『図鑑を見ても名前がわからないのはなぜか? 生きものの“同定"でつまずく理由を考えてみる』(須黒達巳) [読書(サイエンス)]
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自分の本にいただいたレビューを読んだり、他の図鑑のレビューを見たり、あるいはTwitterでの「この虫は何ですか」「これは○○です」「どこを見たらわかるんですか」というやりとりを眺めたりするうちに、私たちはこの同定という行為を非常に漠然と行なっているように思えました。わからない側の思考がぼんやりしているのはもちろん、わかる側も思った以上に「なんとなく」なのです。ともすれば、わかる側は、同定技術を「職人芸」たらしめるために、あえて丁寧に言語化することを避けている節すらあるかもしれません。簡単なことではないのはたしかなので、「軽んじられたくはない」という気持ちもわかります。
その一方で、入口でつまずいて「同定嫌い」に陥ってしまっている方を見ると、「同定ってすごく面白いんだけどな」と、楽しさを伝えたい気持ちにも駆られます。同定は、この星の豊かな生物多様性をダイレクトに味わうことのできる、心躍る営みです。興味をもって近づいてきてくれる方に根づいてもらうために、なんとか橋渡しをできないものかとの思いから、本書『図鑑を見ても名前がわからないのはなぜか?』の執筆を始めました。
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生物を観察して、それから図鑑をひいて種の名前を確認する。この「同定」という作業が、実は慣れないと非常にやっかい。なぜ素人は生物種の同定で挫折しがちなのか。そして専門家がひとめで種の違いが「わかってしまう」「だけどなぜわかるのかをうまく言葉で説明できない」のはなぜか。同定という観点から自然を観る目を養うための本。単行本(ベレ出版)出版は2021年12月です。
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同定は職人芸的な面が多分にあり、求められる技術やできるようになる過程を言語化するのが非常に面倒、というか困難です。すると、「どのように同定できるようになったのか、自分でもよくわからない」という状況が生まれます。また、同定それ自体も、いったい自分は何を見て見分けているのか、他者にうまく説明できないことがままあります。それを無理くり言葉にしようとした結果、「ピンとこない説明」になっている図鑑も少なくありません。
同定って、どのようにやってのけているのでしょう? 図鑑を使う側の方も、つくる側の方も、いま一度一緒に考えてみませんか。そんな思いで執筆したのが本書です。
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目次
第1章 教本を買っただけではバイオリンは弾けない
第2章 目をつくるとは
第3章 知識ゼロからのシダの同定
第4章 みんなちがって、まちがえる
第5章 図鑑づくりの舞台裏
第6章 果て無き同定の荒野
第1章 教本を買っただけではバイオリンは弾けない
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図鑑を正しく使いこなすためには、目の前の生き物、そして図鑑の絵や写真から、特徴を正しく拾い上げることができなくてはなりません。生き物の名前を調べるために上げるべき「腕前」は、「特徴を正しく捉える目」なのです。図鑑には、先人の努力の結晶ともいえる膨大な知識が集積されています。ところが、いくら「ここで見分けられるよ」と教えてもらっても、使い手の腕前、つまり「目」が伴わなければ、思うように使いこなすことはできません。そして、一部例外的に天才じみた人もいますが、基本的には最初は誰もが当然にそうなのです。
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まず同定のためには「生物の特徴を正しくとらえる目」が必要であり、それは練習で身につくものだということを解説します。
第2章 目をつくるとは
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私のいう「目ができている」とは、つまるところ、「対象から多くの情報を得ることができ、サンプル同士の違いに気づくことができる」ということです。生き物を見ることに関して優れた腕前を持つ人は、言語化できるかはともかく、広い範囲から高い精度の情報を得ることができるわけです。
バードウォッチャーの間で使われる「ジズ(jizz)」という言葉があります。これは、観察者が「雰囲気」として捉える総体的な情報といったような意味です。具体的な要素としては、形や姿勢、大きさ、色、模様、動作、鳴き声、そして生息環境などが挙げられます。観察者の感覚としては、それらの情報が「○○っぽい」という印象に統合されます。経験を積んだレベルの高い観察者ほど、さまざまな要素を手がかりにすることができるわけです。
