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『みずからの火』(嵯峨直樹) [読書(小説・詩)]

 不穏な夜の風景、隠された気配、取り返しのつかない予感。日常のあやうさを静かに描く不穏歌集。単行本(KADOKAWA)出版は2018年5月です。


 何ということもないのに、どこか不安な、何か恐ろしいことが起きそうな予感をはらんだ夜の風景が、まず印象に残ります。


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琥珀色の水滴の膜ふるわせて夜の市バスの窓のきらめき
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したしたと雨に打たれて黒く耀る夜の街路に入つたようだ
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くらぐらと水落ちてゆく 側溝に赦されてあるような黒い水
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息衝きはさやさやさやと重なつて深夜の黒い川のつやめき
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つややかな黒い夜空に囲われて息づく家に人影がある
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 平穏無事な日常の裏側で、何かヤバいことが進行している、そのことが隠されている。ちらりと感じてしまうそんな気配を、見事にとらえています。


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濃霧ひとりオリジン弁当に入りきてなすの辛みそ炒め弁当と言う
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黒ずんだ霧ひとまとめ薄氷に封じ込めつつ日々は安らか
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枝ふとく春夜をはしる絶叫をあやうく封じ込めて静寂
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見られいるひと粒急に輝いて跡形もなく消えてしまいぬ
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 住み慣れた安全なはずの自宅。でも、どこかへ通じる見えない穴のようなものがあり、踏み越えてしまったような気がしてなりません。


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もの事の過ぎ去るちから レシートが繁茂しつぱなし夜のキッチン
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暗闇の結び目として球体の林檎数個がほどけずにある
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冥界の側に開いてしまう百合飾られている真昼の小部屋
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ふんわりと雪片の降る寝室に堆積しつつかたち成すもの
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月球に強いひずみが起こるたび薄紫の花野ひろがる
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 というわけで、変なこと異常なことは何も起きてないのに、もう取り返しがつかないことにふと気づいてしまったような、そんな不穏さの感覚に心惹かれる歌集です。



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『接吻』(中本道代) [読書(小説・詩)]

 誰も見てない場所で行なわれている生と死の営み。足もとにぽっかり開いた無窮と永遠。想像力を刺激する静かな怖さ。読者を魅了する詩の一撃、中本道代さんの新しい詩集です。単行本(思潮社)出版は2018年8月。


 ただでさえ怖い作品が多いのに、幼少期を過ごした広島が舞台になっていたりして、読者にも覚悟が求められる詩集です。個人的には「オカルトの気配」を感じさせる作品に強く惹かれます。


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山の裏側に行くと
箱が並んでいた
白い細長い箱が並び
なだらかな丘陵がどこまでも続いていて
そこから先は記憶することができない
――――
『ハイキング』より


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遥かな空が吸い寄せている
出現していないものたち
半分だけ出現したものたち
奥深い白さを引いている
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『時間について』より


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陽に照らされた丘には誰もいなくて
麗らかな大気の底に一筋の冷気が薫っている
母はどこから来て――
どこへ行ったのだ
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『丘の上』より


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幻の星が傾く朝
一つの死骸から蠅の群れが生まれて飛び立っていく

水の狼が歯をむき出して唸る
眼を閉じて絶滅に耐え
種の記憶を空の奥で渦巻かせている
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『裏の白い道』より


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ふうせんかずらがフェンスでちぎれて揺れている
今朝 不意に空が開けて玲瓏な水色がのぞいた
川の流れに沈んでいる貌が笑い
毛髪を海の方へと靡かせている
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『神田川』より


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裏の小道はお宮へと続いていた
大きなお宮――けれど本当は小さなお宮だった
奥の座敷の畳は冷たく乾いていた
それは神の部屋だったのか 神はどこにいたのだろう
天井にはテンが棲むと言われたがテンも姿を見せなかった
――――
『喇叭水仙』より


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五月に行方不明になった子を
探してさ迷う
すべてを捨てて風の奥に
どうしたら入って行けるだろうか
――――
『五月の城』より


 もちろん、戦争を表現した作品、なのかも知れません。しかしながら、どうしても、オカルトだこれがオカルトの気配というものだ、という気持ちが込み上げてくる。理不尽に降りかかる死。

 小さな命に視線を向け、生と死の境界を描いた作品にも、心震えるものがあります。


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逝く夏の真昼に不意に命を落とす幼い蜥蜴
蟷螂
点のような黒い目を開いて
お前たちが見ることのない秋
お前たちのいない秋が来る
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『逝く夏』より


