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『わたしたちが光の速さで進めないなら』(キム・チョヨプ:著、カン・バンファ、ユン・ジヨン:翻訳) [読書(SF)]

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 でも、わたしたちが光の速さで進めないのなら、同じ宇宙にいるということにいったいなんの意味があるだろう? わたしたちがいくら宇宙を開拓して、人類の外延を押し広げていったとしても、そこにいつも、こうして取り残される人々が新たに生まれるのだとしたら……私たちは宇宙に存在する孤独の総量をどんどん増やしていくだけなんじゃないか。
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単行本p.156


 孤独、共感、差別、自由に生きる覚悟。私たちが直面している切実な悩みや希望をSF的設定を巧みに使って描き出す、どこか懐かしい少女漫画を思い出させる7篇を収録したデビュー短編集。単行本(早川書房)出版は2020年12月です。


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 追い求め、掘り下げていく人たちが、とうてい理解できない何かを理解しようとする物語が好きだ。いつの日かわたしたちは、今とは異なる姿、異なる世界で生きることになるだろう。だがそれほど遠い未来にも、誰かは寂しく、孤独で、その手が誰かに届くことを渇望するだろう。どこでどの時代を生きようとも、お互いを理解しようとすることを諦めたくない。今後も小説を書きながら、その理解の断片を、ぶつかりあう存在たちが共に生きてゆく物語を見つけたいと思う。
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単行本p.284


〔収録作品〕

『巡礼者たちはなぜ帰らない』
『スペクトラム』
『共生仮説』
『わたしたちが光の速さで進めないなら』
『感情の物性』
『館内紛失』
『わたしのスペースヒーローについて』




『巡礼者たちはなぜ帰らない』
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 ある巡礼者たちはなぜ帰らないのか。
 この手紙は、その質問に対する答えよ。同時に、なぜわたしが「始まりの地」へ向かっているのかについての答えでもある。手紙を読み終えるころには、あなたもわたしの選択を理解しているはず。
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単行本p.11

 その村では、成人した若者たちは「始まりの地」と呼ばれる場所に巡礼するしきたりになっていた。だが、一部の巡礼者たちは決して戻ってこない。大人は誰もそのことを話題にしない。なぜか。始まりの地とは何で、この楽園のような村はどうして存在するのか。共存、排他、差別をテーマに、ル=グウィンのオメラスを語り直してみせる作品。


『わたしたちが光の速さで進めないなら』
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 古びたシャトルには、ひどく旧式の加速装置と小さな燃料タンクのほかには何一つ付いていない。いくら加速したところで、光の速度には追い付けないだろう。どれだけ進んでも、彼女の生きたい所にはたどり着けないだろう。それでもアンナの後ろ姿は、自分の目的地を信じて疑わないように見えた。
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単行本p.161

 放棄されて久しい無人の宇宙ステーションで、あるはずのない出発便を待ち続けている老人。男はその理由を確かめようとするが……。技術や社会の「進歩」に伴って、あるいは新自由主義的に「効率」が悪いとして、見捨てられる人々。その孤独と反逆を力強く描く感動作。


『感情の物性』
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 ボヒョンはジレンマに陥っていた。そして身動きが取れなくなっていた。かつて愛した人たちが、今では彼女を抑圧している。だからといって、こんなやり方で事を解決しようとするのは、なおさら理解できなかった。
 ユウウツ体にどうして彼女の悲しみが解決できるというのだろう?
「もちろん、そうでしょうね。あなたはこのなかで生きたことがないから。だけどわたしはね、自分の憂鬱を手で撫でたり、手のひらにのせておくことができたらと思うの。それがひと口つまんで味わったり、ある硬さをもって触れられるようなものであってほしいの」
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単行本p.187

 人間の感情そのものを造形化したという「感情の物性」シリーズ。爆発的なヒットを冷やかな目でみていた男は、親との関係でこじれている恋人が「ユウウツ」を大量に買っていることを知って困惑する。「オチツキ」や「シアワセ」といった感情ならともかく、なぜ「ユウウツ」などというマイナスの気持ちを物質として所有したいのか。物性として可視化された他者の苦しみや生きづらさに対する(男の)反応を鋭く描いた作品。


『館内紛失』
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 母が失踪した。
 と言っても、死んだあとに失踪する人はそう多くはないだろう。母の生前にだって、ジミンは母がするなんて夢にも考えたことがなかった。母はいつでもすぐに見つけられる人だったから。母が死ぬ前の数年間に訪れたであろう場所は片手で数えられるほどだった。そんな母が今ごろになっていつ、どこへ消えたというのだろう。そのタイミングも居所も、今となってはわからない。ジミンが母に会いに行った日は、母がこの図書館に記録されてからすでに三年も経った時点だったから。
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単行本p.194

 生前に記録した脳内ネットワーク構造をデジタルデータとして図書館で保存できる時代。母の死後に図書館を訪れた語り手は、母のデータが紛失していることを知らされる。正確にはデータそのものはどこかに残されているのだが、検索用インデックスが消されている。アクセスするためには、母のデジタルイメージが強く共鳴するものをデータ空間に置く必要がある。だが、語り手は、母が何を好きだったのかすら知らないことに気づく。
 母を、自分の母親としてではなく一人の人間、対等な他者として知る体験を通じて、孤独と共感を感動的に描いた作品。


『わたしのスペースヒーローについて』
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 ガユンがこれまでスペースヒーローとして崇拝してきたジェギョンおばさんが、実は、人類の宿願であるミッションを目前にして前日に逃げ出していたとは。

 ガユンは週末のあいだずっと、ジェギョンおばさんのことを考えていた。どう考えても、ジェギョンがなぜそんなことをしたのかわからない。宇宙飛行士が、それも人類で初めて宇宙の彼方に行けるという栄えある立場にいる人が、出発直前になって突然海へ身を投げることなどありえるだろうか。
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単行本p.251

 結果的に失敗に終わった人類初の超光速ミッション。宇宙船の事故で亡くなった宇宙飛行士のひとりであるおばをスペースヒーローとして崇拝していた語り手は、実際に何が起きたのかを知らされる。おばは宇宙船に乗ってすらおらず、ミッション前日に逃げ出して海に身を投げたというのだ。なぜそんなことをしたのだろう。同じミッションへの再挑戦にいどむ語り手は、やがておばは真のヒーローだったことに気づく。
 あらゆる困難を乗り越えて獲得する称賛と、他人の承認など求めず自由のためにすべてを捨てる覚悟。対比を通じてヒーローとは何かを描いた作品。





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