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蚊やウグイスの写真を題材に、同定のための「目」を養う練習をしてみます。
第3章 知識ゼロからのシダの同定
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この章の執筆をいい機会として、シダの同定に挑戦してみようと思います。
ここでの私の立ち位置は、「シダはまったくの素人。でも図鑑で生き物を調べることに関してはそれなりに経験がある人」です。そして、ひとまず目指すのは「シダの観察を楽しめる程度に見分けられる」レベルとします。まったくわからない状態から、どうやって調べていくのか、何に困るのか、どうやって解決していくのか、といった過程の参考になればと思います。
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読者と同じ目線に立つために、著者自身がまったく素人であるシダ類の同定(に必要な目を養うこと)に挑戦してみます。
第4章 みんなちがって、まちがえる
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同定ではしばしば、どれとどれが変異で、どれとどれが別の種なのか、という問題に直面します。違いのわかる観察眼が必要な反面、一個体一個体の違いにとらわれすぎていると、究極、図鑑の写真と完全に一致することはあり得ないので、いつまでもゴールにたどり着けなくなってしまいます。これは、観察力が少し上がってきた頃に陥りやすい状況です。「違いがわかるようになってきた」に続いて、「みんな違うように見えてきたぞ……? これは新種では?」となり、逆に同定できなくなるのです。(中略)生き物には「はずれ値」的な個体が必ずいるので、「変異の全貌」というのはキリがないともいえます。つくり手もそれは諦めるとして、しかし図鑑に書いている識別点は、「その種であれば、ある程度どの個体にも当てはまる特徴」を厳選しています。さっきの言葉でいえば「ブレない特徴」です。これは、多くの標本を検討して初めて確信をもって書くことができるものなので、図鑑の記述はまさに「先人の研究者たちの知の粋」なのです。それこそが、図鑑を「読む」べきであるゆえんです。
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変異や個体差という、同定を難しくする障害について解説します。
第5章 図鑑づくりの舞台裏
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人生、何があるかわからないので(少し前に東日本大震災があったばかりでした)、この『ハエトリグモハンドブック』が唯一遺せる本になるかもしれない。いまもし就職したら、慣れない仕事の片手間に、全力を出し切れないまま本をつくることになるだろう。未来の安定を優先するあまり、若い自分が目の前のやりたいことをないがしろにしてしまっていいのだろうか?(中略)フリーターになってからは、学生時代にクモを通じて得たつながりから、野外調査や標本の同定の仕事をもらって旅費を稼ぎ、日本産全種制覇を目指して、各地へハエトリグモの採集に出かけました。そして、多くのクモ仲間から情報をもらったり、場所を案内してもらったり、採集を手伝ってもらったりしながら、着々と種数を伸ばしていきました。途中、貯金残高が503円になるなどのピンチもありましたが、最終的に、当時の既知種105種のうち103種を撮影することができました。
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『ハエトリグモハンドブック』を作成するために著者はどのような作業を行ったのか。同定の礎となる図鑑を作る側の苦労を解説します。
第6章 果て無き同定の荒野
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こんなふうに、専門的な図鑑や論文、目録、モノグラフなどを頼りに一種ずつ同定していき、気づけば6年間で800種あまりを積み上げていました。種同定は、パラパラッと図鑑をめくって「おっ、これだ」と、たちどころにわかるような軽快なものではありません。慣れないグループや難しいグループなら、たった1種を同定するのに何時間もかかることもざらですし、何時間もかけたのに結局わからないこともよくあります。
それでもこの同定という行為をやめることができず、暇さえあれば取り組みたくなってしまうのは、やはりわかったときの快感ゆえなのでしょう。人の一生は短く、たかだか学校の敷地内の虫でさえも、きっと全容を解明することはできません。しかし、1種新たに同定するごとに、「またひとつ、この星の自然について知っていることが増えた」とでもいいましょうか、一種一種は微々たる欠片にすぎないはずなのに、「今日は意味のある一日だったな」と、不思議な満足感に包まれて眠りにつくことができるのです(他のことがダメダメだったとしても)。