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生まれなかった仔たちが生まれる水があるのではないか
黒い星の底で揺れ続けているのではないか
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『夏への道』より


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眠る人の閉じたまぶたから涙が滲み出ている
ねずみの黒い瞳が小さく光る
絶えず震える体で
ほの白い冬の闇を生き延びていく
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『ふゆ』より


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海豹が仔を産み
育て
半分が死に
半分が成長して
二頭ずつよりそい
水の中でくるくると身をくねらせる
そしてまた仔が生まれる
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『北の海で』より


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幸福だったことがあった
小さな獣たちが眠っているそばで
小さな息とともに上下する輝く毛並みを見ていた
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『プネウマ』より


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山からの水を引いた裏の池に
昼の月が沈む
小さな蟹が這い出してくる池
私はそこで溺れたと言われた
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『盂蘭盆』より


 というわけで、前作『花と死王』から、何というか力みのようなものが抜けて、さらに凄みが増したような印象を受ける最新作です。



タグ:中本道代
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『ちるとしふと』(千原こはぎ) [読書(小説・詩)]

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八時間置きっぱなしのコーヒーをまた口にして気づく夕暮れ
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保存していないイラレと凍りつくわたし一瞬で失くす四時間
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息を吐く、息を吸う、席から立って、歯を磨く 人間であるため
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指示通り延々さがしたテクスチャを「背景白で」の四文字が消す
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転んだということはあとは立ち上がるだけと言われて転がっておく
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 孤独で、つらくて、舐められている。自宅で仕事するイラストレーター/デザイナーという職業のあれこれを、自虐的ユーモアをこめて配置するイラレ歌集。単行本(書肆侃侃房)出版は2018年4月、Kindle版配信は2018年6月です。


 恋の歌も数多く収録されていますが、まず印象に残るのは、自室にある様々なモノによせて孤独やさみしさをうたう作品。


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さみしさを音にできないくちびるが深夜ほのかに啜るラーメン
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おかえりと言う人のない毎日にまたひとつ増えてしまうぺんぎん
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おそらくは前世しっぽであるはずのエノコログサを飼うワンルーム
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結婚はできない派でなくしない派でそれはさておき買う抱き枕
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 一人暮らしにも、いつしか慣れてゆきます。


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主人公だと思ってた人生で雨ばかり降る五年が過ぎる
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「おひとり様ですか」に「はい」と明瞭に答える少し強くはなった
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転んだということはあとは立ち上がるだけと言われて転がっておく
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 職業はイラストレーター/デザイナー。メールで依頼を受け、自宅でひたすら描き、出来たらメールで送ります。とても気楽な暮らし、でしょうか?


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八時間置きっぱなしのコーヒーをまた口にして気づく夕暮れ
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いつの間にか夜になるから黄昏を感じることもなく生きていく
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ついさっき十一時だったなぜ今は三時なんだろう とりあえず、水
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保存していないイラレと凍りつくわたし一瞬で失くす四時間
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息を吐く、息を吸う、席から立って、歯を磨く 人間であるため
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容赦無く真夜中メールは舞い込んでさんじゅうくどさんぶの朝焼け
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送信を終えて倒れる冷えピタの貼りつく額を机にあてて
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 どれほど誠実に取り組んでも、苦労しても、キャリアアップということのない仕事の悲しみ。というか、まず舐められている。


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目のツボを押えて肩をほぐしつつキラキラ女子を描き上げていく
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行ったことのない街の知らない店の地図を描く行くこともないのに
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美容院のポップはつらい 誤字脱字、センター揃えにするなよそこは
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指示通り延々さがしたテクスチャを「背景白で」の四文字が消す
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 でも世間の人は、素敵なキラキラ絵を描いて自由に生活できる憧れの職業、だと思っていたりして。いやます、悲しみ。


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「掲載誌お送りします」許可もなく表情は描き換えられていて
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十月の本屋に積まれるわたしの絵 年賀状素材集の隅っこ
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「うちの子も絵が大好きで」「そうですか」なりたい人であふれる世界
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「どうしたらなれますか」には曖昧に運ですねって笑っておいた
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 職業がら、だと思うのですが、さびしさ・悲しみ・怒りなどの感情を一枚の場面に託して視覚的に描いた作品が並んでいます。文字で描いたイラスト集のような歌集です。



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