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『国境とJK』(尾久守侑) [読書(小説・詩)]


――――
眠りから目覚めるといつも灰色のつめたい教室にいる。名前をうしな
ったわたしたちは蠟のように固まった臙脂の制服をきて、なにも語ら
なかった。昨日から新たにうごかなくなった制服姿が三つあることを
なんとなくで察知して、心もち身体を近づけ合う。国境の街、寒波と
感染症の閉ざしたこの街でわたしたちは名前をうしなった。
(ここにおいていこう)
わたしたちの誰かが呟くと、誰かが立ち上がり、教室の扉をひらく。
廊下にもたくさん動かなくなった制服がおちていて、でもわたしたち
は歩いていく、きめていた。わたしたちは今日、国境をめざす。
――――
『国境とJK』より


 仲間の死体をまたぎ越し、傷つき血を流しながら戦場を歩き続ける。女子高生という苛烈な試練を生き延びようと必死にもがく若者たちの姿を描く青春詩集。単行本(思潮社)出版は2016年11月です。


――――
海の家がいきおいよく燃えている。反射してちらちらひかる海面と、
沖へにげていくこどもたち。炎はかれらをつつんで水平線へと一直線
にのびる道になる。やっぱり息がしろい、雪だ、燃えるこどもに粉雪
がふる。そう、わかっていた。渚でいちばんかなしい物語が、いまか
ら始まるなんてことは。
――――
『ナギイチ』より


 今の日本で女子高生をやっているのは、戦場に身を置いているようなもの。傷つけられ、心を殺されながら、それでも歩いてゆくしかない彼女たちの、痛々しい姿。あっちにも、こっちにも、戦死者と難民ばかりがあふれて。


――――
ポニーテールをほどいて
急行を待つ、たとえば下北沢駅に流れる
発着のメロディ、それから
忘れないでほしい。このリボンのネイビー
わたしは、決して伝わることのない
開戦のしらせを家族と
友達全員にメールで送って
携帯をホームから投げ捨てた
線路にもたれた液晶の表示する
04:48
たたかうための電車に
いま、のるところだった
――――
『透明な戦争』より


――――
あんなに明るい子だったのにね
こわいわね
おばさんたちの世間話だけが
すぐ横を通り過ぎて
いない人の話をしているのだと知れた
それで窓にならんだ顔がいっせいに
色々に変な表情をして
秋になった
校庭に、色のないセーラー服が
いくつも脱ぎすてられていて
それに触ったら、どうなるかしれないと
よけながら校舎の入り口に歩いた
――――
『YUKI NO ASA』より


 その頃、同年代の男子は何を考えているのでしょうか。


――――
 みらいとは湾岸に輝くヨコハマの、かはたれどきを彩るショコラのあじ
に似て苦く、むかし壊れたワーゲンを走らせるとよがるようにして波打つ。
きみにあいたいというのはほんとう? FMラジオはうそしか云わないか
ら、過去につながる交通情報をブロックして十年さかのぼる。
――――
『84.7』より


――――
雨宿りをする
二年前、出会った日のきみがいた
雨があがって
蟬が鳴いて
潮の匂いがむっとたちこめる
ふたりむきあったまま
ソニーのヘッドホンを外すと
外気に染み渡っていく夏のメロディ
県道を挟んでぼくらはもう
別々の海街にいた
――――
『海街』より


――――
           きみは。僕の背中に摑まって、ライダースジ
ャケットに乱反射する海を後部座席からみていたね。あのころ二百キ
ロで世界を置き去りにしながら捨てた新品のNOKIAは今でも遺失
物係と通話中のままで、だから僕はときどき訛りのない言葉できみに
話しかけてみる。もしもし、僕は何をわすれたのでしょうか……
――――
『コールドゲーム』より


 うん、まあ、男子高生の世界だわな。この年代の男女差というか溝というか生きる過酷さ切実さの違い。詩集全体が、その対比を強調するような構成に仕組まれているような気がします。そして戦場離脱後の、絶望的な距離感。


