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『海の家のぶたぶた』(矢崎存美) [読書(小説・詩)]

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 バレーボール大くらいの桜色のぶたのぬいぐるみが、トレイの上に大きなかき氷を載せ、しずしずと現れた。氷につきそうな突き出た鼻、大きな耳の右側はそっくり返り、黒ビーズの点目はやけに真剣に見える。
 そのバランス、変だろ! と朝は心の中でツッコむ。かき氷が超絶軽くなきゃ、そんなもの持てないと思うけど!?
 いや、持てる持てないの問題じゃなかった。ぬいぐるみが動いているのがおかしい。そこを飛ばして考えてるあたしもおかしい。
「どうぞ」
 隣の椅子にぴょんと飛び乗って、たんっとかき氷の皿が置かれた。
「洋風宇治金時です」
 そのネーミングが一番おかしい。
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文庫版p.214


 赤と青の屋根が印象的な、レトロな海の家。かき氷が美味しいと評判のその店「うみねこ」をネットで検索してみれば、みんながアップしたかき氷の写真に、いちいち見切れて写り込んでいるぬいぐるみの姿が。大好評ぶたぶたシリーズ、今回は海の家を舞台とする五つの物語を収録した短篇集。文庫版(光文社)出版は2017年7月です。

 見た目は可愛いぶたのぬいぐるみ、心は普通の中年男。山崎ぶたぶた氏に出会った人々に、ほんの少しの勇気と幸福が訪れる。「ぶたぶた」シリーズはそういうハートウォーミングな物語です。

 今回の山崎ぶたぶた氏のお仕事は、海の家の店長さん。かき氷が評判の店で、昔ながらのかき氷も、最近流行りの「ふわふわかき氷」(雪花冰)も、どちらも食べられます。毎話、かき氷の美味しさについて溶ける勢いで熱く語られるので、読者も思わず食べたくなってくるという、季節ぴったりの旬な短篇集。


[収録作品]

『海の家うみねこ』
『きっと、ぬいぐるみのせい』
『こぶたの家』
『思い出のない夏』
『合コン前夜』


『海の家うみねこ』
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扶美乃はますますここでバイトをしたくなった。だってぬいぐるみと一緒に働くなんて、めったにできないことだ。ものすごくきついかもしれないし、お給料も少ないかもしれない。それでも、ここで――この山崎ぶたぶたというぬいぐるみと一緒に働きたいと思ったのだ。
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文庫版p.26

 人見知りの性格を何とかしたい。そう思って、親に内緒で海の家のバイトに申し込んだ高校生。だが店長から「親御さんのご許可はいただいてくださいね」と釘を刺されてしまう。バイトなんて絶対ダメ、の一点張りの母親をどうやって説得すればいいのか。店長がぬいぐるみだから大丈夫、って言っても説得力ないし。

 連作の舞台となる海の家「うみねこ」を紹介する導入話。


『きっと、ぬいぐるみのせい』
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「ぬいぐるみのせい」と言われてこんなものを見るとは――何これ、異世界? 何をきっかけに迷い込んだの? ふられたから? ふられたショック!?
「ふられた」って二度続けたら、ダメージでかかった……。
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文庫版p.67

 海にデートに来ていた男子高校生。だが、彼女は何かに怒って「あのぬいぐるみのせい」と言い残して帰ってしまう。が、しかし、思い当たるふしがない。なぜふられたんだろう。何が彼女をそんなに怒らせたのか。ショックのあまり手近な海の家にふらふらと入ってみると、いたーっ、動いてしゃべるぬいぐるみが、そこに。

 当人にとっては切実な恋愛相談、はたから見れば爆笑コメディ。男子高校生って、女性の気持ちがまったく分かってない、というか女性の気持ちがまったく分かってないことが分かってないよね。

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「ぬいぐるみだから気持ちがわかるんですか?」
「いや、ぬいぐるみの気持ちじゃなくて、彼女さんの気持ちですが」
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文庫版p.102


