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『片づけたい』 [読書(随筆)]

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 ていねいに暮らしを積み重ねるネオ清貧と、マネーを武器にハイクラスな毎日を送る拝金ニューエイジ。どちらにも、エクストリームな信念が必要です。(中略)信念のない私は、あっちにフラフラ、こっちにフラフラしながら生きてきました。一貫性のないインテリアを見渡すと、がっかりはするものの居心地はそこそこ良い。結局は、いろんな味が盛りだくさんの、お手頃幕の内弁当のような暮らしに充足を感じます。この部屋こそが、わたしの理念の現れなのでしょう。ていねいな暮らしは、他の人に任せます。
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『ていねいな暮らしオブセッション』(ジェーン・スー)より


 「ていねいな暮らし」に憧れるけど、掃除はイヤ。
 「すっきりした部屋」は素敵だけど、片づけはイヤ。
 「断捨離」はやりたいけど、捨てるのはイヤ。
 古今の作家たちが、整理整頓・掃除・廃棄にまつわる葛藤を表現したエッセイ・日記・小説など32篇を収録した片づけ文学アンソロジー。単行本(河出書房新社)出版は2017年6月です。


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 本書では、古今の書き手たちのエッセイ・日記など選りすぐりの三十二篇を収録しています。片づけの対象は、紙屑、本、冷蔵庫の瓶詰め、財布の中の割引券から忘れがたき記憶まで、実に様々です。読んですぐに掃除能力がメキメキ上がり、部屋がピカピカになるわけではありません。
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「はじめに」より


 明治の文豪から現代のエッセイストまで、総勢32名の作家たちが、掃除や片づけの面倒くささ、ものを捨てることへの葛藤を、しみじみと語ります。個人的には、『片付けない作家と西の天狗』(笙野頼子)が収録されていればよかったのになあ、と思います。


[収録作品]

『ていねいな暮らしオブセッション』(ジェーン・スー)
『もったいない病』(佐藤愛子)
『エントロピーとの闘い』(柴田元幸)
『シュレッダーと妻の決意』(沢野ひとし)
『紙の山生活』(阿川佐和子)
『お片づけロボット』(新井素子)
『冷蔵庫の聖域』(内澤旬子)
『懶惰の説(抄)』(谷崎潤一郎)
『過ぎにしかた恋しきもの』(澁澤龍彦)
『達磨大師と桃童子』(加門七海)
『塵』(夢野久作)
『ポリバケツの男』(佐野洋子)
『ロボット掃除機ルンバを雇う――キミには“上司力”があるか』(東海林さだお)
『ゴミ処理機』(出久根達郎)
『煤はき』(幸田文)
『障子』(島崎藤村)
『中掃除・小掃除』(沢村貞子)
『ノズルに手こずる』(川上未映子)
『「掃除」と「片づけ」は別物です』(有元葉子)
『片づけ』(川上健一)
『割引券の出番は少ないと知る』(大平一枝)
『「秩序のある机まわり」が教えてくれること』(松浦弥太郎)
『掃除当番』(槇本楠郎)
『二十年目の大整理』(有吉玉青)
『新聞紙』(向田邦子)
『座辺の片づけ』(内田百聞)
『捨てる派』(中澤正夫)
『それぞれの几帳面』(赤瀬川源平)
『思い出のリサイクル』(小川洋子)
『猫の耳そうじ』(工藤久代)
『片づけごと』(尾崎一雄)
『もっと光を!』(池内紀)


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 私はだんだん気が滅入ってきた。はじめのうちは、「あ、ちょっと待って。Aさん、それ使うのよ。捨てないで」といっていたが、たび重なるといえなくなってきた。
 Aさんは捨てたいのだ。捨てる快感を求めてAさんは勇んで手伝いに来たのかもしれない。それをいちいち阻止するのは気の毒である。気の毒ではあるが私はそうポイポイと捨てられたくない。この二律背反が私をして気を滅入らせしむるのであった。
(中略)
 ここはわたしの家だ! 私のものだ!
 私は叫びたい。Mさんは目を伏せ沈痛な面持ちになっている。
「先生、これ、とっときました」
 小声でいってゴム輪をしまっておいた小箱をこっそり見せる。私たちはいつか、敵の手に落ちた敗軍の将と忠実なる従卒という趣になっているのであった。
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『もったいない病』(佐藤愛子)より