――――
 眠りつづけていると東京の喧騒が溶けてくる感覚がある。ここは都
心からは少し離れた郊外だけれど、雨のよるの渋谷の映像がきらりき
らりと、よくみえる万華鏡のように脳内を去来することが、ときたま
あった。どしゃぶりのハチ公前から、TSUTAYAにむかって歩いて
いくさやかさん。よくみると泣いていた。空が灰色だった。考えてみ
れば雨の日にあまり空は見ない。信号機をつっきって、ハイドロプレ
ーニング現象で魔法のようなうごきをみせるプリウスが、ゆっくりと
交差点に侵入していく。飲み込まれていくさやかさんは、来月二十三
になるはずだった。足元に転がった傘の花柄は妙に明るい。そこでま
たねむりに戻り、朝になる。
 白血病のこどもが、ぴゅーと指笛をふいてふざけている日曜日、お
昼の病棟。さやかさんはもう来ない。目をあかく腫らしたさやかさん
が、あの日、なにを考えて渋谷にいたのかをずっと考えているけれど、
ぜんぜんわからない。とてもかなしいけれど涙もでない。海のみえな
い病棟で、わたしはわたしのなかにもある潮の満ち引きに共鳴してい
た。
――――
『ナショナルセンター』より


――――
 答えはわかっていたけれど、冷たい歩道橋をかけぬけて時間ぴったりに
タイムカードを通した呼吸停止の五秒前、バイト先のコーヒーの匂いがし
みついたセーターに透明なメッセージがとどいて俺を貫通していく夕方が
おわり、じりりと鳴った目覚ましを叩き壊して起電力ゼロでむかう一限は
自主休講でちょっと可愛いコンビニ店員しかもう見えない。これから寝る
のにレッドブル買ったわ。と意味のないつぶやきを放ってサークル棟でだ
らつきながら一日がはじまって、おわっていく。明日もどうせはじまって
おわって、あさっても、無難なシャツにバーガンディのニットを合わせて
暖房をきってアパートを出て同じ道をチャリではしる、たぶん。
――――
『Sugar Campus』より


 というわけで、生き延びることが出来なかった者たちのことを思う詩集。そうでない者たちは、何であれ、みな幸せになればいいと思う。


――――
医者になってから、高校生のころはヲタクだからと見向きもしてくれ
なかったような女子がすきですなどと言いながら平気で近づいて来る
ようになったし、そのせいでかつてヲタクだった同僚はバーベキュー
とか花火とか、およそ縁のなかった世界の表側で活躍している。かわ
いい女の子を毎晩部屋に連れ込んで、それでいてしっかり者の育ちの
いい彼女は別にいて、週末に映画をみにいったりドライブをしたりし
ている。表側の世界は華やかだなあ、キラキラしているものしかなく
て、ヲタクはひとりもいないそんな世界が現実にはあるなんてこと、
いや、知ってたけど。
――――
『ヲタクになれなかった君たちへ』より



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『さあ、文学で戦争を止めよう 猫キッチン荒神』(笙野頼子)「群像」2017年4月号掲載 [読書(小説・詩)]


――――
 この地球で一番強く残忍で無残な力が、人間を汚染したいミイラにしたい家族をばらばらにしたい、子供が育つ前に潰して使って喰ってしまいたいという最悪の欲望に取りつかれながら、何もかもを数字にするためにだけ押し寄せてくる。経・済・暴・力。総理? 嬉しいだろ、「まだまだ余裕ある」日本の貧乏人が世界基準にそろえば、「ムダが省ける」からねえ。
――――
「群像」2017年4月号p.27


 シリーズ“笙野頼子を読む!”第109回。

 千葉の片隅でドーラなき日々を静かに生きる作家と猫、見守る荒神様。だが人喰い国家と世界銀行は戦争つれてやってくる。さあ、文学で戦争を止めよう。『ひょうすべの国』と『未闘病記』を背負い「今こそ」放たれる神変理層夢経シリーズ最新作「@群像なう」。


