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『NNNからの使者 あなたの猫はどこから?』(矢崎存美) [読書(小説・詩)]

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「そう。みんなにミケさんって呼ばれてるの」
 背中を撫でられてゴロゴロ喉を鳴らしている。
「この子、ちょっと不思議な猫として有名でね」
「そうなんですか?」
「子猫とかを斡旋したり、保護猫施設に連れていったりするのよ」
「ええっ!?」
 なんかそういう話、ネットで読んだことあるような――。
――――
文庫版p.83


 猫、飼いたいけど、色々と事情もあって……。悩みを察知されるや、たちまち舞い込んでくる猫との良縁。そんな猫飼いあるある現象の背後では、NNNなる謎の猫組織が暗躍しているらしい。ミケさんと呼ばれている不思議な三毛猫(雄)がもたらす「猫と人の出会い」を描く五つの物語を収録した短篇集。『NNNからの使者』シリーズ第二弾。文庫版(角川春樹事務所)出版は2018年4月です。


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 この小説はフィクションです。
 作中に描かれる猫の行動は、すべての人間を猫の下僕にするため暗躍する謎の組織NNN(ねこねこネットワーク)の理念に則っているように見えますが、ほんの少し関係あるかもしれません。
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 というわけで、猫好きのあいだで(主にネット上で)話題にのぼりがちな謎の組織NNN(ねこねこネットワーク)の暗躍を扱った謀略サスペンスシリーズ、ではなくて、猫を飼いたいと思っている人が自分の猫と出会うロマンス小説です。人の視点、猫の視点、ときどき切り替えながら語られてゆく五つの物語。猫飼いの読者はもちろん魅了されますが、それほど猫に興味がない方でも、読めばきっと猫を飼いたいと思うはず。

 ちなみに前作の紹介はこちら。すべての作品は独立していますので、どちらから読んでも大丈夫です。

  2017年10月16日の日記
  『NNNからの使者 猫だけが知っている』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2017-10-16


[収録作品]

『第一話 聞こえなかった声』
『第二話 願掛け猫』
『第三話 セーター猫の奇跡』
『第四話 猫に優しく』
『第五話 猫大好き、でも――』


『第一話 聞こえなかった声』
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「捕獲器に入って……」
 怖いのはわかっている。でも、そこに入れば暖かい場所でおいしいものが食べられる。風邪だって治してもらえる。
 優しい飼い主のところで暮らせる。
 できれば小雪がその「優しい飼い主」になりたかった。
「入ったら、あたしと……一緒に暮らそう」
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文庫版p.48

 一人暮らしをしたいと思いつつ、同居している親に精神的に束縛され何もできないでいる若い女性。そんな彼女が出会ったのは野良の虎猫。家を出て、この子と一緒に暮らしたい。でもこわい。どうしたらいいの……。勇気を振り絞って新しい人生に一歩踏み出そうとする彼女を、最後の瞬間に助けてくれるミケさん、かっこいい。


『第二話 願掛け猫』
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 大盛り上がりの三人を見ながら、本当にそうなのかな、と海は思う。考えても結論は出ない。多分みんな偶然だ。きっとあの三毛猫がいなくたって、こうなっていたはず。きっと。きっとね。
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文庫版p.89

 ペット飼育禁止のアパートに引っ越してきた若い男。そこに一匹の子猫がやってくる。隣人と一緒にこっそり世話しているうちに、何だか次々とアパートの住人が参加してきて、あっという間に保護猫グループ化。何と、このアパートの住人はみんながみんな猫好きだったのだ。え、じゃあミケさんの出番ないじゃん、と思った読者を待ち受ける驚愕の真相。


『第三話 セーター猫の奇跡』
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「今日は、猫を飼いたいけど飼えないらしい人がペット可のお部屋を決めたよ」
 と話す。
「どうして飼えないの?」
「猫アレルギーなんだって」
「ふーん。それは残念だね」
 ミケさんはそう言って、何やら考えているようだった。
「猫アレルギーって僕たち猫にはよくわからないことだよね」
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文庫版p.98