『こぶたの家』
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「ぶたぶたさんがサーフィンしてるのも見たんだよ」
「ええっ、そうなの!?」
 まばたきもしないビーズみたいな点目が、ちょっと見開かれたように見えた。こぶたなのかぬいぐるみなのか、あるいは人間なのか――どんどんわからなくなっていく。
 まあ、夢なのか現実なのかもわかんないけど。
「恥ずかしいな~」
 身体を両手(?)でくしゃくしゃにしている。これが「恥ずかしい」ってことなのか!
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文庫版p.137

 絵本『三びきのこぶた』に出てきたこぶたさんが、サーフィンしようとしてあっと言う間に波にさらわれるのを目撃した子供。嵐が来たとき、あのこぶたさんのお家が絵本のように壊れてしまうのではないかと心配して様子を見に来たところ、こぶたさんは「大丈夫、けっこう頑丈だからね」などと言いつつ、本人が風に飛ばされてしまう。ぴゅー。

 身体を両手でくしゃくしゃにして恥ずかしがる山崎ぶたぶた氏、今作最大の見せ場だと思う。


『思い出のない夏』
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 それより、あの海の家だ。父親がやっていたのとそっくりの海の家。
 いや、よく思い出してみれば、違う。屋根の形や色は微妙に違うし、建材も新しい。多分あれは、今年できたものだろう。
 でもなんだか、雰囲気がそっくりなのだ。気味が悪いほど。あれを見た時、一気に三十年くらい時間が巻き戻った気がした。一人ぼっちで父の海の家を見つめている小学生の頃の自分が見えたようだった。
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文庫版p.166

 幼い頃に両親から放っておかれ、寂しい思い出ばかりの故郷。そこに自分の子供を連れて戻ってきた男が、かつて両親がやっていたのとそっくりな海の家を見つける。外見もそっくり、店名も同じ。なぜ、どうして。混乱する父親、そして子供は波打ち際にぐったり落ちているぬいぐるみを拾うのだった。


『合コン前夜』
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 そういうことなんだろうな、と思う。あの店長とちょっとでも話をすれば、ネットに彼の情報を出すことをかえってためらってしまう。信じられないことだけれど、他の人にまで信じさせたいとは考えられなくなってくるのだ。
 ぬいぐるみだけど、ぬいぐるみじゃないというか――それより、あのかき氷おいしい、とか、新しいカフェに行きたい、とか、そっちに目が行くことになる。
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文庫版p.223

 合コンの幹事を務めている女性が、海の家へと下見にやってくる。注文した洋風宇治金時が絶品。でも、そのネーミングはないだろ、というかあんな軽いぬいぐるみがかき氷を運ぶというのは無理があるだろ、その前にぬいぐるみが歩いてしゃべるのってどうなの、っていうか、食べる前に写真撮るのを忘れてた!

 最終話は楽しいコメディ作品。店長の顔出しNGなので、みんな注文したかき氷を前に自撮りしつつ店長が見切れる角度で撮影してはせっせとSNSにアップしている、というのが妙におかしい。



タグ:矢崎存美
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『双花町についてあなたが知り得るいくつかのことがら paper version 4』(川口晴美:テキスト、芦田みゆき:写真、小宮山裕:デザイン) [読書(小説・詩)]

【稀人舎】小宮山裕さんのツィートより
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今回は普通の本です。ところどころこんなんなってますけど、ちゃんと綴じてあるし、順番になってるし、普通の本です。
https://twitter.com/kijinsha/status/873066723154382850
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最後の仕上げに、こうして、こうじゃ!
https://twitter.com/kijinsha/status/882434800404922371
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 2017年7月9日は、夫婦で江戸東京博物館に行って、詩の同人誌即売会「第21回 ポエケット」に参加してきました。そこで購入したものです。

 これは、『双花町についてあなたが知り得るいくつかのことがら』のスピンオフ作品。

 まず『双花町』というのは、電子書籍リーダーKindleで配信されている全6篇から構成された長編ホラーミステリ詩。不穏な言葉と、不穏な写真を、不穏な構成で組み合わせた、不穏な作品です。紹介はこちら。


  2014年10月08日の日記
  『双花町についてあなたが知り得るいくつかのことがら vol.1』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2014-10-08

  2014年10月21日の日記
  『双花町についてあなたが知り得るいくつかのことがら vol.2』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2014-10-21