――――
 だから言おうよ、言うだけでもさ、だって「群像」は、本来、文学で戦争を止めるためにあるんだから。ね、戦後戦犯になりかねなかった、ここの版元が、平和憲法下で再出発するために作った雑誌なんだ。そこへ体に拷問の跡がある左翼が純文学のために協力したんだよ、書いて貰うまでは大変でしたって初代の編集長は言っていたはずで。そしてあれから七十年、ついに戦前、だったらこれ止めるためにずーっとここにあったんじゃないの?
――――
「群像」2017年4月号p.15


 これまで「文藝」「すばる」に掲載されてきた『神変理層夢経』シリーズ、その最新作がついに「群像」に掲載。荒神様もハッスル。「そういうわけで、僕@群像なう、つまり、ここは自由でしょ? だから僕はここで口を利くね。」(「群像」2017年4月号p.12)なので、「これ、台所話なんだ、台所ではなんだって語れるのだ、なぜかこの国ではここに偉いやつは入って来ないしね、ここなら戦争を止められるさ。」(「群像」2017年4月号p.16)ということで。


――――
 さあ、今こそ文学で戦争を止めよう、この、売国内閣の下の植民地化を止めよう。
――――
「群像」2017年4月号p.10


――――
 さあ、止まれ、今止まれ! 文学の前にこの戦前止まれ。そして「今こそ」文学は売国を報道する。だって新聞がろくに報道しないからね。
――――
「群像」2017年4月号p.11

――――
 こうなったらもう、報道より文学の方がよっぽど迅速だよ。ていうか僕の「飼い主」の命取るな。
――――
「群像」2017年4月号p.16


 荒神様、金毘羅、ギドウ、そして今は亡きドーラにいたるまで、様々な声が響きわたるなか、すべてを薄っぺらい数字に押しつぶし経済効率だけで語るものどもへの怒りをこめた糾弾と「お馴染みの退屈で素敵な、身辺雑記!」(「群像」2017年4月号p.12)が並行して語られます。


――――
ほら、人間まるごと、お金や数字と見なされて数え上げられ、毟られて喰われるんだよ。しかもそうして喰ったお金は人喰いの金庫、タックスヘイブンで固まって冷えるだけなんだね。格差は広がり、景気は一層悪くなって、つまりは「下方から」、死んでいく流れ。
(中略)
 世の中って何? ひとりひとりの事情が違う、でも、大きいものはやって来て「平等に」まき散らす、相手の都合を一切考えずにただやらかす、上からね、天からね、そして下では? 弱いものから死んでいく。その上ここはひどい国、人喰いの国、そしてここの家、そんな人喰いから見ると、「努力してない」家、「役に立ってない」家、だから罰を食らうかも。
――――
「群像」2017年4月号p.17、18


――――
 要は健康な人間なら仕事の合間にするようなただの整理整頓をこの慢性病患者は無上の幸福感で「無事」やっているわけだ。ともかくまず台所の模様替えを済ませたいのさ。台所に猫と快適に住めるようにしたいと。人喰いに怯えながらも良く生きるべし、と。つまり連中の目的は搾取、略奪だから。ならば幸福でいる事も威嚇で復讐だ。
――――
「群像」2017年4月号p.37


 『ひょうすべの国』と『未闘病記』を背負って、台所から戦いを挑む文学。ただ静かに「幸福」に暮らすことが威嚇で復讐になるほかはないひどい国。ドーラが、ギドウが、若宮にに様が、それぞれの声が、暮らしと命と文学を支えてゆく。特にドーラについては、読者も色々と思いだして泣く。しみじみと泣く。


――――
「ほら、ドーラいなかったらあなたいないでしょ、お礼は、ドーラにお礼は? ……嚙むわ、体重かけて嚙むわ、ばーか、ばーか」。いつも、思いだしているよ、ドーラ、ドーラ。
――――
「群像」2017年4月号p.74


――――
 気が付くと私は台所で書いている。ドーラの世界にいて、ドーラの話を打ちおえると、後ろのソファベッドに、離れた位置だけどちゃんとギドウがいる。死の世界はない。そして、生きている猫のその眠りは、というと。いや、結局それだっていつ死ぬかもしれないから。
――――
「群像」2017年4月号p.87