 猫アレルギーで猫を飼えない女性のために、奇跡の出会いをもたらすべく奔走するミケさん。「せっかく猫が好きで、飼える場所にいるんだもの。飼えるようにしてあげたいよね」(文庫版p.99)というわけで、NNN活動の基本「猫を飼いたいと思った途端、まさにぴったりの猫との出会いが」の背後にある、猫同士のネットワークから手配の詳細までがよく分かる物語。


『第四話 猫に優しく』
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 働けるのなら、あの子を養うこともできる。自分以外のものにお金を使うことがうれしくて、大輔はまた少し泣いた。
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文庫版p.159

 これまで不遇な人生を送ってきた男が、占い師から「猫に優しくしなさい」と助言される。そうすれば運が開ける、と。半信半疑ながら何とか猫に優しくしようと頑張っているうちに、幸運をもたらすオッドアイの白猫が現れる……。


『第五話 猫大好き、でも――』
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 人生には、いくつか「あの時こうだったら」と思う分岐点がある。柾樹の場合、それにはいつも猫が絡んでいるような気がする。
 家に帰ると、黒豆が熱烈歓迎してくれた。犬ももちろんかわいい。それはわかっている。
(中略)
 ただ時折、とてつもなく「猫が飼いたい」と思う自分もいる。今までの歴代の犬たちに申し訳ない気分になるが、犬は犬、猫は猫なのだ。
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文庫版p.167

 飼うのに何の障害もなく、猫大好きなのに、たまたま積極的に動かなかっただけで、猫を飼いはじめる絶好のチャンスを何度も逃してきた男。見るに見かねたミケさん、これまでで最も強引かつストレートな猫斡旋をしてくるのだった。



タグ:矢崎存美
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『ウラミズモ、今ここに(「Web河出」掲載)』(笙野頼子) [読書(小説・詩)]

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 改憲森友の影で、民は売られる。医療なし、水道代五倍、薬代倍、新薬高価なまま、後々は国境のない医師団までも苦しみぬくかもしれぬ。当然、戦争はさせられるし憲法はぶっこわされる。ばかりか日本中が海外から持ってきた核廃棄物の置き場にされても文句言えなくなる。だって憲法よりISDSの方が強いからね。
(中略)
 TPPは「変わった」けれど地獄のISDS条項は残ったまま、他国はなんとか対応しているけど日本はまったく放置したままだ。その他もどんどん作り込まれている。ね、ね、どうかどうか無関心にならないで! 焦ってて文章やや乱暴ですけれども。そしてできることは少ないし仕事のついでだけどでも最後まで抵抗するから。
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 シリーズ“笙野頼子を読む!”第117回。

 河出書房新社の本のポータルサイト「Web河出」に寄稿された短篇。Web掲載は2018年4月です。以下のリンクから全文読むことが出来ます。

  [書き下ろし短篇小説]ウラミズモ、今ここに  笙野頼子  2018.04.16
  http://web.kawade.co.jp/bungei/1995/


 ちなみに、『ひょうすべの国』の紹介はこちら。

  2016年11月29日の日記
  『植民人喰い条約 ひょうすべの国』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2016-11-29


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 笙野です。ごぶさたしています。慢性腎不全の老猫の看病をしつつ、TPP警告小説『ひょうすべの国』の続篇「ウラミズモ奴隷選挙」を書いています。(中略)これは、出来る範囲で最後までTPPに反対していきたい。行ける人には選挙に行ってほしい。そう願いつつ書き進めている作品です。
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 無論最後まで希望は捨てません。偏向報道はずっと何とかあきらめさせようとしてずーっと「もう決まったから」ばっかり言ってきているのでね、そしてこれは逆らう以外の選択肢はないほどの事態でもあるので。
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 ろくに報道もされないまま、なし崩し的にTPPが発効してしまうかも知れないという危機的状況のなか、執筆中の次作『ウラミズモ奴隷選挙』に先駆けて発表された短篇です。予告篇といっていいかも知れません。何しろ実際の政治状況が笙野文学をすごいイキオイで実現してゆくので、文学にもよりいっそうのスピードが求められるという、こんな状況、もういやだ。