  2015年01月27日の日記
  『双花町についてあなたが知り得るいくつかのことがら vol.3』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2015-01-27

  2015年06月09日の日記
  『双花町についてあなたが知り得るいくつかのことがら vol.4』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2015-06-09

  2015年07月27日の日記
  『双花町についてあなたが知り得るいくつかのことがら vol.5』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2015-07-27

  2015年09月03日の日記
  『双花町についてあなたが知り得るいくつかのことがら vol.6』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2015-09-03


 この、最初から電子書籍としてのみ配信された『双花町』の、"paper version"という謎めいた存在。といっても電子書籍を紙に印刷したものではなく、『双花町』を構成しているテキストと写真を、『双花町』とは異なる方法で再構成したもので、デザイン担当の小宮山裕さんのこだわりが形になっちゃったという作品。

 "paper version 1"は入手し損ねたのですが、"paper version 2"および"paper version 3"の紹介はこちら。


  2015年07月06日の日記
  『双花町についてあなたが知り得るいくつかのことがら paper version 2』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2015-07-06

  2016年08月02日の日記
  『双花町についてあなたが知り得るいくつかのことがら paper version 3』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2016-08-02


 これまでの「紙片詰め合わせ」とか「カードデッキ」といった形式に比べると、今回の"paper version 4"は、小宮山裕さんが「普通の本です」と力説する通り、まあ普通かどうかは程度問題として、少なくとも薄い本の形をしています。

 しかしそこはやはりというか。折り込みページあり、破かれたページの切れ端が挟み込まれていたり、本編に登場する貼り紙が実際にテープで貼りつけられていたり、本編でくしゃくしゃにされた手紙のページが物理的にくしゃくしゃにされてたり。最後のやつが、こうして、こうじゃ! と叫びながら小宮山裕さんが働いた狼藉の跡です。

 写真とテキストの組み合わせ方も本編とはまた違った不穏さをかもしだしています。あくまでディスプレイに表示される本編とは別に、手の中にブツとして存在する冊子、それも乱暴に破かれたりくしゃくしゃにされたりした痕跡が残るその不穏さには、また格別なものがあります。


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『ホサナ』(町田康) [読書(小説・詩)]

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 どうかこの世が正気でありますように。その正気に守護されて私の犬が無事でありますように。
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単行本p.491


 シリーズ“町田康を読む!”第59回。

 町田康の小説と随筆を出版順に読んでゆくシリーズ。今回は、救いを求め穢土を彷徨う長篇小説にして、宗教的救済をテーマとする現代の旧約聖書、『告白』『宿屋めぐり』に続く集大成的大作です。単行本(講談社)出版は2017年5月、Kindle版配信は2017年6月です。

 『宿屋めぐり』から九年、ついにやってきました。「ホサナ」とは、キリスト教の公的礼拝で使用されるヘブライ語で、「私たちを救ってください」という意味だそうです。ちなみに本書の最終章のタイトルがそのものずばり「私たちを救ってください」。救いたまえ、我等を救いたまえ。

 罪から救われたい、煩悩から救われたい、この狂った世界から救われたい。罪と祈りの物語が展開してゆきます。


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 あんなことをしなければよかった。あんなことをいわなければよかった。
 激しくそう思ったが、もう遅かった。
 言ってしまったこと、やってしまったことを、なかったこと、にはできなかった。となれば後は、忘れ、に期待するより他ないが、まだあまり時間が経っておらないため、記憶は生々しく蘇り、その都度、精神が苦しかった。
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単行本p.81


 他人に負けたくない。そんな拘泥を捨て去り、目指すは真の「抜け作」。日本くるぶしから使命を与えられ、穢土を彷徨いながら、栄光と現報とひょっとこの限りを尽くす語り手は、はたして犬の境地に到達できるのか。そしてその先に救済はあるのか。愛犬家ってどうしてやたらとバーベキューパーティやりたがるの。何だかよくわからない。