――――
 ああ、猫といる郊外の一軒家の、庭に花、昼の風呂、夜は星空。なのに、……。
 幸福な余生のはずが薬を奪われる? 戦争に突入する? 政府は文学部をなくそうとしているよ? 変な軍事研究なら大学でもお金出すといっているよ?
――――
「群像」2017年4月号p.106


 文学で戦争を止めよう。そういっただけで、わいてくるわいてくる客観公平中立冷笑マンの方々。文学でミサイル迎撃できるのかw、せっかくならあらゆる紛争も文学で止めて下さいよw、ってか。


――――
 あなたは気づいてない、人と自分の能力差とかばっかり気にしている、差別好きの、人の足ひっぱって暮らす妬み妖怪。でもあなたがそうやって他人を差別したり馬鹿にしたり冷笑したりしているうち、あなたの弱者叩きの結果、国は貧乏になり、戦争もやってくる。あなたには見えない、戦前が見えない。
 私はそれを知っている、だから不幸だ。あなたはそれを知らない、だから「幸福」だ、だったらさあ、安心して私をさげすみ、泣いている私を見たがって追い回しなさいよ。
(中略)
は? 文学に何が出来るのかだって、お前ら、原発とTPPの報道が「出来て」から言えよ、小説が「届かない」のはてめえらが隠蔽したからだろ。こっちは十年前から着々とやっていたよ。悔しかったらむしろ、お前らが文学に届いてみろ、小説を買いも覗きもしないで読む能力なくて、それで「文学に何が出来るんだ」じゃねえわい、ばーかばーかばーか。
――――
「群像」2017年4月号p.55、57


――――
切実な言葉にでも、それらすべてを単なるテキスト、表現としてしか受け止めない「学術的冷静さ」に溢れている。そんな彼らは無論、自分だけは特別でなんでも保留する。そのくせ「公平に、みんなの立場」で「未来を考えて」ものを言ったつもりでいる。また、常に反権力を気取り被害者のつもりでいる、当時に当事者意識というものがまったくない。
(中略)
最初はヲタクの受け身、と思っていた。消費一辺倒で世間知らず、故にどこへでもクレーム用語を垂れ流すのだと。しかし実はもっと本質的な正体があった。
 それは投資家の意識なのだ。こうなると性暴力と経済収奪、ヘイトスピーチはまったく三位一体に見えてくるものだ。要は弱肉強食のためのヘイトデマである。経済収奪のための、被害と加害との、逆転である。
――――
「群像」2017年4月号p.99、100


 家族のこと猫のこと難病のこと、国家に奪われない私的な祈りと信仰のこと。すべての「私小説」要素が、当事者意識に支えられ悲壮な覚悟となって、読者の心を強く打ちます。『ひょうすべの国』と合わせて、ぜひ読んでほしい作品です。


――――
 台所でギドウとの日常だけを静かに暮らしたい。しかしこの二階の情報は今後の私達に影を落とすもの。というより、弱くとも筆の力を持っている身なら少しなりとも、「報道」をするよ? というか、見えないものを見せる事こそ普通に(私の)文学だ。
(中略)
 そして、……私の「異様な」、「凄まじい」、「ものすごい」本は死んでも残る。書くことしか出来なければ、この戦前を書く。どのような醜いものをも、全部をよけないで書く。よけないでいてこそ、私の本は売れない。そして死後も残る。戦犯と言われたいか? 言われたくない! どうか百年後も読者よ私を見つけてそしてうっとりして、喜々として「ああ、誰も読んでいないのよ私だけが読むのよ(といってるやつがあっちこっちにいる事はともかくとして)」と呟いててください。
――――
「群像」2017年4月号p.90、108



タグ:笙野頼子
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『桜前線開架宣言』(山田航) [読書(小説・詩)]