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文学は売国を報道する。だって新聞がろくに報道しないからね。
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こうなったらもう、報道より文学の方がよっぽど迅速だよ。
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『さあ、文学で戦争を止めよう 猫キッチン荒神』 単行本p.16、26


 というわけで、『ウラミズモ奴隷選挙』は「文藝」で発表予定とのこと。掲載が楽しみです。というか、老猫と難病患者に闘いを任せておいて「掲載が楽しみです」とか気楽なことをいっちゃう自分ってどうなの、泣く。



タグ:笙野頼子
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『特別公演』(勅使川原三郎、佐東利穂子) [ダンス]

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歌の力こそぼくらの目に光をそそぎ、
  あらゆる芸術を解する力を授けてくれる。
  だから心うれしきひとも疲れたものも、
  つつましやかにこよなき味をたのしむ。
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『青い花』(ノヴァーリス、青山隆夫:翻訳)より


 2018年4月14日は、夫婦でKARAS APPARATUSに行って勅使川原三郎さんと佐東利穂子さんの公演を鑑賞しました。キューバでの公演から一時帰国して二日間だけ特別公演を行うとのことで、先月の特別公演と同じく、新作を踊ってくれました。上演時間60分の舞台です。


[キャスト他]

演出・照明: 勅使川原三郎
出演: 勅使川原三郎、佐東利穂子


 ドイツ・ロマン主義の作家ノヴァーリスの小説『青い花』にもとづくダンス作品です。「青い花」を佐東利穂子さんが、その青い花を追い求め各地を遍歴する「詩人」を勅使川原三郎さんが、それぞれ踊ります。

 最初のシーンは、時計や風の音が流れるなか、「詩人」が夢をみる場面。


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壁の時計がものうげに時をきざみ、がたがたなる窓の外で、風がうなり声をあげていた。月の光が射して部屋が明るくなったかとみると、また暗くなった。青年は眠られぬまま寝台の上を輾転として、あの旅の人のこと、その口から語られたあれこれを思いだしていた。
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『青い花』(ノヴァーリス、青山隆夫:翻訳)より


 やがて彼は夢のなかで出会った「青い花」を求めて様々な場所をさまようことに。潮騒や嵐、轟く雷鳴など、多様な音が流れ、この音響効果と照明効果によって場所や天候の変化が劇的に示されます。

 憧れ、困惑、焦り、人間的な表情を浮かべる勅使川原さん。青い照明を浴びて目の前に立つ夢幻のような佐東利穂子さん。どちらも強烈な印象を残します。


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葉が輝きをまして、ぐんぐん伸びる茎にぴたりとまつわりつくと、花は青年に向かって首をかしげた。その花弁が青いゆったりとしたえりを広げると、中にほっそりとした顔がほのかにゆらいで見えた。この奇異な変身のさまにつれて、青年のここちよい驚きはいやが上にも高まっていった。
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『青い花』(ノヴァーリス、青山隆夫:翻訳)より


 大きく、激しく、きっぱりとした動きが特徴的で、とにかく大盤振る舞いというか、かっこいいダンスがたくさん観られて単純に嬉しい。勅使川原さんの作品をはじめて観るなら、これが最適ではないでしょうか。いずれアップデートされて劇場で公開されることを期待したいと思います。

 来月はシアターΧで新作公演『調べ』、続いてアップデートダンス新作も公開されるそうで、もうこうなったら、ぜんぶ観る。



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『たべるのがおそい vol.5』(今村夏子、岸本佐知子、他、西崎憲:編集) [読書(小説・詩)]