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「あーん。わからないのか、そんなこともわからないのか。もう一発、殴ってみたらどうだ。俺の頬が餅のようにビヨヨンと伸びるほどに。できやしないだろう。俺がさっき洒落や冗談で『おーい中村君』を歌ったと思っているとしたらそれは正解です。洒落や冗談で歌ったんだよ、俺は。ただまったく意味がないわけではなくて、一見、無意味な言葉や会話や情景が連なっているように見えてそのなかには実は重要な意味が隠されている。それを発見するのが生きるということだ。それができないであてがい扶持で満足するならそれは奴隷の人生だ。この場合で言うとそれは、伝書鳩、という Word さ」
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単行本p.625


 愛犬家の集うドッグランに参加した語り手は、光柱となった栄光に焼き尽くされ一瞬で消滅する。日本くるぶしから「蒸しずし食うな、人々に正しいバーベキューを食べさせよ」と命じられたもののとりあえずなかったことにして蒸しずしなど食していたところ、たまたまコンビニ強盗を散々に打ち据えて交通事故に、路地を歩けば悪霊にとりつかれ公会堂ではひょっとこの群れに襲われるなどし、警察に助けを求めたら痴漢冤罪で逮捕、もうあかんので仕方なくバーベキューなど準備したものの、パーティーは地獄のような有り様になり果てる。こうなったら犬の保護施設を建てる資金として400万円を振り込むしかないと言われ激怒した語り手はついに人を殺めてしまう。したところ犬の保護施設は大成功。今や犬と意思疎通できるようになった語り手は若干の栄光を浴びるが長くは続かなかった。しかし犬芝居を通じて語り手はついに宗教的開眼に至る。それは抜け作への道だった。


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 そう思うとき私はよろこびに輝いた。そしてすべてがストンと落ちた。それは私がずっと持ち続けていた、人に負けたくないという気持ちが落ちた瞬間であった。衰弱して抜け作になっていくこと。人について行くこと。火の側にいると同時に肉の側にいて人々の栄養となりエナジーとなること。それらを悪しきこと。或いは無様なこと。屈辱的なこと。と、そう考え、保多木節を歌い狂っていた、その気持ちが黒い丸孔にストンと落ち、次に上がってきたとき私にはもうよろこびしかなかったという寸法だ。
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単行本p.374


 しかれど語り手と愛犬は奈落へ落ちてゆき、竹が生えて絶叫し、荻原朔太郎の言いたかったのはこういうことなのかと、また腐ったひょっとこの死骸をかき分けかき分け進むなどの辛苦を重ねた末、ついに犬の導きを知るのだった。


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「俺はおまえがいまのようになるようにずっと努力していたんだ。おまえのくだらない虚栄心やおまえの不安や絶望をひとつびとつ取り除くのは本当に大変だった。それは誰にも理解されない努力だった。当のおまえさんにもな」
「なにを言っているのかぜんぜんわからない。おまえがばかな犬でないのなら主人の私を出口に導いておくれ。そして芝居がうまくいくように手伝って欲しいのだ」
「だからそういう問題ではなく、私はあのときからおまえをずっと導いていたといっているのだ。私を誰だと思っているのだ」
「おまえは私の犬」
「ちがう。おまえが私の犬と知れ。そして我こそはなにをかくそう……」
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単行本p.393


 だが進撃の光柱によって世界はおおむね滅びてしまう。犬とは離れ離れになり、毒虫にやられ、何もかも狂った世界に迷い込んでしまう語り手。救済への道はなお遠く、受難は果てしない。だが真の抜け作の境地をめざして他人様に散々迷惑などかけながら犬道をゆく。


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それにつけても恐るべきは光柱の放つ energy で、あの暴れ狂う途轍もない energy は国土軸のみならず、国土と国土周辺の時間軸をもへし折り、渚の向こうとこちらに時間の断崖のようなものを拵えてしまったのである。
 このことが将来的にどんな災厄をもたらすのか。考えるだけで恐ろしく、一時的に頭がおかしくなって、闇の中で泣きながら汁なし饂飩を食べているような気持ちにドシドシなっていく。っていうか、もうなっている。
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単行本p.547


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いろんなことを体験するなかで、抜け作であること、いやさ、抜け作であろうと意志して、そして意志したとおりの抜け作になること、それを不断に繰り返すこと、いわば永久革命論的な抜け作への飛躍以外に生きる道はない、それこそがこんな言い方をするのは痴がましいが、菩薩行に近いのではないかと、ひりひりと悟って、何度かの失敗を経て、これを実践中であったからだった。
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単行本p.519