――――
短歌が少数の人にしか読まれないって、どう考えてもおかしいじゃないですか。だって商業出版される小説の九割は、自費出版の歌集よりつまんないですよ。
――――
単行本p.269


 1970年以降に生まれた若手歌人40人をセレクト。それぞれの作風を紹介すると共に、一人あたり56首もの作品を選んで掲載してくれる現代短歌入門書。単行本(左右社)出版は2015年12月です。


――――
 文学なんて自分には縁遠いものだと思っていた。というか今も縁遠いと思う。でも短歌のリズムにはすっかりハマってしまったのだ。
(中略)
 僕は本が嫌いなのではなくて、「物語」があるものが嫌いなだけなんだと気づいた。音楽と同じ感覚で楽しめる本も世界にはあって、短歌はまさにそれだった。ほどなくして俳句も現代詩も好きになっていった。
(中略)
 しかしぼくは大きな勘違いを一つしていた。寺山修司から短歌に入ったぼくは、歌集というものをヤングアダルト、つまり若者向けの書籍だと思い込んでいたのだ。短歌が世間では高齢者の趣味だと思われていたなんてかけらも知らなかったし、実状をそれなりに知った今でも心のどこかで信じられない。どうせなら、ぼくと同じ勘違いを、これから短歌を読もうとする人みんなすればいいと思う。みんなですれば、もう勘違いじゃなくて事実だ。
 ぼくは短歌のおかげで大人にならなくて済んだから、今はとても楽しいです。
――――
単行本p.6、7、8


 教科書に載っているような古典ばかりが短歌じゃない。就活、バイト、ゲーム、アニメ。現代を生きる僕たちの心を揺さぶる色々なことを、だいたい31文字で表した、とびきりクールで面白い現代短歌の世界。1970年以降に生まれた若手歌人40人とその代表作を紹介する現代短歌入門にも最適な短歌アンソロジーです。

 掲載されている歌人は次の通り。一人につきそれぞれ紹介2ページ、作品4ページ(56首)が割り当てられています。

[1970年代生まれの歌人たち]

  大松達知
  仲澤系
  松村正直
  高木佳子
  松本秀
  横山未来子
  しんくわ
  松野志保
  雪舟えま
  笹公人
  今橋愛
  岡崎裕美子
  兵庫ユカ
  内山晶太
  黒瀬珂瀾
  斎藤芳生
  田村元
  澤村斉美
  光森裕樹

[1980年代生まれの歌人たち]

  石川美南
  岡野大嗣
  花山周子
  永井祐
  笹井宏之
  山崎聡子
  加藤千恵
  堂園昌彦
  平岡直子
  瀬戸夏子
  小島なお
  望月裕二郎
  吉岡太朗
  野口あや子
  服部真里子
  木下龍也
  大森静佳
  藪内喬輔
  吉田隼人

[1990年代生まれの歌人たち]

  井上法子
  小原奈実


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『ウイルスは生きている』(中屋敷均) [読書(サイエンス)]


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 ヒトゲノムの解読が完了して10年以上経つのですでに旧聞にはなるが、その成果の驚きの一つはゲノム中の「遺伝子」、すなわちタンパク質になる領域が約1.5%と極めて少ないということだった。一方、本書の主役であるウイルスや転移因子などは、ヒトゲノムで増殖を繰り返し、その約45%もの領域を占めるに至っていることも同時に明らかとなっている。こうなると、我々ヒトのゲノムとは一体、誰のものなのか? という気分になる。
――――
新書版p.125


 それは生物なのか、単なる物質なのか。生物進化史のなかでウイルスが果たしてきた役割に焦点を当て、生命観の拡張をうながす一冊。新書版(講談社)出版は2016年3月、Kindle版配信は2016年3月です。


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我々が「ウイルス」と聞いた時に頭に浮かぶ、「災厄を招くもの」というイメージは、決してウイルスのすべてを表現したものではない。生命の歴史の中で、様々な宿主とのやり取りを続けてきたウイルスたちは、「災厄を招くもの」という表現からはかけ離れた働きをしているものが実は少なくない。(中略)ウイルスは生命のようであり、またそうでないようでもあり、「生命とは何か」を考える上で実に興味深い存在である。
――――
新書版p.32


