SSブログ
映像(コンテンポラリーダンス) ブログトップ
前の5件 | 次の5件

『カラヴァッジオ Caravaggio』(マウロ・ビゴンゼッティ振付、マラーホフ、中村祥子、ベルリン国立バレエ団) [映像(コンテンポラリーダンス)]

 現代イタリアのコレオグラファ、マウロ・ビゴンゼッティ(Mauro Bigonzetti)の作品『ロメオとジュリエット』がちょっと気に入ったので、彼の作品をさらに観てみました。

 『カラヴァッジオ』はビゴンゼッティがベルリン国立バレエ団のために振り付けた作品で、マラーホフとポリーナ・セミオノワが中心となって、それに中村祥子さんも重要パートを踊るという豪華な舞台。収録は2008年12月です。

 カラヴァッジオ(ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ)は16世紀から17世紀にかけて活躍したイタリアの画家で、バロック絵画の先駆者として高く評価されているそうです。あとご本人は喧嘩っぱやくて暴力的なことで有名だったそうで、決闘で人を殺してしまいローマから逃げ出すはめになったという逸話が残されています。

 本作はそのカラヴァッジオの絵画にインスパイアされて作られたダンス作品なんですが、すいません、そもそもカラヴァッジオの絵を見たことがないもので、絵画との関係とかそこら辺はよく分かりませんでした。一応、明暗の対比、美しい色彩感覚、写実的な肉体表現、暴力、といったあたりを念頭に置いて観ればいいかと思います。

 さて、全体は二幕から構成されており、特に明確なストーリーはありませんが、一幕は明るい雰囲気、二幕は暗く暴力的な雰囲気になっています。舞台装置はほとんど何もなく、真っ暗な舞台に見事な照明だけ(この照明は素晴らしく、魔法のような効果をあげています)で宗教的空間を作り出してしまう鮮やかな手際には感動です。

 一幕では、美しい群舞とマラーホフらのパ・ド・ドゥが交互に踊られます。華やかな群舞は実に楽しく、いかにもビゴンゼッティらしくスピーディに次から次へと場面が転換してゆきます。それが二幕になると、いきなり内省的というか宗教的というか、贖罪あるいは復讐の物語となり、底知れぬ闇の中から次々と現れる過去の記憶だか亡霊だかに翻弄され血まみれになって息絶える衝撃的なラストへと。

 美しく華やかな場面と、凄惨なまでの暴力表現(特にラスト近くの刃傷沙汰)の対比はすさまじく印象的で、徹底的にダンサーの肉体を見せることにこだわるとこもビゴンゼッティらしさにあふれています。

 何しろブルーレイディスク画質なので、例えば腰布一枚つけただけのマラーホフが踊るとき、腕の産毛から、胸の筋肉が皮膚の下でむりむり動いている様子まで、何とも鮮明に生々しく映し出されるのが、うーん、えぐいというか、ファン感涙もの。しかし、マラーホフのダンス、これが四十代の肉体、動きだとは到底思えないくらい、ものすごい存在感でした。

 マラーホフとポリーナ・セミオノワはもちろん凄いのですが、個人的に嬉しいのはやはり中村祥子さん。出番はさほど多くなく、一幕の後半のパ・ド・トロワ、二幕の前半のパ・ド・ドゥ、そしてラストシーケンス、つごう三回の登場シーンはもう必見。というかここだけ繰り返して観ました。

 中村祥子さんの、きびきびした伸びやかな動きは観ていて爽快ですし、ポーズの美しさと姿勢保持には魂もってかれそうな感銘を受けます。やっぱりいい。他に中村祥子さんの市販映像はあんまり出てないような気がするので、彼女のダンスをじっくり堪能できるブルーレイディスクは貴重です。

 というわけで、ベルリン国立バレエ団メンバーの若々しい魅力(と肉体)を見せつけてくれる素晴らしい舞台映像で、特に、マラーホフ、セミオノワ、中村祥子のファンはとにかく必見です。

[出演]

ウラジミール・マラーホフ
ポリーナ・セミオノワ
ベアトリス・クノップ
ミハイル・カニスキン
ドミトリー・セミオノフ
エリサ・カリッロ・カブレラ
中村祥子
ミヒャエル・バンジャフ
レオナルド・ヤコヴィナ


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:演劇

『ロメオとジュリエット Romeo & Juliet』(マウロ・ビゴンゼッティ振付、成澤幾波子、アテルバレット) [映像(コンテンポラリーダンス)]

 現代イタリアのコレオグラファ、マウロ・ビゴンゼッティ(Mauro Bigonzetti)率いるカンパニー・アテルバレット(Compagnia Aterballetto)の舞台映像を観てみました。収録は2006年10月です。