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 今回もまた素晴らしい書き手に恵まれてただ感謝するばかりです。(中略)本好きのかたに何かを手渡したいという希望が漠然とあってその希望にそって今後も編集したいと思います。
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編集後記より


 小説、翻訳、エッセイ、短歌など、様々な文芸ジャンルにおける新鮮ですごいとこだけざざっと集めた文学ムック「たべるのがおそい」その第5号です。単行本(書肆侃侃房)出版は2018年4月。


[掲載作品]

巻頭エッセイ 文と場所
  『おさまりのよい場所』(酉島伝法)

特集 ないものへのメール
  『ジェネリック』(柴田元幸)
  『拷問の夢を見ている』(大前粟生)
  『昆虫図鑑にないキミヘ』(黒史郎)
  『こんにちは、鴨長明さん』(蜂飼耳)

創作
  『天井の虹』(岸本佐知子)
  『ある夜の思い出』(今村夏子)
  『千年紀の窓』(米澤穂信)
  『馬』(齋藤優)
  『地下鉄クエスト』(大田陵史)
  『雨とカラス』(澤西祐典)

翻訳
  『ごみ』(ツェワン・ナムジャ、星泉:翻訳)
  『ジャングル』(エリザベス・ボウエン、西崎憲:翻訳)

短歌
  『四月』(仲田有里)
  『これはテストだとあいつは言っておれは水にはいる』(フラワーしげる)
  『杏仁豆腐』(内山晶太)
  『星ふるふ』(小原奈実)

エッセイ 本がなければ生きていけない
  『窓のない部屋から』(石井千湖)
  『ドロナワ古本コレクター』(北原尚彦)


『天井の虹』(岸本佐知子)
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 いつも私鉄の駅で待ち合わせ、「ウコンの力」を立ったまま一気飲みし、そば屋で腹ごしらえをしてから、飲み屋に行く。いったん座ると、長い。誰よりも早く店に入り、誰にも背中を見せない。
 私たちはメニューのおすすめグラスワインを上から順番に頼む。どんどん飲み、ぽつぽつ話す。
(中略)
 話しているうちに目が回ってくる。天井の隅に虹が出る。スツールの陰を動物の影がちらちら出たり入ったりする。テーブルの上を小さい小さいアベベが走る。朝になると、どうやって家まで帰ったのか、ちゃんと代金は払ったのか、いつも記憶がない。あれだけ長い時間いっしょにいたのだから、バンマツリや舌の裏の筋以外のいろいろな深い話もしたはずなのに、きれいさっぱり忘れてしまっている。
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 酒を飲んでしゃべった変な話を並べた連作形式の作品。何しろ岸本佐知子さんなので、その変さも玄人っぽく変。翻訳・エッセイだけでなく創作もどんどん書いてほしいものだと、個人的にそう思います。


『ある夜の思い出』(今村夏子)
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 人間の、男だった。長髪で顔の半分がひげだった。驚いたのは、彼がわたしとそっくり同じ姿勢でそこにいたからだった。
 お腹を下にして寝そべっている。そしてわたしの顔をじっと見つめている。まるで金縛りにあったように、わたしたちはしばらくお互いの顔から視線を外すことができなかった。
 最初に動きを見せたのは男のほうだった。通り道のあちら側から、ズリ、ズリ、と腹這いで近づいてきた。わたしは男と正面から向かう合うように、ゆっくりと体の向きを変えた。
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 もう立っているのも面倒くさいので、ずっと寝そべって生活していた女性。父親から就職しろと説教され、思わずよついばいのまま家出した彼女が、路上で出会った男。彼は同じように腹這いのまま路上を這っていた。ぼくのうちにこないかと誘われた彼女は、男と一緒に、ズリ、ズリ、と路上を這い進んでゆく。これまで「たべおそ」に掲載されたちょっと嫌な怖い話と違って、とてもストレートなボーイ・ミーツ・ガール・ストーリー。