 宿主を利用したり、宿主の道具として働いたり、ときには宿主の遺伝子に入り込んで一体化してしまう。ウイルスという不思議な存在に関する様々な最新知見を通して、生命観の拡張をうながす本です。次々と登場するエピソードがどれも驚きに満ちており、ときに本筋を見失うほどの面白さ。

 ウイルスだけでなく、独特のテンションで語られる研究者の描写にも、多大なるインパクトがあります。


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 マルティヌス・ベイエリンクの研究者としての特徴を一言で表現するなら「枠を突き抜けた純度の高さ」ではなかったかと思う。ベイエリンクにとっては、研究が人生のすべてだった。(中略)精度の高い実験を計画遂行する能力と、そこから得られた結論がたとえ常識外れのものであっても、正しいと信じる心の強さをベイエリンクは兼ね備えていた。それは真実を求めて幾重にも積み重ねられた彼の時間が、あたかも何かの内圧を高めるように蓄積され、枠を突き破る力となったかのように、私には映る。彼は常識の枠を越えることを目的とはしていない。ただ、何が常識かというようなことが、彼には無関係であっただけである。ベイエリンクは紛れもなく「ウイルス」という存在の、この世界での在り方を初めて発見した人間であった。
――――
新書版p.37、44


――――
 転移因子は1950年前後にアメリカの植物遺伝学者バーバラ・マクリントックによって初めてその存在が提唱された。(中略)彼女は真っ暗な闇の中にある何かに、幾度も幾度も手探りで触れ、まるでそれと一体化するように、その実体に近づいていった。そしてそれを自分の内的なビジョンに少しずつ具現化していったのだ。それは冷徹な観察と沈み込むような深い思考の繰り返しにより、原木を削って仏像を削り出すような、何か形のないところから、そこに秘められた「実体」を探り出す作業であったろう。彼女は漆黒の闇の中で、目を大きく見開いて対象を見据えることができる、明らかに何か突き抜けた研究者であった。この意味で、バーバラはウイルスを発見したマルティヌス・ベイエリンクとどこか同じ匂いがする。
――――
新書版p.69、71


 全体は五つの章から構成されており、その前後に序章と終章が置かれています。


『第1章 生命を持った感染性の液体』
――――
その発見が与えた最大の驚きは、それまで自明のものと考えられていた生命と物質の境界を曖昧にしたことである。成長する、増殖する、進化するなどの属性は生物に特有なもので、生物と物質とは明確に区別できるという常識が大きく揺らいだ。
――――
新書版p.49

 ウイルスの発見に至る過程を解説し、それにより自明と思われていた「生物と物質の境界」が大きく揺らいだことを示します。


『第2章 丸刈りのパラドクス』
――――
 ウイルス、転移因子、そしてプラスミド。これらの因子たちは、発見の経緯やよく研究されてきた典型的なメンバーの性質からくる印象の違いはあるものの、実際には一つながりとなっている。(中略)言うまでもなく、人間の作った仕切りの枠内に収まるか、収まらないかは、因子たちにとってはどうでも良いことであり、ウイルスと呼ばれようが、転移因子と呼ばれようが、プラスミドと呼ばれようが、結局の所、安定して増殖し子孫を確実に残していったものが、ただそのようにして現在も増えて存在している。恐らくそれ以上でも、それ以下でもないのだ。
――――
新書版p.82

 ウイルスに関する基礎知識と共に、転移因子、キャプシドを持たないウイルス、プラスミドなど生命と物質の境界に位置する存在について解説。どこまでが生物なのか、という線引きの困難さ、というより無意味さが、次第に明らかになってゆきます。


『第3章 宿主と共生するウイルスたち』
――――
 寄生をめぐる昆虫同士の戦いの中で、寄生バチ側はポリドナウイルスを用いて寄生しようとするし、宿主側はAPSEファージを用いて、寄生者を撃退しようとする。さながら両陣営が戦闘機のミサイルのように、ウイルスを飛び道具としてバトルを繰り広げているかのようである。
――――
新書版p.102