 まず印象的なのは、イタリアの現代アーティスト、ファブリッツィオ・プレッシ(Fabrizio Plessi)が担当した舞台美術。LEDディスプレィを組み込んだオブジェを得意とする現代アート作家だそうで、照明や衣装から、大がかりな舞台装置に至るまで、デジタル感あふれるシャープな色と光が観客の視覚を揺さぶってきます。

 マウロ・ビゴンゼッティの振付演出もスピード感いっぱいの鋭いものになっていて、どのくらいのスピードかと申しますと、幕が開くとロミオとジュリエットがいきなり死んでます。早い、早いよ、ビゴンゼッティ。

 やがて舞台に登場するのは、下着の上に威嚇的なプロテクターを装着して、見るからに殺気だったダンサーの方々。忍者かテロリストみたいに覆面をしている者もいます。誰もが全身から暴力の気配をむんむん発していて、もう殺る気まんまん。背景に「世紀末救世主伝説・・・」と表示されても少しも違和感のないたたずまい。

 そして真っ黒なフルフェイスをかぶった男(ティボルトかも知れませんがそもそもこの舞台には配役というものはありません)が登場。ヘルメットを脱いで、それを履くというか、足首に装着します。その上に体重をかけて、丸いヘルメットの上に、ちょっとぐらぐらしながら一本脚で立ち上がって、皆殺しのダンスを激しく踊り出すのです。舞台の床をヘルメットが、ごすん、ごすん、と叩きつける音も迫力に満ちており、何にせよ色々な意味で恐ろしい振付です。

 プロテクターを装着したダンサーたちによるフットボール試合のようなぶつかり合い、乱闘じゃなかった激しいダンスに目を奪われます。そしてバルコニーではなく巨大なウインドマシーンの中でのロメオとジュリエットの逢瀬。上になったり下になったり。そしてまたもや暴力。死。次から次へと繰り広げられる(何組もいる)ロメオとジュリエットの濡れ場。

 古典『ロメオとジュリエット』からその本質(セックス&バイオレンスですよもちろん)だけを抽出し、その他はあっさり捨てて、直線的に展開するストーリーもなくして、ひたすらバイオレンス・セックス・死、バイオレンス・セックス・死、というリズムを刻むような構成で、とってもコンテンポラリー。

 死んでしまった何組ものロメオとジュリエット、というか大量虐殺の現場みたいな舞台から一組のロメオとジュリエットが立ち上がり、舞台に登場した巨大な山を登ってゆくラストシーンまで一気に駆け抜けます。

 精神や魂のようなものは一切なく、ただ肉体だけがある舞台にふさわしく、最後の愛の試練もひたすら肉体酷使。ファブリッツィオ・プレッシ製作のデジタル山河を乗り越えてゆくシーンは実に感動的だったりします。

 アテルバレットのダンサーはいずれも観客を圧倒するような存在感があります。個人的には、成澤幾波子さんを見ることが出来て嬉しい。

 というわけで、間違いなく好き嫌いが分かれるであろうとんがった舞台ですが、私はマウロ・ビゴンゼッティのシャープな振付演出が大いに気に入りました。他の作品も観てみたいものです。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:演劇

『バウンド&アブソリュート・ゼロ 勅使川原三郎のダンス世界』(勅使川原三郎、ジャン・シュミット=ガレ監督) [映像(コンテンポラリーダンス)]

 さあ、いよいよ今日から、勅使川原三郎さんのダンス公演『オブセッション』が始まるぞ、と気負い込んでみたものの、諸般の事情からついに観に行けない私。今はただ、劇場に行った方々の感想を楽しみに待って静かに暮らす所存でございます。

 でも、このままでは悔しいので、勅使河原さんの作品が収録された映像を観てみました。

 というわけで、日本を代表するコリオグラファ、勅使川原三郎のダンス映像作品集です。『バウンド』と『アブソリュート・ゼロ』、それにメイキングとインタビューで構成されたドキュメンタリーフィルム『スティル・ムーヴ』の三本。収録は2002年(ドキュメンタリーフィルムのみ2003年)。

 『バウンド』は、ドイツの作家イルゼ・アイヒンガーの『縛られた男』を原作として、勅使河原さんが振付演出したダンス作品。ジャン・シュミット=ガレが映像作品として監督し、イルゼ・アイヒンガー自身が原作を朗読します。

 理由は不明のまま縛られた男が、縛られているがゆえの独創的で自由な動きを獲得し、サーカスの人気者となる。縛られた男の不思議な存在感は一人の女性を魅了し、さらに男は縛られたまま森に住む狼とも互角に戦う。