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勤務している学校の校内にいる昆虫とクモのリスト作成に取り組んだ著者。実際の同定作業がどのようなもので、どれほど楽しいものかを語ります。
自分の本にいただいたレビューを読んだり、他の図鑑のレビューを見たり、あるいはTwitterでの「この虫は何ですか」「これは○○です」「どこを見たらわかるんですか」というやりとりを眺めたりするうちに、私たちはこの同定という行為を非常に漠然と行なっているように思えました。わからない側の思考がぼんやりしているのはもちろん、わかる側も思った以上に「なんとなく」なのです。ともすれば、わかる側は、同定技術を「職人芸」たらしめるために、あえて丁寧に言語化することを避けている節すらあるかもしれません。簡単なことではないのはたしかなので、「軽んじられたくはない」という気持ちもわかります。
その一方で、入口でつまずいて「同定嫌い」に陥ってしまっている方を見ると、「同定ってすごく面白いんだけどな」と、楽しさを伝えたい気持ちにも駆られます。同定は、この星の豊かな生物多様性をダイレクトに味わうことのできる、心躍る営みです。興味をもって近づいてきてくれる方に根づいてもらうために、なんとか橋渡しをできないものかとの思いから、本書『図鑑を見ても名前がわからないのはなぜか?』の執筆を始めました。
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生物を観察して、それから図鑑をひいて種の名前を確認する。この「同定」という作業が、実は慣れないと非常にやっかい。なぜ素人は生物種の同定で挫折しがちなのか。そして専門家がひとめで種の違いが「わかってしまう」「だけどなぜわかるのかをうまく言葉で説明できない」のはなぜか。同定という観点から自然を観る目を養うための本。単行本(ベレ出版)出版は2021年12月です。
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同定は職人芸的な面が多分にあり、求められる技術やできるようになる過程を言語化するのが非常に面倒、というか困難です。すると、「どのように同定できるようになったのか、自分でもよくわからない」という状況が生まれます。また、同定それ自体も、いったい自分は何を見て見分けているのか、他者にうまく説明できないことがままあります。それを無理くり言葉にしようとした結果、「ピンとこない説明」になっている図鑑も少なくありません。
同定って、どのようにやってのけているのでしょう? 図鑑を使う側の方も、つくる側の方も、いま一度一緒に考えてみませんか。そんな思いで執筆したのが本書です。
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目次
第1章 教本を買っただけではバイオリンは弾けない
第2章 目をつくるとは
第3章 知識ゼロからのシダの同定
第4章 みんなちがって、まちがえる
第5章 図鑑づくりの舞台裏
第6章 果て無き同定の荒野
第1章 教本を買っただけではバイオリンは弾けない
――――
図鑑を正しく使いこなすためには、目の前の生き物、そして図鑑の絵や写真から、特徴を正しく拾い上げることができなくてはなりません。生き物の名前を調べるために上げるべき「腕前」は、「特徴を正しく捉える目」なのです。図鑑には、先人の努力の結晶ともいえる膨大な知識が集積されています。ところが、いくら「ここで見分けられるよ」と教えてもらっても、使い手の腕前、つまり「目」が伴わなければ、思うように使いこなすことはできません。そして、一部例外的に天才じみた人もいますが、基本的には最初は誰もが当然にそうなのです。
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まず同定のためには「生物の特徴を正しくとらえる目」が必要であり、それは練習で身につくものだということを解説します。
第2章 目をつくるとは
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私のいう「目ができている」とは、つまるところ、「対象から多くの情報を得ることができ、サンプル同士の違いに気づくことができる」ということです。生き物を見ることに関して優れた腕前を持つ人は、言語化できるかはともかく、広い範囲から高い精度の情報を得ることができるわけです。
バードウォッチャーの間で使われる「ジズ(jizz)」という言葉があります。これは、観察者が「雰囲気」として捉える総体的な情報といったような意味です。具体的な要素としては、形や姿勢、大きさ、色、模様、動作、鳴き声、そして生息環境などが挙げられます。観察者の感覚としては、それらの情報が「○○っぽい」という印象に統合されます。経験を積んだレベルの高い観察者ほど、さまざまな要素を手がかりにすることができるわけです。
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蚊やウグイスの写真を題材に、同定のための「目」を養う練習をしてみます。
第3章 知識ゼロからのシダの同定
