『母の発達・アケボノノ帯』(笙野頼子) [読書(小説・詩)]
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あのな、おかあさんな、まず、お母さんらしいおかあさんを、センメツすんのや。それからあるべきお母さん白書をソウカツするのや、それでな、もともとからあったお母さんを全部カイタイするのや。
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岩波現代文庫版p.66
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母をセンメツし、カイタイししかも発展的解消をさせ、母なる母から新世界の母を創造する。ああ、母を発達させるためなら自分はなんでもすることであろう(とダキナミ・ヤツノは思って、感激した)。
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岩波現代文庫版p.76
シリーズ“笙野頼子を読む!”第140回。
「それは破壊というよりは再構築、解放というよりは発展的解消、殺された母というよりはリゾームと化した、新たなる母の誕生」(岩波現代文庫版p.61)
笙野頼子さんの代表作のひとつ『母の発達』三部作が、短篇『アケボノノ帯』と合わせて岩波現代文庫から出版されました。「世界を解体する史上無敵の爆笑おかあさんホラー」とか、「一読必笑、驚異のおかあさん小説」とか、本の出版にあたって紹介文を書く担当者の苦心も見えてしまうインパクトの大きい作品です。といってもストーリーが難解とかそういうわけではなく。
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私が書いたのは、つまり殺した母が小さくなって生き返り、母神話を語り、西へ旅立ちまた帰ってくる、という一見、おとぎ話である。さらにはレギンズ風の衣装を着て大回転をするという一種の、幻想である。
しかし実はこれらはどれもただ画家がモデルを前にして描いたのと同じ、写実、現実なのだ。とはいえ、……。
あるがままの自然主義な母を少々加工して表現してはいる。
その結果がこの、母の縮小、発達、大回転音頭という三部作である。
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『自著解題』より(岩波現代文庫版p.232)
自然主義的に写実的に母というものを小説に書くと、その母という言葉やイメージにまとわりつく偏見やら先入観やら決めつけやら、親と子の双方を抑圧し苦しめるあれこれがこびりついてきてしまう。そこで、言葉のアクロバットによって、母にまとわりつくあれこれを振り払い無力化してゆきます。まずはこれ。
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ヤツノは思い切って言った。
――ああ、のまくののれりのまくまれり、ほいほい、ののまくしかれりくくもまりっ、らたた、らたた、ぶぶぶぶぶぶぶぶ、のお母さん。
母は、くすっ、と笑った。
――ほおーう。お母さんそれで大分発達できるわ。
襖越しにどーん、と大きな音がして、静電気が反応するようなぱちぱちした音が廊下にまで伝わって来た。
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岩波現代文庫版p.85
さらに主人公ヤツノは母と共闘し「かつて母を、謎のおかあさん男、と呼んだ若いテンション」(岩波現代文庫版p.96)で次々におかあさんという言葉やその古くさいイメージを振り切ってゆくのです。
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怪傑おかあさん男暁の死闘
猟奇おかあさん人間地下道に出現(中略)
解体するボンデージ幻想としての、インターネット間隠れおかあさん
インカ帝国空洞化はおかあさんのせいだった
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岩波現代文庫版p.97
ついにヤツノは日本文学史上に輝く(かどうかはともかく読者によって語り継がれてゆく)こと間違いなし、かの有名な、五十音の母、に到達。
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昔々あるところに五十音の母がおった。「あ」の母、「い」の母という具合やった。どいつもこいつも、悪いやつばかりやった。
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岩波現代文庫版p.101
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「く」のお母さんは「くんすに」のお母さんやった。世間の人らは「く」のお母さんを理解せんかった。
――はは、くんすに、てなんじゃい。なんのこっちゃ判らん。
お母さんは悔しそうに一生懸命言うた。
――くんすに、くんすに……。
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岩波現代文庫版p.118
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「あ」で始まる総ての母をまず残らず呼ぶ。けしてしりとりではない。それは、あ、で始まる、宇宙の、言葉尽くしだった。(中略)総ての「あ」が付く単語を「あ」の母の宇宙に統合する作業だった。故に、ヤツノは思い付いたものだけをずらずら言うわけにはいかなかった。例えばあらゆる「あ」の母が宇宙に出やすいように、そして最後まで全部きちんと出るように、順番をかんがえて呼ばなくてはならなかった。
――――
岩波現代文庫版p.168
「総ての母を分化統合再生させるのに――ヤツノは七晩を要した」(岩波現代文庫版p.173)という世界創造の産みの苦しみの果てに、大量の母がずらりと整列して大回転するというクライマックスに至るわけです。
この『母の大回転音頭』最後の10ページはすごいというか激アゲというか読むたびに興奮のあまり恍惚となって『田紳有楽』体験が出来るのでみなさんも落ち込んでいるときなどに一気に読むとよく効くかと思います。
