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『み とうとう またたきま いれもの』(PUNCTUMUN、関かおり) [ダンス]

 2023年3月11日は夫婦でシアタートラムに行って関かおりさんの新作公演を鑑賞しました。7名が踊る上演時間70分の作品です。


[キャスト他]

演出・振付: 関かおり
出演: 内海正考、大迫健司、北村思綺、倉島聡、佐々木実紀、髙宮梢、真壁遥
声の出演: 後藤ゆう、清水駿


 どうも人間とは動作原理が異なるらしい謎の生き物が意味のよく分からない動きを唐突にしたかと思うと長時間にわたってじっとしていたりする、一度観ると割と癖になる、関かおりさんの新作です。

 まず動きの斬新さに驚かされます。決して奇矯な動きではなくむしろこの生物種にとってはごく普通のありふれた動きなんだろうなということは伝わってくるけどわたしが見たのは始めて、という気持ちになる不思議な動きのショーケースみたいな感じ。これがとてもよいのです。

 舞台全体を同時に見ることが困難になっていて、ある動きを見ているうちに舞台の反対側で何やら異変が起きたのを見逃してしまった、みたいなシーンが多く、緊張感が続きます。きょろきょろ左右に視線を動かし続けたり。

 今回は小道具がいっぱい使われていて、台車(板の四隅にキャスターがついたもの)が何度も登場し、水や粉(時節柄、花粉に思える)がこぼれ、棒がバタンと大きな音を立てて倒れたりします。多くの時間は無音ですが、ときおり出演者の鳴き声や、名前を呼びかける声が入って、ああ目の前にいるのはいつもの謎生物ではなくてたぶん謎人間なんだな、という理解に達します。

 そう思って見ると、割と個々人にキャラクター性を感じるというか、相変わらず謎動作をしていても個性に基づいた軸のようなものが見えてきます。だいだん「ごひいき」が決まってくる。ついついそちらを見てしまう。

 各人の動きとその組み合わせ、舞台上の配置、音、発声、香り(ただしマスクをしていたので微妙なところは分かりませんでした)が渾然一体となって作り出す「なんかへんなもん見た」という謎体験は独特で、癖になります。





タグ:関かおり
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『短歌のガチャポン』(穂村弘) [読書(随筆)]

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 電車の中で、或いはごはんを食べながら、或いは眠る前の暗闇で、誰かの短歌を思い出すことがある。(中略)本書には、ふと思い出して嬉しくなったり、たまたま目に飛び込んできて「いいな」と思った歌を集めてみました。楽しんでいただければ幸いです。
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 明治時代の歌人の代表作から最近新聞の短歌欄に投稿された作品まで、さまざまな短歌を紹介するアンソロジー。それぞれ穂村弘さんによる1ページの紹介文が書かれており、短歌入門としてお勧めの一冊。単行本(小学館)出版は2022年12月です。




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「天国に行くよ」と兄が猫に言う 無職は本当に黙ってて
山川藍
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 飼っている猫が死にそうなのだろう。家族で見守っている時、兄が優しく云った。大丈夫。こわくないよ。きっと「天国に行くよ」と。そこまではわかる。だが、その言葉に対する作中の〈私〉の反応が、あまりにも予想外で、あまりにも面白い。
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ゆるキャラのコバトンくんに戦ける父よ 叩くな 中は人だぞ
藤島秀憲
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 思わず口走った「中は人だぞ」に思わず笑ってしまった。その通りだ。と同時に、たまらなく悲しい気持ちに襲われる。笑ったのも悲しいのもどちらも本当。正反対の感情を同時に呼び起こす、そんな短歌に出会ったのは初めてかもしれない。
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野口あや子。あだ名「極道」ハンカチを口に咥えて手を洗いたり
野口あや子
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 たくさんの短歌が並んでいても、そこだけが光って見えるということがある。この歌はそうだった。多くの人にとっても同様らしく、作者の代表歌の一つとなった。だが、有名な歌にも二種類ある。その魅力が説明しやすいものとそうではないものだ。これは後者だと思う。なんだか気になる。でも、その理由がよくわからない。
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鯨のなかは熱くて溶けてしまいそうと輪廻途中の少女は言えり
渡辺松男
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 なんだか凄いことを云っている。怖ろしくて、愉快で、不安で、セクシー。その混沌に惹きつけられる。
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あの友は私の心に生きていて実際小田原でも生きている
柴田葵
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 私の心の中の友と小田原の友は、ぜんぜん違った行動を取っているのかもしれない。そう思うと何故か愉快な気持ちになる。同じ歌集の「安全のしおりにあらゆる災難の絵がありみんな長袖でした」の「みんな長袖でした」にも意表を衝かれる。え、そこ? という不思議さ。「バーミヤンの桃ぱっかんと割れる夜あなたを殴れば店員がくる」もいい。
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私には才能がある気がします それは勇気のようなものです
枡野浩一
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 何もしたことがなかった若い頃、私は才能という言葉にとても敏感だった。才能、格好いい。勇気、ださい。でも、年を取るにつれて才能への関心はだんだん低下する。八十歳になったら、完全にどうでもよくなっているだろう。勇気は違う。年齢とも立場とも関係なく、魂が生きていること、この手で何かをすることが大切で、そのための勇気の必要性はますます重くなってゆく。
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タグ:穂村弘
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