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 この会社員の貯めたゴミは重さにして650キロだったが、1979年、シカゴに住む67歳の女性が貯め込んだゴミは総量10トンに及んだ。『週刊プレイボーイ』79年11月20日号によれば、悪臭の苦情を受けた衛生局の係員が行ってみると、家じゅう高さ1メートル半のゴミの山。1940年代にはじまる古新聞、キャベツを中心とする生ゴミ、無数のビンやカン……下からはベッドが二つ出てきた。この女性、30年にわたり清掃婦として働いたが、帰ると毎日くたくたで、自分のゴミを出す気力はとうてい残っていなかったという。
 だが、物を貯め込むことにかけては、1909年から47年にわたってニューヨークで隠遁生活を送り、総量120トンに及ぶ物品を貯め込んだコリヤー兄弟の右に出る者はいまい。
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『エントロピーとの闘い』(柴田元幸)より


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 銀行へ行って五万円おろしたらちょうど百万円きっちりの残高になっていました。一円の端数もなく、0が六つ並んでいるのに感心しました。で、全部おろしました。0が一個になり実にすがすがしい気分で、私はハンドバッグに百万円入れて、ここへやって来たのです。
 少し前に、男といっしょに遊びに来たギリシアの小さい島です。
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『ポリバケツの男』(佐野洋子)より


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 とりあえず半分だけお尻を便座に乗せて座ってますよと騙し騙し操作してもうまくゆかず、センサーを手で押えても無理、お尻の量をじりじり増やしてトライすること十分、騙されたノズルが顔を出し始めた音を聞いてから便座を飛び退き、目視したノズルの恐ろしいまでの汚さにのけぞってしまったのであった。よよ、となったのはいいけれどそのまま勢いよく飛び出してきた温水で(なぜなのか最強設定になってた、もう!)服も床もびしゃびしゃになって、トイレクイックルでがっと掴んでぬぐってやろうとしても水を出し終えるとノズルはすました顔で引っ込んでしまって出てこない。
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『ノズルに手こずる』(川上未映子)より


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ぼくはわりと几帳面な性格だと思う。ついちょっとしたものを揃えたりする。たとえば財布の中のお札を、ちゃんと表裏揃えて入れる。それが高じて、上下の向きも揃えて入れる。さらには一万円札、五千円札、千円札という順に、高額の順に揃えて入れる。さらに高じると、パリパリの紙幣と皺くちゃの紙幣と、良い順に揃えたりする。さらにそれが高じると、新品の紙幣は隙間なくぴったりなので、一枚のつもりで出したら二枚、ということがある。それを防ぐために、新札ばかりのときは間に少し皺のある札を混ぜたりする。たまたま新札ばかりの場合は、あえて折り曲げて皺を作ったりする。それも、たとえば新札三枚を重ねて折ったんでは皺も同じになって効果がないので、それぞれ少しズラして折り曲げたりして、大変である。
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『それぞれの几帳面』(赤瀬川源平)より


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 近所に一人、世話好きで正義感の強いおばさんがいた。彼女は正しく分別されていないゴミ、曜日が守られていないゴミを発見するとただちに、それを出した人の所へ赴き(町内ではゴミ袋に名前を書くことが義務付けられていた)、お説教をした。私など道でその人とすれ違うだけで、胸がドキドキした。
 彼女の行為は非の打ち所がないほどに正しかった。同じ町内の者として誇りに思わなければならない人だった。しかし、頭ではちゃんとそう理解していたのだが、胸のどこかに何とも言えない複雑な思いが引っ掛かっていた。朝早く、他人の出したゴミ袋をごそごそかき回している彼女の姿を見ると、ふっと心が寒くなるような気持ちになるのだった。
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『思い出のリサイクル』(小川洋子)より



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