あのな、おかあさんな、まず、お母さんらしいおかあさんを、センメツすんのや。それからあるべきお母さん白書をソウカツするのや、それでな、もともとからあったお母さんを全部カイタイするのや。
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岩波現代文庫版p.66
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母をセンメツし、カイタイししかも発展的解消をさせ、母なる母から新世界の母を創造する。ああ、母を発達させるためなら自分はなんでもすることであろう(とダキナミ・ヤツノは思って、感激した)。
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岩波現代文庫版p.76
シリーズ“笙野頼子を読む!”第140回。
「それは破壊というよりは再構築、解放というよりは発展的解消、殺された母というよりはリゾームと化した、新たなる母の誕生」(岩波現代文庫版p.61)
笙野頼子さんの代表作のひとつ『母の発達』三部作が、短篇『アケボノノ帯』と合わせて岩波現代文庫から出版されました。「世界を解体する史上無敵の爆笑おかあさんホラー」とか、「一読必笑、驚異のおかあさん小説」とか、本の出版にあたって紹介文を書く担当者の苦心も見えてしまうインパクトの大きい作品です。といってもストーリーが難解とかそういうわけではなく。
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私が書いたのは、つまり殺した母が小さくなって生き返り、母神話を語り、西へ旅立ちまた帰ってくる、という一見、おとぎ話である。さらにはレギンズ風の衣装を着て大回転をするという一種の、幻想である。
しかし実はこれらはどれもただ画家がモデルを前にして描いたのと同じ、写実、現実なのだ。とはいえ、……。
あるがままの自然主義な母を少々加工して表現してはいる。
その結果がこの、母の縮小、発達、大回転音頭という三部作である。
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『自著解題』より(岩波現代文庫版p.232)
自然主義的に写実的に母というものを小説に書くと、その母という言葉やイメージにまとわりつく偏見やら先入観やら決めつけやら、親と子の双方を抑圧し苦しめるあれこれがこびりついてきてしまう。そこで、言葉のアクロバットによって、母にまとわりつくあれこれを振り払い無力化してゆきます。まずはこれ。
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ヤツノは思い切って言った。
――ああ、のまくののれりのまくまれり、ほいほい、ののまくしかれりくくもまりっ、らたた、らたた、ぶぶぶぶぶぶぶぶ、のお母さん。
母は、くすっ、と笑った。
――ほおーう。お母さんそれで大分発達できるわ。
襖越しにどーん、と大きな音がして、静電気が反応するようなぱちぱちした音が廊下にまで伝わって来た。
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岩波現代文庫版p.85
さらに主人公ヤツノは母と共闘し「かつて母を、謎のおかあさん男、と呼んだ若いテンション」(岩波現代文庫版p.96)で次々におかあさんという言葉やその古くさいイメージを振り切ってゆくのです。
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怪傑おかあさん男暁の死闘
猟奇おかあさん人間地下道に出現(中略)
解体するボンデージ幻想としての、インターネット間隠れおかあさん
インカ帝国空洞化はおかあさんのせいだった
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岩波現代文庫版p.97
ついにヤツノは日本文学史上に輝く(かどうかはともかく読者によって語り継がれてゆく)こと間違いなし、かの有名な、五十音の母、に到達。
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昔々あるところに五十音の母がおった。「あ」の母、「い」の母という具合やった。どいつもこいつも、悪いやつばかりやった。
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岩波現代文庫版p.101
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「く」のお母さんは「くんすに」のお母さんやった。世間の人らは「く」のお母さんを理解せんかった。
――はは、くんすに、てなんじゃい。なんのこっちゃ判らん。
お母さんは悔しそうに一生懸命言うた。
――くんすに、くんすに……。
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岩波現代文庫版p.118
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「あ」で始まる総ての母をまず残らず呼ぶ。けしてしりとりではない。それは、あ、で始まる、宇宙の、言葉尽くしだった。(中略)総ての「あ」が付く単語を「あ」の母の宇宙に統合する作業だった。故に、ヤツノは思い付いたものだけをずらずら言うわけにはいかなかった。例えばあらゆる「あ」の母が宇宙に出やすいように、そして最後まで全部きちんと出るように、順番をかんがえて呼ばなくてはならなかった。
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岩波現代文庫版p.168
「総ての母を分化統合再生させるのに――ヤツノは七晩を要した」(岩波現代文庫版p.173)という世界創造の産みの苦しみの果てに、大量の母がずらりと整列して大回転するというクライマックスに至るわけです。
この『母の大回転音頭』最後の10ページはすごいというか激アゲというか読むたびに興奮のあまり恍惚となって『田紳有楽』体験が出来るのでみなさんも落ち込んでいるときなどに一気に読むとよく効くかと思います。
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