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『ランボー詩集 ー地獄の季節からイリュミナシオンへー』(勅使川原三郎、佐東利穂子) [ダンス]

 2023年8月11日は、夫婦で東京芸術劇場プレイハウスに行って勅使川原三郎さんと佐東利穂子さん、さらにハンブルクバレエのリアブコなど二名のゲストが参加する新作を鑑賞しました。80分ほどの作品です。

出演: 勅使川原三郎、佐東利穂子、アレクサンドル・リアブコ、ハビエル・アラ・サウコ

 2017年7月にKARAS APPARATUS、同年12月にシアターχで見た『イリュミナシオン』、のアップデイト版だと思うのですが、ほとんど別の作品のように感じられます。

 最もめだつ分かりやすい違いは、舞台中央を占める舞台道具。高さ人間の背丈の数倍はある巨大な本(詩集)が客席に向かって90度くらい開かれた状態で置かれています。実際には数枚のプレートを並べたものですが、照明の具合によってこれが本に見えたり奇怪なオブジェに見えたり迷宮に見えたりするのです。

 この詩集の前でランボー役であろう勅使川原三郎さんが苦悩したり熱に浮かされたように興奮したり。詩の言葉あるいはペンの動きに扮したアレクサンドル・リアブコ、ハビエル・アラ・サウコがページの間を行き来し、佐東利穂子さんが詩の霊感となって詩人を翻弄する、という感じ。特にストーリーやキャラクターが示されるわけではなく、すべて抽象ダンスとして表現されます。外界で何が起きているのかは音楽で暗示されるのみで、舞台上はひたすら詩人の内面と化します。

 勅使川原三郎さんのランボーは記憶のなかにある『イリュミナシオン』よりも内省的な雰囲気になっていて、細かい動きと表情で丁寧に詩人を表現してゆく技はすごい。佐東利穂子さんは生身の女性を踊ることもあれば、運命とか精霊とか死とか象徴的なものを踊ることもあるのですが、今作は象徴的なほう。様々な動きを組み合わせて詩人にとっての霊感のようなものをダンスで表現する様には大きな感銘を受けました。





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『オーグメンテッド・スカイ』(藤井太洋) [読書(小説・詩)]

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「泊君、わかんないのか?」
 それまで聞いたことのない口調だった。飲酒や喫煙、無断外出を叱るときとは違う、訴えるような声に、マモルたちは背筋を伸ばした。
「偽善かもしれないが、彼らは自分の手で社会を動かそうとしているんだ。テコの原理でデカく膨らませてるだろうが、何十億かを動かしてるんだよ。取引所の中に置いたサーバーで後出しジャンケンしてるのは汚いが、そこに入るために利益を上げられることを証明してるんだ」
 佐々木はタブレットの目論見書をマモルたち、一人一人に突きつけた。
「何より彼らは、自分たちの計画を公表してるんだよ。正しいことをやってる、ってな」
 佐々木は口にしなかった。「お前らは?」という言葉がマモルの胸に響いた。
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 国内で開催される学生VRコンテストの常連参加校、鹿児島県立南郷高校。その中心である蒼空寮のメンバーたちは、世界中の若者たちがVR技術を使ったプレゼンテーションを競う世界大会「ビヨンド」の存在を知り、出場を決意する。技術の力で世界を変えようとする若者たちの成長をえがく青春小説。単行本(文藝春秋)出版は2023年6月です。

 著者の出身校をモデルにしたと思しき鹿児島の高校と男子寮が舞台となる長篇小説。設定は現代(技術スペック的にはやや近未来)ですが、男子寮の描写などはおそらく著者が在校していた頃の記憶なのでしょう。わりと体育会系というか後輩は先輩に絶対服従、どんな理不尽にも耐えるべし、みたいな伝統が残っています。そういう古めかしい体質と全国有数の進学校の生活、そして最新のVRテクノロジーが、自然にストーリーに溶け込んでいるところが見事。

 プロットはいわゆる部活モノで、若者たちが大会を目指して頑張るという物語ですが、部活に相当するのが最新技術を活用したプレゼンテーションの世界大会というのがいかにも著者らしい。ヘッドマウントディスプレイを通して自分たちの未来と世界の未来を見つめ成長してゆく若者たちのさわやかな物語です。





タグ:藤井太洋
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『ぢべたくちべた』(松岡政則) [読書(小説・詩)]

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うちなる世阿弥の聲、ドストエフスキーの聲、一叢の艸の聲
おぐらいこそが艸を嗣ぐ運動
原意からもズレてしまうことばの動きはまだか
老いてなおもって励みたい
ただ一篇でいい
不穏なる傑作をものにしたい
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「聲の身の上」より


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ノミ、セットウ、コヤスケ
使いやすい道具ほど美しいものだ
背戸の石垣は二年近くかけて一力で修復した。
晩飯は大根のツナサラダにインド風スパイシーハンバーグ
下拵えをすませ今これを書いている
言葉の身ぶりが詩であるなら
想は無防備であってもいいだろう
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「春の一日」より




まだ読んではいないのだがそこにあるだけで幸せな本がある
背表紙に気配があるあなたがわたしの部屋に棲んでおられる
                「キリンの黒い舌」より


 あるく。たべる。旅。土地。艸。命の激しさをこめた、身体からくる嘘のないことば。あさましく取り繕いあるいは他人を扇動し支配するための言葉にまみれて生きている私たちの肺が求める最新詩集。単行本(思潮社)出版は2023年8月です。




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低くうねってくるエネルギー
アナーキーだのにどこか清潔で
静かな怒りのようなものもヒリヒリと伝わってくる
ニョニャ料理の店先では太り肉の女が全身でリズムを刻んでいる
バティックシャツ着たムスリム商人はパタイの木蔭で耳を傾けている
雑踏の中でこそ透き通るいのち、
にぎわいのさびしみのようなもの、
野良犬の慾動がシャツをべとつかせるのか
不意の息にふれることがあるマラッカ
人人のふるまいがやがてひかりとなるマラッカ
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「マラッカ」より




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あるくが祝福されているね
バンコクには迷いがないね
かぐわしい香りが漂ってくるラープ・パークという名の店に入る
パパイヤサラダに骨付きラム肉のマッサマンカリー
まだ食べてもいないのにもうアロイ
まずは一と口、また一と口
アロイけどペ(辛い)、けどアロイ
ペはペ、けどさっと引いていくペ
まったく愛想のない店だ、けどアロイ
プルメリアの白い花
アロイが止まらないずっと食べ続けていたいこのまま死んでもかまわない
この一食を味わう為にこそ生まれてきたのかも知れなかった息ができない
食べるはどこかエロい、エロアロイ
そしていつだって政治的だ
うまいものを食べているとからだのどこかさみしくなる
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「アロイ」より




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自分の不注意で誰かが拘束される夢をときどき見る
からだは静寂よりも都市の喧騒を欲していた、そのことだろうか
一所懸命働いてきたのに朝にはいらない人になっていたそのことだろうか
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「犬」より




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あるくという行為は
あらがうということだった
わたしはみんなではないただそのことだった
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「くぬぎあべまきうばめがし」より




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わからないまま書いている。
まだなにものでもないもののふるえ。
ことばの無駄な動きこそがわたしなのか。
蟲、艸、鐵、聲は本字で書きたい。
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「漫遊帖」より





タグ:松岡政則
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