 ついには狼までもが縛られた男の動きに魅せられ、次第に敵や獲物というより仲間意識のようなものを抱くようになってゆく。しかし、男と狼が戦っているのを見た女は、男を助けるために彼の縛めを切り、狼を撃ち殺してしまう。男と狼の魔法的な絆は絶たれ、残されたのはもはや縛られてないがゆえに何の魅力もない凡庸な男と、息絶えた狼のみであった。

 というようなストーリーを背景に、勅使河原さんが「縛られている」という設定で関節の動きを極端に制限した奇怪なダンスを踊ります。夕刻の草原で。深夜の森で。縛られた男のぎこちない動きは、いつしか(原作の通り)不思議な魅力を獲得してゆきます。この不自由さの中から生ずる動き、最初はぎくしゃくとした発作的なもがきに見えた動きが、独創的で感動的なダンスに見えてくるのは本当に不思議な体験です。

 美しく優雅でありながらどこか不安を感じさせる狼のダンスを踊ったホセ=マリア・ティラド・ネヴァドも素敵。二人が戦うシーンは長く記憶に残ることになりそうです。

 もう一本の『アブソリュート・ゼロ』はもう完璧というしかない見事な作品。アブソリュート・ゼロとは絶対零度、あらゆる物質が凍りつき全ての分子が動きを止める(物理世界では決して到達することが出来ない)状態を指します。

 ゆらゆらとしたクラゲのような手の動き、海水のうねりのような身体のひねり。これまで見たことがないような気がする幻想的な動きが展開し、やがては観客の意識も、いや時間そのものが停止して刹那の永遠に閉じ込められてしまう、そんなダンス。観ていて神秘的とか幻想的とかいうより、むしろ怖かったです。

 「縛られているがゆえの自由」を表現する。「動きのない静止状態」を表現する。いずれもそれはダンスじゃ無理だろ、と思える矛盾した課題に取り組んで成立させてしまった二作品。うーん、ダンスによる身体表現ってやっぱ凄いです。

 最後の『スティル・ムーヴ』は、まあオマケというか、ご本人や他のダンサーや舞踏評論家たちが勅使川原三郎のダンスについて語ったインタビューが中心となっています。ほんのちょっとですが、お気に入りのアクラム・カーンが登場するのが嬉しかった。

[出演]

『バウンド』

男 : 勅使川原三郎
女 : コリンナ・ハルフォウク
狼 : ホセ=マリア・ティラド・ネヴァド
朗読: イルゼ・アイヒンガー
演奏: フィッツウィリアム弦楽四重奏団

『アブソリュート・ゼロ』

勅使川原三郎、宮田佳


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:演劇

『オルフェウスとエウリディケ Orpheus und Eurydike』(ピナ・バウシュ振付、マリ・アニエス・ジロ、パリ・オペラ座) [映像(コンテンポラリーダンス)]

 グルックの有名なオペラの現代改作で、ピナ・バウシュが振付演出を担当し、パリ・オペラ座バレエ団が踊った2008年収録の舞台映像です。(アマゾンではタイトルが"Orpheus Und Eurydice"と登録されているようなので、検索の際には注意して下さい)

 昨年のピナ・バウシュ死去というニュースに、コンテンポラリーダンス界には衝撃が走りました。コンテンポラリーダンスの歴史に多大な影響を与えた偉大なコリオグラファですが、今もなお精力的に作品を創り続けているという印象が強く、まさか死ぬなんて、信じられないような思いをした人が多かったのではないでしょうか。

 来月はヴッパタール舞踏団が来日してピナ・バウシュ追悼特別公演を行うことになっており、もちろん私も観に行く予定です。

 というわけで、予習をかねてピナ・バウシュの割と新しい作品をDVDで鑑賞しました。ダンスオペラです。舞台上ではオペラ歌手がグルックの名曲をとうとうと歌いあげ、パリ・オペラ座バレエ団のダンサーたちが踊ります。

 オルフェウス役の踊り手はヤン・ブリダール(Yann Bridard)、エウリディケ役の踊り手はマリ・アニエス・ジロ(Marie-Agnès Gillot)。ヤン・ブリダールは全幕を通して踊りますが、われらがジロ姉さんは、第一幕はずっと死んで壁に架かっているだけ(遺体が柩の中に横たわっている様を上から見下ろしているように観客の目にはうつる)、第二幕も後半にちょっと踊るのみで、本領を発揮するのは第三幕です。

