『怪魚ウモッカ格闘記』(高野秀行) [読書(オカルト)]
ウモッカというのは、数年前に「謎の巨大生物UMA」のページで大いに話題になった、日本の旅行者がインドの漁村で目撃したという謎の魚です。
謎の巨大生物UMA
http://homepage3.nifty.com/Daiou3/
インドの怪魚(ウモッカ)特集
http://homepage3.nifty.com/Daiou3/MF.html
ウモッカ旋風が吹き荒れている頃、私もこのサイトを読んでいたので、やたらドキドキしたことを思い出します。
冷静に考えれば、別に現地に伝承や言い伝えがあるわけでもなく、目撃者はたった一人、物的証拠は何もなく、落書きのような絵が一枚あるだけ。しかもUMAにしては小型(2m弱)で、奇怪な能力や神秘性があるわけでもない。
そんなウモッカにどうしてこんなにも心踊るのか不思議でしたが、逆にこの地味さと、どうしてもシーラカンスを思い出させる姿が、「もしかしたら」というリアリティと妙な存在感を与えるのかも知れません。
しかしですね、だからと言って、現地に飛んで1ヶ月も滞在して調査しよう、などという酔狂な人がいるはずもなく・・・。
い、いやっ、いたぜ。そう、あの男。ヤツなら・・・。
というわけで、『幻獣ムベンベを追え』の高野秀行の出番です。彼がウモッカ探索に挑戦した顛末を書いた本が、この『怪魚ウモッカ格闘記』というわけ。
『ムベンベ』の頃は著者も大学生ですから、まあ有り余る若さと無謀さで突進するのは分かります。が、それから20年近くたった今、著者も疑問を感じています。
「来年には四十歳の大台にのる。周囲の人たちからは認められてないが、自分としては大人の分別というものがあるつもりだ。たった一人しか目撃者がおらず、その目撃者もどんな人かわからないという謎の魚なんかに全精力を傾けていいのか」(p.37)
いいわけがありません。
「そういう怪獣とか龍だとか、わけのわからんものとは早く縁を切らねば」(p.14)
その通りです。
「人と生まれたからには探検するもの、という誰から見てもまちがった教えを胸に刻んでしまった」(p.9)
まちがっています。
「天がこの私に探しに行けと言ってるのだ」(p.24)
大人の分別はどこにいったのか?
「ウモッカ探求は人類と地球の未来を左右する究極的に重要な任務なのである」(p.106)
・・・そうか。
てなわけで、水族館をまわり、関係者にインタビューし、現地語の特訓を受け、ウモッカ手配書を作成し、標本を日本に送るための手筈を整え、という具合に著者は真っ直ぐインドを目指して驀進してゆきます。
もう厄年も近いというのに、その行動力、意志の力、真っ直ぐに突き進むパワー。ほとほと感服してしまいます。しかし、むしろ感嘆すべきなのは、著者の奥さんの度量というか達観というか、そちらかも知れませんが。
こうして、本書の前半はウモッカ探索の旅に向けた準備に費やされるんですが、ここは読んでいてついつい心の中でエールを送ってしまいます。『ムベンベ』と比べて文章も格段に上達していて、随所に見られるユーモラスな記述に思わず笑ってしまいながら、段々と「行け行けっ、秀行!」という感じで盛り上がります。
後半は、予想外のトラブルに叩きのめされた著者に、立て、立つんだ、秀行! という感じで別な意味で盛り上がるわけですが、そこは読んでのお楽しみ。
モケーレ・ムベンベと比較したウモッカのように地味なノンフィクションですが、異様な熱気と魅力に満ちあふれており、個人的には『ムベンベ』より高く評価したいと思います。
謎の巨大生物UMA
http://homepage3.nifty.com/Daiou3/
インドの怪魚(ウモッカ)特集
http://homepage3.nifty.com/Daiou3/MF.html
ウモッカ旋風が吹き荒れている頃、私もこのサイトを読んでいたので、やたらドキドキしたことを思い出します。
冷静に考えれば、別に現地に伝承や言い伝えがあるわけでもなく、目撃者はたった一人、物的証拠は何もなく、落書きのような絵が一枚あるだけ。しかもUMAにしては小型(2m弱)で、奇怪な能力や神秘性があるわけでもない。
そんなウモッカにどうしてこんなにも心踊るのか不思議でしたが、逆にこの地味さと、どうしてもシーラカンスを思い出させる姿が、「もしかしたら」というリアリティと妙な存在感を与えるのかも知れません。
しかしですね、だからと言って、現地に飛んで1ヶ月も滞在して調査しよう、などという酔狂な人がいるはずもなく・・・。
い、いやっ、いたぜ。そう、あの男。ヤツなら・・・。
というわけで、『幻獣ムベンベを追え』の高野秀行の出番です。彼がウモッカ探索に挑戦した顛末を書いた本が、この『怪魚ウモッカ格闘記』というわけ。
『ムベンベ』の頃は著者も大学生ですから、まあ有り余る若さと無謀さで突進するのは分かります。が、それから20年近くたった今、著者も疑問を感じています。
「来年には四十歳の大台にのる。周囲の人たちからは認められてないが、自分としては大人の分別というものがあるつもりだ。たった一人しか目撃者がおらず、その目撃者もどんな人かわからないという謎の魚なんかに全精力を傾けていいのか」(p.37)
いいわけがありません。
「そういう怪獣とか龍だとか、わけのわからんものとは早く縁を切らねば」(p.14)
その通りです。
「人と生まれたからには探検するもの、という誰から見てもまちがった教えを胸に刻んでしまった」(p.9)
まちがっています。
「天がこの私に探しに行けと言ってるのだ」(p.24)
大人の分別はどこにいったのか?
「ウモッカ探求は人類と地球の未来を左右する究極的に重要な任務なのである」(p.106)
・・・そうか。
てなわけで、水族館をまわり、関係者にインタビューし、現地語の特訓を受け、ウモッカ手配書を作成し、標本を日本に送るための手筈を整え、という具合に著者は真っ直ぐインドを目指して驀進してゆきます。
もう厄年も近いというのに、その行動力、意志の力、真っ直ぐに突き進むパワー。ほとほと感服してしまいます。しかし、むしろ感嘆すべきなのは、著者の奥さんの度量というか達観というか、そちらかも知れませんが。
こうして、本書の前半はウモッカ探索の旅に向けた準備に費やされるんですが、ここは読んでいてついつい心の中でエールを送ってしまいます。『ムベンベ』と比べて文章も格段に上達していて、随所に見られるユーモラスな記述に思わず笑ってしまいながら、段々と「行け行けっ、秀行!」という感じで盛り上がります。
後半は、予想外のトラブルに叩きのめされた著者に、立て、立つんだ、秀行! という感じで別な意味で盛り上がるわけですが、そこは読んでのお楽しみ。
モケーレ・ムベンベと比較したウモッカのように地味なノンフィクションですが、異様な熱気と魅力に満ちあふれており、個人的には『ムベンベ』より高く評価したいと思います。
タグ:高野秀行
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