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『スーラ』(トニ・モリスン) [読書(小説・詩)]

 米国のノーベル文学賞作家トニ・モリスンの作品を、なるべく原著の発表順に読んでゆくシリーズ“トニ・モリスンを読む!”。その第2回として、彼女の第二長篇を読んでみました。原著の出版は1973年、翻訳版の出版は1979年(邦題『鳥をつれてきた女』)、トリ・モリスン・コレクション『スーラ』として単行本化されたのは1995年6月。私が読んだ文庫版は、2009年8月に出版されています。

 黒人居住区で生きる二人の少女、ネルとスーラの友情を描いた二部構成の物語です。第一部では、二人が出会い、信頼と友情のきずなで結ばれる様子が書かれます。やがてネルは結婚し、スーラは去ってゆく。そして数年後、成長したスーラが戻ってくるところから第二部が始まり、ここで二人の友情が壊れることになるのです。

 二人のきずなは回復されないまま、スーラは死んでしまう。それから数十年が過ぎて、ようやくネルはスーラを失ったことが自分にとってどれほどの喪失を意味していたのかに気付いて、号泣するのでした。

 まあ、そんな話なんですが、前作『青い眼がほしい』と同じく、直線的にストーリーを展開させるような作品ではなく、そこに関わった様々な人々の人生の物語が次から次へと語られる、そこにポイントがある小説です。

 その深い愛ゆえに息子を殺してしまうスーラの祖母、スーラの目の前で炎に焼かれて死ぬ母親、幼い男の子を川に落として殺してしまうスーラ。悲惨なエピソードが続きますが、読んでいてもあまり悲惨な感じはなく、むしろスーラの家系がそれぞれに抱えている業の深い愛、その深さに、魅了されてしまいます。

 やがて自由奔放で自堕落な悪女だと共同体からつまはじきにされることになるスーラですが、個人的には、しっかりとした自我を持つ強い女性だという印象を受けます。

 一方、スーラの生き方とは正反対に、ネルは堅実で真っ当な人生を歩みます。良き娘、良き妻、良き母として、誰からも後ろ指をさされることのない生き方。しかし、それは要するに他人が決めた価値観に合わせているだけで、自分を見失った虚しい人生ではないか。スーラやその祖母といった魅力的な登場人物たちと比べるせいで、どうしてもそのように感じられてしまうのです。

 二人の決裂は、表面的にはスーラがネルの夫を寝取ったせいではあるのですが、二人の生き方や家族の様子をつぶさに見てくると、他人が作った価値観にしばられて空っぽになったネルが、そのせいで大切なものを、スーラとの友情や、「わたしはわたしとして生きる」と決意した幼い頃の自分を、結局は取り戻せなかった、そんな悲劇を描いた作品のようにも思えてきます。

 時代設定は1920年代から1960年代であり、当然ながら露骨な黒人差別とそれに対する怒りは作品のあちこちに散見されます。実際、かなり嫌な気持ちになるシーンも多いのですが、それを前面に押し出して糾弾するような、ある意味お手軽な方向には走らず、それは背景にとどめたまま、あくまで黒人文化の内側から見た物語として書かれているのが魅力的です。

 デビュー作『青い目がほしい』と比べると、物語としてはるかに魅力的で、読者の感情を揺さぶる力も深みを増しているように思えます。前作がナイフで突き刺してくるような作品だとすれば、本作はブルドーザーで押しやってくるような感じ、と言えばよいのでしょうか。文庫版にして250ページほどの、長篇としては短い作品なのですが、その数倍の長さに感じられる充実した一冊です。


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