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 ここまで抜け作になっていながらそれに気がつかなかったということがどういうことを指しているのかというと、私がどうしようもない愚物であるということを指しているのは間違いのないことだ。何度も何度も間違いを指摘され、また、失敗をして大怪我で入院をしたり騙されて財産をなくしたりして、その都度、今度こそ、本当の抜け作になろう、いやさ、なった、と思い込み、でもちょっといい感じになるとすぐに有頂天になって、自分は光に召喚されたと天狗になって高級ブランドを着て都心部を歩き回るなどしていた。その反動で、あがった分だけ落ちて落ちて、人望もなくなり、ついには犬とも離れて虫に襲われ、それで今度こそようやっと本当の抜け作の心にいたったかと思ったらいまようやっとこんな基本的なことに気がついて衝撃を受けている。
「でも、希望を持っていいのよ。っていうか、希望しかもう持てないと思うのよ」
 と、ついに女の人が私の顔を見て言った。
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単行本p.525


 時間も空間も人心もすべて狂った世界で、語り手は愛犬と再会できるか。そこに救済はあるのか。ラストはマジ泣けるので覚悟しておけよ。

 というわけで、小説だと思って読めば困惑するやも知れませんが、聖書だと思えばいやますありがたさ。様々な古典の風格もそこはかとなく。活き活きとした語りが爆笑と狂騒をともないつつ宗教的法悦へと読者を導いてゆく様は、文学すげえな文学。おい。


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「先生の文章はいっけん、なにを言っているのかよくわからないし、もしかしたらこの人はなにも言ってないのではないか、なにも考えてないのではないか、と思うのですがよく読むといっぱい考えて、なにも言わないでおきながらすべてのことを言っているのでは? と思わせる、なにか、があります。そこが多くの人を引きつけてやまないところなのですね。少なくとも私はそう思いたいです。無理ですけど」
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単行本p.242



タグ:町田康
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『裏世界ピクニック ファイル5 きさらぎ駅米軍救出作戦』(宮澤伊織) [読書(SF)]

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「おまえらが裏世界に行くのは勝手だけど、あたしはもう絶対行かないからな」
「ですよね。わかってます」
 私は鳥子と顔を見合わせて頷いた。
「今日来たのは、次の探検──きさらぎ駅米軍救出作戦の相談のためです」
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Kindle版No.188


 裏世界、あるいは〈ゾーン〉とも呼称される異世界。そこでは人知を超える超常現象や危険な生き物、そして「くねくね」「八尺様」「きさらぎ駅」など様々なネットロア妖怪が跳梁している。日常の隙間を通り抜け、未知領域を探索する若い女性二人組〈ストーカー〉コンビの活躍をえがく連作シリーズ、待望のセカンドシーズン開幕。ファイル5のKindle版配信は2017年6月です。

 『路傍のピクニック』(ストルガツキー兄弟)をベースに、日常の隙間からふと異世界に入り込んで恐ろしい目にあうネット怪談の要素を加え、さらに主人公を若い女性二人組にすることでわくわくする感じと怖さを絶妙にミックスした好評シリーズ『裏世界ピクニック』。ファイル1から4を収録した文庫版の紹介はこちら。

  2017年03月23日の日記
  『裏世界ピクニック ふたりの怪異探検ファイル』(宮澤伊織)
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2017-03-23

 最初の四話はSFマガジンに連載された後に文庫としてまとめられましたが、セカンドシーズンは各話ごとに電子書籍として配信することになったようです。おそらく何話か溜まった時点で第2巻として文庫化されると思われます。

 さて、ファイル5はタイトル通り、「ファイル3 ステーション・フェブラリー」において裏世界に残してきた米軍を二人が救出に向かう話です。圧倒的な戦闘力を持つ軍を民間人が救出に向かうというのも変な話ですが、語り手である紙越空魚が持っている「視る力」なしには、どんなに火力があっても無意味。逆に、彼女の支援さえあれば、敵地を突破できる可能性が出てくるのです。