『これはテストだとあいつは言っておれは水にはいる』(フラワーしげる)
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いいものが売れる時代がほんとうにきたらどうすると不動産屋が言う赤羽の夕方
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焼き魚がふいに口をひらいてどうだうまいかという春の第一日
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写真の下にまじょがりと書かれ 書いた祖母がもういないこと
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起きた上半身が歯ブラシを使う朝 大きなものが家をまたぐ
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ウインクができなくて両目をつぶってしまう女の子しか入れないんだここ
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 フラワーしげる氏の短歌はとても好きです。


『拷問の夢を見ている』(大前粟生)
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パーティなんて嫌いだ。希望なんてどこにもないんだ。こんなことならいつもみたいに拷問を受けている方がましだった。私はあなたがくるのを待ち望んでいる。きっとあなたは私に対しての凄惨な拷問でパーティ会場の空気を凍らせてくれる。(中略)そのとき私はどんな顔をしているだろうか。内面ではあなたがきてくれてほっとしているのだが、無理やり怒り顔を作っている。きっとそうだ。私たちは拷問する者と復讐する者、そういう関係だから。
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 夢のなかでよく拷問されている。あるときパーティ会場の夢を見た。そのいたたまれなさときたら、いつものようにあなたから拷問を受けている方がましだ。早く来てほしい。とても共感できるような、意外とそうでもないような、そんなちょっといい感じの作品。


『ごみ』(ツェワン・ナムジャ、星泉:翻訳)
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 ごみの山の麓からラサという高原の街を見下ろすと、そこは相変わらずの喧騒が渦巻き、何かに向かって突き進んでいる。思い返してみると、幼い頃からこの街はそうやって前に突き進んでいた。今や大人になったけれど、この街はいまだ飽くことなく前へ前へと向かっている。いったいいつゴールにたどり着くことができるのだろう。この街はゴールに着くまで、今日の赤いおくるみにくるまれた赤ん坊のようなごみをどれだけ捨てることになるのだろう。そう思うと恐ろしくてたまらなくなった。
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 チベット、ラサの郊外で、うずたかく積み上がったゴミの山を漁って生活している人々。一人の若者が、ゴミのなかに生きた赤ん坊が捨てられているのを見つけてしまう。もちろん育てることなど無理。しかし、そのままでは死んでしまう。どうすればいいのだろう。
 チベット現代文学界の若手期待の星による、人がごみのように扱われる社会の冷淡さをどこか寓話めいた雰囲気で描いた物語。


『地下鉄クエスト』(大田陵史)
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「何をしているんですか?」なぎさは訊いた。僕が一番聞きたかったことだ。「どうみても地下鉄の作業員には見えないんですけど」
「送別ですよ」金髪の彼は言った。「二人を途中まで送り届けるために、三田から歩いています。といっても、私は、目黒からこの路線を歩いていますが」
「どうです? 一緒に歩きませんか?」彼は重そうな高級腕時計を確認した。「始発まで、あと一時間はあります。今日は神保町までが限界かと思いますが、帰る方向が同じようだったら行ける所まで行きましょうよ。どうせもう寝れないでしょう?」
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 深夜、泥酔して地下鉄のホームで眠り込んでしまった男。目が覚めると終電はとうに過ぎており、照明は消され、出口にはシャッターが降りている。どうすればいいだろう。そこに数名の男女の一団が線路を歩いてやってくる。先頭で旗を持っている男が声をかけてくる。「ようこそ、SOS大東京探検隊へ」
 地下鉄駅取り残され客送迎業、地下鉄の線路沿いに出る屋台など、微妙なリアリティがある「深夜の地下鉄コミュニティ」を描いた楽しい作品。



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『誰でもない』(ファン・ジョンウン、斎藤真理子:翻訳) [読書(小説・詩)]