 寄生バチと獲物との激しい抗争。そこには互いにウイルスを兵器として用いる巧妙な戦術がある。ウイルスと宿主が協力関係を築いている例を解説し、「災厄を招くもの」というイメージから「他の生命と相互作用している生命の輪の一部」としてのウイルスという視点へと導いてゆきます。


『第4章 伽藍とバザール』
――――
 2005年には我が国の国立遺伝学研究所のグループが116種の原核生物の全ゲノム配列を用いて網羅的に水平移行遺伝子を調査した結果、驚くべきことにそれらの種では平均して14%、最も多い種で26%もの遺伝子が水平移動によって獲得されたと推定された。解析されたサンプルの規模から考えて、原核生物の世界では少なくとも遺伝子の1割以上は親からではなく、行きずりの「他人」から譲り受けるようなことが「常識」となっているようである。
――――
新書版p.130

 ウイルスが一役買っていると考えられる遺伝子の水平移動。種を越えて遺伝子が交換され広まってゆく現象は、生物界全体にどのように影響しているのか。ウイルスが生命進化に果たしている大きな役割を見てゆきます。


『第5章 ウイルスから生命を考える』
――――
確かにウイルスの多くは自己ゲノム内に代謝関連遺伝子を保有しないが、それを根拠に生物から除外することは本当に妥当なのだろうかと思う。開き直るようであるがウイルスに言わせれば、自ら代謝などせずとも、そこに自らの存在を維持できる環境があれば、それを利用して増殖して、一体何が悪いのか? お前だってアミノ酸作れないだろ、となる。
――――
新書版p.155

 自己の維持に必要な代謝系を外部環境に依存している、ということをもってウイルスは生物ではないと見なすのは妥当なことだろうか。逆にウイルスを含む生物進化の全体を見渡した上で「生命とは何か」を考え直す方が適切ではないか。生命観の拡張あるいは刷新を提言してゆきます。



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『解決人』(両角長彦) [読書(ファンタジー・ミステリ・他)]


――――
「あなただけじゃありません。僕らはみんな、自分の思い込みだけで生きてる。世の中の役になんか立たない、生きる価値などそれほどありゃしない人間ばかりなんです」六原は田辺の肩を叩いて言った。「そのことに気づいてるやつと、気づいてないやつの二種類がいるだけです」
――――
単行本p.155


 戦場で、映画撮影現場で、教室で、空手道場で、そして、あの世で。わけの分からない災難やトラブルはいつどこで降りかかってくるか分からない。困ったときはトラブルシューター六原にお任せあれ。七編を収録したミステリ短篇集。単行本(光文社)出版は2017年01月、Kindle版配信は2017年01月です。


[収録作品]

『上司交替』
『パトロンがいるから』
『天使虐殺』
『静かな教室』
『道場破り』
『いかにもげ』
『実験』


『上司交替』
――――
“それをわかってくれたのなら、私も条件をつけやすい。君が契約を取れなければ、ここにいる全員を殺す。この契約が取れないなら生きていても仕方がない。誰もかれもだ”
――――
単行本p.36

 某国で発生した内戦に巻き込まれた日本のビジネスマン。外国人が脱出するための最後の飛行機が数時間後に飛び立つというのに、本社の上司から、契約を取るまで帰国は許さん、業務命令に従わないなら他のスタッフを皆殺しにする、というお達しが。進退窮まったそのとき思い出したのは、トラブルシューターを名乗る不思議な男、六原。そうだ、彼なら何とかしてくれるかも知れない……。めちゃくちゃ強引な状況設定で六原が初登場する第一話。


『パトロンがいるから』
――――
 自意識過剰の盗作作家(まずそれに間違いない)が、異常者につかまった。警察に知らせても、時間内に桑島を救出することはむずかしいだろう。
 私は焦った。あまりにも非現実的な事態のうえ、時間は三十分たらずしかない。警察にも頼れないとすれば、どうしたらいい? 誰に相談すれば――。
――――
単行本p.62