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「本当なのか。それなら状況はまったく違うものになる」
「脱出できますよ、少佐」
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Kindle版No.463


 救出の見返りに強力なアサルトライフルを手に入れた空魚。元ネタの一つであるゲーム『S.T.A.L.K.E.R. Shadow of Chernobyl』で、“フルオート射撃可能な狙撃銃”というチートっぽい銃器を手に入れたときの喜びがふつふつと。

 しかし、ここは裏世界。よく分からない怪物たちの猛攻を退け、もちろん待っているに違いないラスボスを倒すことなしに脱出できるほど甘くはありません。果たして救出作戦は成功するのか。今回のラスボスはどのネットロア妖怪なのか。


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 寄り添う私と鳥子の前まで少佐がやってきた。
「温存してきた燃料をすべて使う。君たちが最後の希望だ。われわれを家に連れ帰ってくれ」
 気圧された私は、何も言えずに頷いた。
――――
Kindle版No.604


 語り手である空魚のどこか歪んだやばい感じ、主役二人の関係性(一部読者は大いに期待しているらしい)、「裏世界と関わっている民間団体」という新たに明かされた設定、そして空魚が手にいれた強力な銃器。新たな要素は、シリーズをどの方向に引っぱってゆくのか。

 というわけで、「得体の知れない怪異に怯える」という感じだったファーストシーズンに対して、ファイル5はど派手なドンパチから始まります。これがファイル3の「後片付け」の回なのか、それともセカンドシーズンの基調となるのか。今後のシリーズ展開を楽しみに待ちたいと思います。



タグ:宮澤伊織
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『うとぅ り』(関かおり、PUNCTUMUN) [ダンス]

 2017年6月30日は夫婦でシアタートラムに行って関かおりさんの新作公演を鑑賞しました。関かおりさんを含む10名が出演する75分の作品です。


[キャスト他]

演出・振付: 関かおり
出演: 北村思綺、後藤ゆう、小山まさし、清水駿、鈴木清貴、髙宮梢、矢吹唯、山田花乃、吉田圭、関かおり


 丸く区切られた舞台。奥手側は半円状の「すだれ」で仕切られています。この丸いエリアに出演者たちが唐突に入ってきて、うねうね~と人外な動きを披露し、またふらふら~と舞台袖やすだれの向こうに消えてゆく。常に何人かは舞台上で蠢いていて、数名ずつの出入りによって舞台上にいるメンバーがゆるやかに交替してゆく。

 丸いエリアを観客席から見下ろす感じが、まるで顕微鏡をのぞいたときの視界のよう。

 その不思議な、人間のものとは思えない、しかし生物として説得力のある動きを見ていると、どうしても「謎の微生物のコロニーを顕微鏡で観察している」という印象を受けます。ときどき背景音(チリンチリンという金属音、羽虫がざわざわ蠢いているような羽音、一度だけ何か重い物体を床に倒す音が響いてびびった)が流れる他は、終始無音、という演出もその印象を強めます。舞台衣装も生物的で素敵。

 とにかく動きが素晴らしく冴えていて、同じ振りが繰り返されるということがほとんどないのです。人間のものではない、が、微生物だと思えば分かる、そんな不思議な動きを、あれだけ沢山つくり出すというのがそもそも凄い。実際に踊ってみせる出演者たちも凄い。骨格で支え筋肉で動かす、というヒトとしての基本をてんでなかったことにするような勢い。

 ほとんどの場面は無秩序というか、微生物なりの理に基づいて、うねうね、くねくね、ゆらゆら、ひょこひょこ、ぴくぴく、している個体の集合なのですが、ときどき創発というか自己組織化というか、秩序や構成のようなものがさり気なく生まれて、やがてまたカオスに戻ってゆく。唐突に個体が別の個体に飛びついて合体する(と思ったらときに床に落とす)とか、数個体が何だか変な具合に連結したまま蠢く(生殖しているのか捕食しているのか群体を構成しているのか、何だかよく分からないけど、きもかっこいい)とか。

 黙ってじっと観察しているうちに、生物として在る、というキホンを思い出してゆくような、不思議な感覚が込み上げてくる舞台です。



タグ:関かおり
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