 ピナ・バウシュの振付演出はやっぱり素晴らしく、ダンスの動きは現代的なのに、舞台全体には古典の風格が漂っています。ごくシンプルな舞台装置、人生を表す糸、背後に置いてある歪んだ鏡といったもので、舞台を神話的な空間にしてしまう手際には感嘆させられます。

 特に印象的だったのは第二幕における「楽園」の群舞で、これは目を奪われるほどの美しさ。いよいよジロ姉さんが登場して踊り始めるやもう頭の中まで楽園に。

 第三幕では舞台装置も何もない空虚な舞台上で、オルフェウスとエウリディケの心理劇が展開されるわけですが、ここはもうピナ・バウシュらしさがほとばしっています。

 自分の方を見ない、話しかけても口をきいてくれないオルフェウスに対して段々と不信感を募らせてゆくエウリディケ。強い愛で結びついているはずなのに、どうしても心底から信じることが出来ない、コミュニケーションがとれない苦しみ。その苦悩と悲嘆が、あますところなくダンスで表現されます。ああ、しみじみピナ・バウシュだなあ。

 ついにオルフェウスが振り向いて一度だけ抱きしめ、そして永遠にエウリディケを失ってしまうシーンは劇的ですが、今観るとどうしてもそこに「ピナ・バウシュの死」が重なってしまい、オルフェウスの絶望と嘆きにそういう意味で感情移入してしまいます。

 ちなみに、オリジナルのオペラでは神々が憐れんでエウリディケを生き返らせてくれてハッピーエンドなんだそうですが、もちろんピナ・バウシュの演出ですからそんなことにはなりません。

 ヤン・ブリダールの控えめで抑制の効いた表現には好感が持てますし、マリ・アニエス・ジロのダンスはもうこの世のものとも思えぬ素晴らしさ。ただ、あまりに威風堂々としているため、第三幕の二人が「ちゃんと自分を見ろと脅迫しまくる筋肉質のエウリディケ、背後からの威圧感に身の危険を感じてついつい振り向いてしまう気の毒なオルフェウス」みたいに感じられるのが、ちょっとあれかも。

 というわけで、演出の格調高さ、スケールの大きさ、舞台美術や衣装の美しさ、パリ・オペラ座による完璧な群舞、そしてギリシア神話のモチーフを現代に生きる誰にとっても切実に感じられるテーマとして見せてくれた演出。おそらくオペラのファンも、クラシックバレエのファンも、むろんコンテンポラリーダンスのファンも、誰もが楽しめるであろう素晴らしい舞台映像です。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:演劇

『Double Bill』(ホドリゴ・ペデルネイラス振付、グルーポ・コルポ) [映像(コンテンポラリーダンス)]

 2008年にはデボラ・コルカー・カンパニー、2009年にはグルーポ・ヂ・フーアの来日公演を観て、すっかりブラジルのコンテンポラリーダンスの魅力にやられてしまいました。2008年のグルーポ・コルポ来日公演を見逃してしまったのが、今さらながら悔やまれます。

 というわけで、グルーポ・コルポ(Grupo Corpo)の舞台映像を手に入れて観てみました。"BACH"と"O CORPO"という二つの作品が収録されており、いずれも振付はホドリゴ・ペデルネイラス(Rodrigo Pederneiras)です。

 最初の"BACH"は、タイトル通りバッハの名曲がメドレー風に次から次へと流れる中、ダンサーたちの群舞が続く作品。

 舞台には様々な長さの細い棒が何本も上から垂れ下がっています。ときどきダンサーが棒によじ登ったりすることもあります。様々に変わる色彩の照明で染め上げられたシンプルな舞台上で、ダンサーたちはリズミカルに手足を振り、跳び、旋回し、熱帯魚の群れのように鮮やかな印象を残してゆきます。

 並んだ棒は五線譜、ダンサーたちは音符、作品全体はバッハの楽譜を連想させます。テンポが早く、動きも激しいので、一度観ただけで細部までとらえるのは難しそう。

 もう一本の"O CORPO"も似たような抽象ダンスで、そのリズムとノリの良さにしびれます。照明や光線の使い方も印象的です。

 両作品とも、とにかく観ていて問答無用に気持ちがいいダンスです。コンセプトだの理屈だの抜きに、とにかく動く、動く。観ていてわっと心が浮き立ち、手足がびくびくしてくるような。似たようなシーンが延々と続くにも関わらず少しも飽きがこない。いつまでも観ていたい。そんな気になる魅力的な舞台です。

 やっぱりブラジルのカンパニーは凄い。グルーポ・コルポの次の来日公演が待ち遠しい。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:演劇
前の5件 | 次の5件 映像(コンテンポラリーダンス) ブログトップ