 新人賞を受賞したデビュー作が評判になったものの、その後はろくな作品が書けないでいる作家が、パトロンを名乗る異常者に監禁された。受賞作が盗作だと認めろ、さもないと殺す、というのだ。電話で泣きつかれた語り手は、事態を収拾すべくトラブルシューター六原に連絡する。


『天使虐殺』
――――
「ここ一番という時に飛び降りられない臆病娘であっても、使い続けざるをえないわけか。一方で、スタントマンを使うことは監督の意向でできない――内田監督が四十年ぶりに撮る新作が、こんなことでスタックするとは」
――――
単行本p.85

 巨匠が撮っている新作映画の撮影現場で、何度もNGが出る。どうしても飛び降りることが出来ない若い主演女優、スタントなし長回しで撮ることにこだわる監督。さらに、主演女優に対する脅迫状が届く。エキストラとして出演する美川麗子(本名、安田和子)から事情を聞いた六原は、彼女にある行動を依頼するのだが……。


『静かな教室』
――――
「すまん」〈生徒〉たちに向き直った田辺は、手で涙をふきながら言った。
「君たちがあまりにもいい生徒なので、つい感激してしまって――君たちにはわからないかもしれないね。こういう静かな授業、誰も騒がず、誰も走り回ったりしない授業というものが、今の時代、どれほどありがたいものか――」
――――
単行本p.128

 学級崩壊への対応で疲弊し休職した教師。ケアのために行われている模擬授業。だが、次第に現実と虚構の境界が曖昧になり、精神的に追い詰められてゆく。ついに自殺を図った彼を止めたのは、六原だった。


『道場破り』
――――
「僕がこの目で見ただけでも、師範は十一回道場破りに勝っている。総数は数十回になるはずだ。そのころはもう師範の強さが評判になっていて、全国から道場破りがおしかけるようになっていたんだ」
――――
単行本p.160

 六原がかつて所属していた空手道場。そこの師範が道場破りに殺された。相手は卑劣にも刃物で刺して逃げたという。恩師の仇ということで真相を探ってゆく六原。だが、現場に居合わせた道場生たちは、全員が何かを隠していた。


『いかにもげ』
――――
「お父さんが来たの!?」買い物から帰ってきた母親の政子は、驚いて言った。
「わけのわからないことを、一人でわめくだけわめいてから、飛び出して行ったわ。『こうしちゃいられない。地球を救わなければ!』とか言って」麗子は食後のお茶をすすりながら言った。「五年ぶりに姿を見せて、何を言うかと思えば」
「相変わらず『いかにもげ』ねえ」政子はため息をついた。
――――
単行本p.199

 一応、シリーズを通したヒロイン役である美川麗子(本名、安田和子)再登場。五年ぶりにふらりと現れた父親が、自分はとてつもない秘密を抱えている、誰にも言うなよ、言うなよ、そうだこうしちゃいれらない、などと思わせぶりなことを口走って姿を消した数日後、死体となって発見された。事故か、偽装殺人か。そして秘密とは何か。真相をめぐるトラブルに巻き込まれた麗子は、六原に相談するが……。


『実験』
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“四人をむだに殺したが、やっと見込みのありそうな相手に出会えた。ここにいる女は数字を持っている。きっと「扉」の向こうへ行かせてみせる”
「そして殺すのか?」六原は静かにたずねた。
“やむをえない。おれという人間のための尊い犠牲だ”
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単行本p.260

 拉致監禁した被害者に臨死体験を強いることで、死後の世界に関する情報を手に入れようと企む男。すでに四人を殺した連続殺人犯が、一応ヒロインである美川麗子(本名、安田和子)を拉致する。このままでは彼女の命が危ない。六原には心当たりがあった。犯人は、かつての自分の親友ではないか。あのとき一緒にやった臨死体験実験を再開したのではないか、と。長篇『デスダイバー』を彷彿とさせる最終話。



タグ:両角長彦
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