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 ファン・ジョンウンの狩りは激烈で切実だが、リリシズムとユーモアの補給線が途切れることはない。彼女は、人々の物語が湯気をたて、血をしたたらせている瞬間をねらい、暴力ののっぴきならなさと喪失の大きさを、一撃でしとめる。彼女の筆は仮借ない。しかしこの仮借ない作家が隣国にいてくれることは、私を心強くさせる。彼女の小説を読むことは、微細な暴力の粒子が溶け込んだこの世界、日常とディストピアが地続きになった今を歩き続けるために必要なエネルギーを私たちに与えてくれる。
――――
単行本p.253


 途方もないストレスを抱え、容赦なく他人を踏みつけることでかろうじて生きている人々。苛烈な格差社会のなかで、誰でもないものとして扱われ、ささいなことで互いに傷つけあい憎しみ合いながら生きる他はない私たちの姿を、切り裂くようなリアリティと激しいまでの詩情をこめて描く短篇集。単行本(晶文社)出版は2018年1月です。


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「誰でもない」人々の現実は、まぎれもなく二十一世紀の韓国のものだ。だが、人物の名前などは無国籍風で、ときには性別も判然とせず、具体的な地名もあまり出てこない。彼女の作品世界は韓国に根ざしながらも、同時に全方向に向かって開かれており、世界のどこにでも通じる、ときに古典のような趣を感じる。(中略)このような普遍性をたたえた彼女の小説が今後、日本だけでなく、世界の「誰でもない」人々のもとに届くであろうことを信じる。
――――
単行本p.252、253


 ますます格差が広がりつつある社会。その下層のあたりで、這い上がる手段も希望も奪われ、互いに足を引っ張り憎みあいながら、ただただ搾取され続ける人々の苦しみ、怒り、絶望、そしてかすかな希望。現代に書かれた多くの小説が扱っている、いわばありふれたテーマですが、しかし本書に収録された作品は格別です。傑作としか言いようがないものばかりで、その出来栄えはもう衝撃的。一つ一つの作品が、心を切り裂いてきます。

 見ないように、想像しないように、心に刺さらないように、注意深く目をそらしていた現実に容赦なく向き合わされる瞬間が次々と訪れます。しかし、なぜか、読後感は意外に暗くなく、むしろ不思議な「肝の据わった」ような感触が残る話が並びます。ハズレも凡作も一つもない、とてつもない短篇集。とにかく何がなんでも読んでほしい一冊です。


[収録作品]

『上京』
『ヤンの未来』
『上流には猛禽類』
『ミョンシル』
『誰が』
『誰も行ったことがない』
『笑う男』
『わらわい』


『上京』
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誰かが私の腕をとんとんたたいた。老婦人が私の顔をしっかりと見て、言った。
 泊まってけ。
 ごはん、やるから。
 誰か助けてと思って見回したが、オジェもオジェのお母さんも荷物の確認で忙しい。何と答えたらいいのかわからず立ちすくんだあげく、つぎに来たとき泊まりますと言った。幾重にも重なって渦巻きになっためがねの中で、老婦人の目が悲しそうに歪んだ。
――――
単行本p.40

 知り合いの家族といっしょに、田舎に唐辛子摘みに出かけた語り手。特に何か事件が起きるわけでもなく、なにげない描写の積み重ねが、見捨てられた田舎とそこで生きる他ない人々の現実を、少しずつ浮き彫りにしてゆく。


『ヤンの未来』
――――
 何をしたかって私に訊かないで。誰も私にかまわないのに、なんで私が人のことにかまわなくちゃいけないの? チンジュね、おばさんの娘、あの子がいったい誰だっていうの? 誰でもないのよ。私にとっては、誰でもないの。
 そんなことはひとことも言えないまま私が彼女を見おろして口をつぐんでいるあいだ、セミが鳴いていた。ひぐらしのシルルルルルルという声だけが聞こえた。降り注ぐ陽差しのせいで、首筋が熱かった。
――――
単行本p.71

