、こうも奇跡的に噛みあっているのは、たぶんそういう事情にもよるのではないだろうか。
(「巻末エッセイ」 宮内祐介)
――――
単行本p.268
架空の地を旅する三人が、それぞれの土地からお互いに向けて送った手紙。異なる三つの幻想譚の絡み合いから生まれた、『なつかしく謎めいて』(アーシュラ・K・ル=グウィン)を三次元化したような不思議な長編小説。単行本(東京創元社)出版は2022年1月です。
――――
旅先から旅先へお手紙を送りあうということは本当にうきうきするもので、まるでひとりで三箇所を同時に旅をしているような、お得な気分になっています。申し訳ないながら、本当に提案をしてよかったとも思っています。(中略)思うに、みっつの要素さえあれば、地球上のどこにある地点でも確認できて、その一点を目指すことができるはずなんですよね。この場合ふたつ、つまり往復書簡的な情報の動きではだめで、情報を発信する点がみっつである必要があります。
(高山羽根子)
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単行本p.35、37
――――
われわれは、三次元の住人である以前に、惑星表面という閉じられた二次元の曲面におおむね収まっているのだから、そう、うろうろしていたらきっと落ち合えるはずです。ちょっと気になるのは、三人の居場所が四つめの次元の方向にずれている、つまり、存在する時間が異なるかもしれないということですね。ただ、もしそうだとしても、こうして手紙を送りあうことができているなら、きっとなんとかなるだろうと楽観しています。
(倉田タカシ)
――――
単行本p.55
――――
わたしがなんの計画性もなく旅を続けながらも、倉田さんや高山さんと連絡を取り続けられるのは、元はと言えばシュヴァルが郵便配達中に石に躓いたことと、その石が地面深くまで埋まる四重核みたいな岩だったおかげですね。それがなければシュヴァルは理想宮を造らなかったかもしれませんし、〈愛と驚異のシュヴァル・ツーリスト商会〉も生まれず、どこであろうと旅人の現在地を把握して郵便物を送り届けてくれる驚異的な郵送システムの恩恵を受けることもなかったでしょう。
(酉島伝法)
――――
単行本p.197
――――
三人がどこか一点に集合するとき、それは、三つのばらばらな視点が集まり、三人の目に映ったべつべつの風景が重ねあわされるときです。三つの条件があれば行き先は一点に定まる、というのは、世界を眺める目が三組あれば、一つの新しい小さな世界を出現させられるということも意味しているのかもしれない……そんなことを考えて楽しい気持ちになりました。(中略)
また会いましょう、という約束が果たされることをすこしも疑っていないけれど、もし、三人がじつはまったく違う時間を生きていて、シュヴァル・ツーリスト商会の不思議な郵便配達によって通信できているだけなのだとしても、それはそれで大丈夫なのだ、という確信も、どうやら自分の心にはあるようです。この確信は、たぶん、文を書くという行為への多大な信頼から生まれたものなのでしょう。
(倉田タカシ)
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単行本p.248
道中はめちゃくちゃ楽しかった。誰かの最高の冗談が決まったその瞬間みたいなやつが、ずっとつづいた。それでいて意味の感じられない話なんて一つもなかった。運転のできないぼくはまるで旅の役に立たず、シートで身を縮めた。たまに静かになるごとに、高山さんが思いもよらないようなことを話して一同を湧かせた。
あのときみんなでどういうことを喋っていたのか、さすがにはっきりとは思い出せない。思い出せないけど、大切な思い出だ。当時のスマートフォンは壊れ、写真もない。それくらいがちょうどいい気もする。とにかく、そういう季節があったということだ。背水の陣の緊張感と自己に賭ける気持ちとがそれぞれに重なりあった、期せずして訪れた第二の青春が。(中略)
本書は架空旅行記であり、ユーモラスな幻想譚であり、もしかすると、三人が持てる才を全力でぶつけあった青春の記でもある。いまやそれぞれに異なるキャリアを重ねた三者の尖りに尖ったこれらの書簡が、こうも奇跡的に噛みあっているのは、たぶんそういう事情にもよるのではないだろうか。
(「巻末エッセイ」 宮内祐介)
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単行本p.268
架空の地を旅する三人が、それぞれの土地からお互いに向けて送った手紙。異なる三つの幻想譚の絡み合いから生まれた、『なつかしく謎めいて』(アーシュラ・K・ル=グウィン)を三次元化したような不思議な長編小説。単行本(東京創元社)出版は2022年1月です。
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旅先から旅先へお手紙を送りあうということは本当にうきうきするもので、まるでひとりで三箇所を同時に旅をしているような、お得な気分になっています。申し訳ないながら、本当に提案をしてよかったとも思っています。(中略)思うに、みっつの要素さえあれば、地球上のどこにある地点でも確認できて、その一点を目指すことができるはずなんですよね。この場合ふたつ、つまり往復書簡的な情報の動きではだめで、情報を発信する点がみっつである必要があります。
(高山羽根子)
――――
単行本p.35、37
――――
われわれは、三次元の住人である以前に、惑星表面という閉じられた二次元の曲面におおむね収まっているのだから、そう、うろうろしていたらきっと落ち合えるはずです。ちょっと気になるのは、三人の居場所が四つめの次元の方向にずれている、つまり、存在する時間が異なるかもしれないということですね。ただ、もしそうだとしても、こうして手紙を送りあうことができているなら、きっとなんとかなるだろうと楽観しています。
(倉田タカシ)
――――
単行本p.55
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わたしがなんの計画性もなく旅を続けながらも、倉田さんや高山さんと連絡を取り続けられるのは、元はと言えばシュヴァルが郵便配達中に石に躓いたことと、その石が地面深くまで埋まる四重核みたいな岩だったおかげですね。それがなければシュヴァルは理想宮を造らなかったかもしれませんし、〈愛と驚異のシュヴァル・ツーリスト商会〉も生まれず、どこであろうと旅人の現在地を把握して郵便物を送り届けてくれる驚異的な郵送システムの恩恵を受けることもなかったでしょう。
(酉島伝法)
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単行本p.197
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三人がどこか一点に集合するとき、それは、三つのばらばらな視点が集まり、三人の目に映ったべつべつの風景が重ねあわされるときです。三つの条件があれば行き先は一点に定まる、というのは、世界を眺める目が三組あれば、一つの新しい小さな世界を出現させられるということも意味しているのかもしれない……そんなことを考えて楽しい気持ちになりました。(中略)
また会いましょう、という約束が果たされることをすこしも疑っていないけれど、もし、三人がじつはまったく違う時間を生きていて、シュヴァル・ツーリスト商会の不思議な郵便配達によって通信できているだけなのだとしても、それはそれで大丈夫なのだ、という確信も、どうやら自分の心にはあるようです。この確信は、たぶん、文を書くという行為への多大な信頼から生まれたものなのでしょう。
(倉田タカシ)
――――
単行本p.248