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この章の執筆をいい機会として、シダの同定に挑戦してみようと思います。
ここでの私の立ち位置は、「シダはまったくの素人。でも図鑑で生き物を調べることに関してはそれなりに経験がある人」です。そして、ひとまず目指すのは「シダの観察を楽しめる程度に見分けられる」レベルとします。まったくわからない状態から、どうやって調べていくのか、何に困るのか、どうやって解決していくのか、といった過程の参考になればと思います。
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読者と同じ目線に立つために、著者自身がまったく素人であるシダ類の同定(に必要な目を養うこと)に挑戦してみます。
第4章 みんなちがって、まちがえる
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同定ではしばしば、どれとどれが変異で、どれとどれが別の種なのか、という問題に直面します。違いのわかる観察眼が必要な反面、一個体一個体の違いにとらわれすぎていると、究極、図鑑の写真と完全に一致することはあり得ないので、いつまでもゴールにたどり着けなくなってしまいます。これは、観察力が少し上がってきた頃に陥りやすい状況です。「違いがわかるようになってきた」に続いて、「みんな違うように見えてきたぞ……? これは新種では?」となり、逆に同定できなくなるのです。(中略)生き物には「はずれ値」的な個体が必ずいるので、「変異の全貌」というのはキリがないともいえます。つくり手もそれは諦めるとして、しかし図鑑に書いている識別点は、「その種であれば、ある程度どの個体にも当てはまる特徴」を厳選しています。さっきの言葉でいえば「ブレない特徴」です。これは、多くの標本を検討して初めて確信をもって書くことができるものなので、図鑑の記述はまさに「先人の研究者たちの知の粋」なのです。それこそが、図鑑を「読む」べきであるゆえんです。
――――
変異や個体差という、同定を難しくする障害について解説します。
第5章 図鑑づくりの舞台裏
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人生、何があるかわからないので(少し前に東日本大震災があったばかりでした)、この『ハエトリグモハンドブック』が唯一遺せる本になるかもしれない。いまもし就職したら、慣れない仕事の片手間に、全力を出し切れないまま本をつくることになるだろう。未来の安定を優先するあまり、若い自分が目の前のやりたいことをないがしろにしてしまっていいのだろうか?(中略)フリーターになってからは、学生時代にクモを通じて得たつながりから、野外調査や標本の同定の仕事をもらって旅費を稼ぎ、日本産全種制覇を目指して、各地へハエトリグモの採集に出かけました。そして、多くのクモ仲間から情報をもらったり、場所を案内してもらったり、採集を手伝ってもらったりしながら、着々と種数を伸ばしていきました。途中、貯金残高が503円になるなどのピンチもありましたが、最終的に、当時の既知種105種のうち103種を撮影することができました。
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『ハエトリグモハンドブック』を作成するために著者はどのような作業を行ったのか。同定の礎となる図鑑を作る側の苦労を解説します。
第6章 果て無き同定の荒野
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こんなふうに、専門的な図鑑や論文、目録、モノグラフなどを頼りに一種ずつ同定していき、気づけば6年間で800種あまりを積み上げていました。種同定は、パラパラッと図鑑をめくって「おっ、これだ」と、たちどころにわかるような軽快なものではありません。慣れないグループや難しいグループなら、たった1種を同定するのに何時間もかかることもざらですし、何時間もかけたのに結局わからないこともよくあります。
それでもこの同定という行為をやめることができず、暇さえあれば取り組みたくなってしまうのは、やはりわかったときの快感ゆえなのでしょう。人の一生は短く、たかだか学校の敷地内の虫でさえも、きっと全容を解明することはできません。しかし、1種新たに同定するごとに、「またひとつ、この星の自然について知っていることが増えた」とでもいいましょうか、一種一種は微々たる欠片にすぎないはずなのに、「今日は意味のある一日だったな」と、不思議な満足感に包まれて眠りにつくことができるのです(他のことがダメダメだったとしても)。
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勤務している学校の校内にいる昆虫とクモのリスト作成に取り組んだ著者。実際の同定作業がどのようなもので、どれほど楽しいものかを語ります。
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