 深夜、娘が殺された。コネも金もない若い娘が殺されたくらいで警察はろくに捜査もしない。最後に被害者を目撃した語り手は、あのとき通報しなかったことを後悔し続けている。そして被害者の年老いた母親が現場に毎日やってきて、祈り続ける。無言で責められているようでいたたまれない。忙しかった、ひたすら疲れていた、こづき回され踏みつけられ人として扱われない生活のなかで、他人のこと見て見ぬふりをしても仕方ないじゃないの。でもそんなこと言えない。言えるはずがない。引きちぎられるような苦しみ。そして男の上司が、すごーく気軽に、語り手に命じる。営業妨害だからあの母親に出てゆくように告げろ、と。
若い女性が社会からどのように扱われているかを静かに告発する強力な作品。


『上流には猛禽類』
――――
こういうところに来たらこんな水ぎわでごはんを食べるものだよと、元気いっぱいの表情で食べ物を渡し、ことばをかけてくれていたチェヒの両親も、だんだん口数が減っていった。チェヒはほとんど食べなかった。顔がまっ青で、お母さんがおにぎりを差し出して早くお食べと言うのに、何ともいいようのない表情で両親を見つめており、そんな彼の表情を見ていると私は心が痛んだ。それは何て変な光景だったことか。妙な場所に陣取ってごはんを食べている老夫婦と、そのかたわらで憂鬱そうに彼らを見守っている若い男、そして彼らから離れて座っている女。
――――
単行本p.99

 恋人の家族といっしょにピクニックに出かけた語り手。いつかこの家族の一員になるのだと信じていたが、小さな出来事の積み重なりが、溝の深さを次第にあらわにしてゆく。家族のなかにあってもひとりひとり孤独で、その現実から目をそむけようとする人々、厳しい歴史のなかで傷つけられた人々の姿を、陰鬱なユーモアをこめて描いた作品。


『ミョンシル』
――――
 こうやって座ったまま、あと何度の冬を迎えることになるのだろう。そして何度の春と何度の夏を。彼女は考える。死んだあともシリーに会えるという思いが、なんて手におえない想像であるかを。なんて手に余る、空しい思いであるかを。そして空しいながらにそれは、なんて美しかったろう。それが必要だった。すべてのものが消えてゆくこのときに。暗闇を水平線で分ける明かりのようなもの、それがあそこにあるという、しるしのようなものが。
 その、美しいものが必要だった。
――――
単行本p.130

 もう寿命も尽きようとしているとき、亡くなった恋人のことを考え続ける老婦人。二度と会えないと分かっていながら待ち続けることの、何という空しさ、そして美しさ。彼女は書き始める。すべてが消えてゆくこのときに。圧倒的な感動をもたらすラブストーリー。


『誰が』
――――
 私、お金ないもん。やんなっちゃうけど、いまお金ないし、ひょっとすると永遠にないんだもん。だからまあ、手段がないのよ私には。私の未来なんてあっさりあのじいさんみたいに……なるはず。そんな予感がするし、予知もできるぐらいだわ、そんなときにあんたらみたいな人間に苦しめられてさ……あんたらみたいなお隣さんに悩まされてさ……そうやってずーっと……生きてくんだ。あんたら、自分は違うと思ってんでしょ? 違うと思ってるし、実際違ってる感じがするんでしょ? だけどねあんたらと私、何も違わないんだよ、完全にいっしょだよ、おたがいがおたがいのお客さまなのさ、そうやって苦しめ合うのさ、一生、百パーセントのお客さまなんかでいられないくせに。こういうの私、嫌でしょうがないのよ、なのにあんたらにはこれがぜーんぶ冗談みたいで、あたしだけが狂ってると思って、おかしいんでしょ? 笑いな、おかしいなら笑ってな。おかしかったら笑えばいい、ずーっと笑ってたらいいわ、ずーっと笑ってな、もっともっと、笑ってみな。
――――
単行本p.156

 社会階層を昇る手段もなく、ただ搾取され踏まれる毎日。安アパートの隣人との間で、通勤の駅で、職場で、どこでも軽んじられ、ストレスをぶつけられる女性。自分たちは頭おかしいおばさんとは違うし人生の成功は約束されていると信じて、ノリで嫌がらせをしてくる若い娘たち。どうせすぐ同じ境遇になるのに。社会の仕組みがそういう風になっているのに。たまりゆくストレスに堪え続け、毎日が限界ぎりぎりで生きる女性の姿を苦々しいユーモアも込めて切実に描いた作品。


『誰も行ったことがない』
――――
 彼は急に口をつぐんで振り向き、彼女を見た。彼女が悲しそうな顔で彼を見ていた。彼はまた怒りがこみあげてきて、首を横に振った。あの顔。うんざりだと言うかわりに、そんなに見るなと彼は言った。そんなふうに見るな。人を観察しないでくれよ。何も悪いことをしてないのに殴られたみたいな目で。
――――
単行本p.184

 かつて子どもを事故で失った老夫婦。そばにいたのに気づかなかった夫は、そのことで負い目を感じつつ、いつまでも無言で責めるような妻の態度に腹もたてている。それからずっと関係がぎくしゃくしている彼らが、海外旅行に出かける。だが、旅先で知らされたのは、韓国が通貨危機によって事実上の経済破綻をしたというニュース。子ども、未来、そして今や帰るべき祖国まで喪失した二人。喪失感とともに旅を続ける老夫婦に、さらなる危機が訪れる。


『笑う男』
――――
 長いあいだ、僕はそのことについて考えてきた。
 考えて、考えて、なんとかして最後には理解したいと思って、僕はこの部屋にとどまっている。ずっと前、この部屋の外で僕の背中をたたき、僕を理解できると言った人がいるのだが、それが誰だったかわからない。その人の名も、どうやって出会ったのかも、その人が僕にとって大切な人だったかそうでなかったか、男だったか女だったかさえ思いだせない。夜だったということははっきりしている。私はあなたを理解できる。まっ暗なところでそのことばを聞いた瞬間、僕はえっと驚いた。この人が理解できるという僕を、僕はなぜ理解できないのかと。
――――
単行本p.189

 過去にあった出来事のせいで、世捨て人同然の生活を続けている男。自分はあのとき、なぜそうしたのか。あるいはなぜそうしなかったのか。ひたすら自問自答する毎日。祖父、父、恋人、男が抱えるトラウマに関係する人々のエピソードを積み重ね、個人とそして社会が抱えている絶望と希望を描き出す作品。


『わらわい』
――――
 ……笑ってますね。画面の中で私が笑ってるわ。あの口見てごらんなさい、あれはわらわいですね、見えます? なんであんなに笑うんだろ……狂ってるわけでもないのに。狂った女は笑うね、私がいままでに目撃した狂った女はみんな笑っていましたよ。ところでさ、なんで人間は狂うと笑うんでしょ。答えてみてよ。いったいぜんたいどうして笑うのかしら、狂ったら。泣く方が当然よね、狂ってるんだから。狂ったら怖くなるはずでしょ。狂うということは、殻がすっかり壊れてしまって、中身がむき出しになってしまうことで、中身がむき出しになった人間は怖いでしょうからね何もかもが。世の中は角と尖端でいっぱいなんだから。世の中はこんなに、とんがったものや角ばったものだらけなんだから、怖いものだらけなんだから、泣くべきでしょ、怖かったらさ。なのにどうして笑うんだろ、狂った女は。
 あなたはどんなふうに笑いますか。
――――
単行本p.241

 理不尽なクレーマー、同僚から向けられる憎悪と敵意、理不尽な謝罪、ぱっとしない客のみみっちい自尊心を満たすためのドゲザ(とてもべんりな日本語)、そして笑顔。何をされても言われても、笑顔を忘れないように、笑顔を絶やさずに。デパートの寝具売り場で接客業をつとめる女性が、自尊心も尊厳も奪われ、激しいストレスのために笑顔が止められなくなってしまう。コネも金もない人々が就くしかない過酷な感情労働、その果てに常軌を逸してゆく女性をサイコホラー風に描いた強烈な作品。



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