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『台所な脳で? Died Corona No Day』(『思想としての〈新型コロナウイルス禍〉』収録)(笙野頼子) [読書(小説・詩)]

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 フォイエルバッハは言った、台所で泣くものだけが真実を知ると。そしてまたここは華厳の場所でもある。甘さにも辛さにも原因があり、因果の連携こそが表面的な現象の本質を見抜いて勝つ、それを教える場所。腐ったもの、遺伝子組み替え、隠れモンサント、見抜こうと思ったら見てくれだけではダメ、経過、実態、そして自分のカンも、……台所そこは? うまくやれば、みぞゆうを三枚に下ろしてみじん切りにできる場所。これ能天気過ぎますかね? まあ、台所脳ですな。
 そう、台所な脳なんです。台所な脳でないとだめだめです。たかが未曾有ごときで無力になったら千載一遇のカモにされるから、でんでん、でんでん。
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『思想としての〈新型コロナウイルス禍〉』p.94


 シリーズ“笙野頼子を読む!”第130回。


 ネオリベ、TPP、劣化評論、文学叩き。見殺しというよりいそいそと殺しにかかる権力妖怪でんでんにみぞうゆう、弱いものを生贄にすることで助かろうとする穢れ「信仰」の呪術男。コロナ禍であらわになったこの国の本質の見抜きを12ページでまとめた、今の笙野文学総集編。収録された『思想としての〈新型コロナウイルス禍〉』(河出書房新社)出版は2020年5月です。


 来月刊行予定の『会いに行って――静流藤娘紀行』でも大きく扱われている『志賀直哉・天皇・中野重治』。その中野重治を台所に呼び出して語りかける作家。「四十年ほども死んでいてもう世間を見ていない」中野重治に現状を丁寧に説明するわけですが、それが近々復刊する『水晶内制度』から『だいにっほん三部作』『ひょうすべの国』『ウラミズモ奴隷選挙』まで総まとめになっていて、近作をあまり読んでない方にも「入門」としてお勧めです。


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 自由貿易は誘ってくる。さあ、国境を越えよう自由な行き来をしようそれは弱肉強食の旅、女湯も越えよう、「平等」に一律に妊婦に放射能を、自由に女を殴り子供を犯そう、移民は閉じ込めて奴隷にしよう。われわれは「平等」だ、まきちらせまきちらせ。もっと苦しむように、死をまきちらすのだ。しかし金だけは外国へまきちらそう。そうすれば国びとは「平等」に苦しむから。この毒こそがでんでんの権力、みぞうゆうの減らず口。
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『思想としての〈新型コロナウイルス禍〉』p.99


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 さて、みぞうゆうの復興における「千載一遇」のTPP詐欺、EPA地獄、でんでん、その後もまた打ち続いて、みぞうゆうの各県災害中、「千載一遇」の日米貿易条約、でんでん、でんでん、そしてついに、みぞうゆうの、疫病、「千載一遇」の(ばかーっ!)でんでん。さあ、スポンサー大事のマスコミが切断して隠れ蓑にしてしまった、コロナ「騒動」に紛れ、今から一層「やりやすい」五月の国会だ。
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『思想としての〈新型コロナウイルス禍〉』p.97


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 今まで不幸はどこか遠いところで知らない少数の人間が受けているものだった。しかしこれからはみんな「平等」になる。ここの国びとは。もう連帯するしかない。それは、今から? もとい、大分前からずっとそうすべきだった(つまり先述のように)。
 原因は天変地異ではないよ経済政策だよ。コロナの死も今後は、未知の新種の疫病で死ぬのではない。ただ見慣れた政府の延長線上において、生きられるものも死んでいくだけだ。健康でも本土でも、男性でも。昔はこういうの棄民って言ったよね? ところが今は拡大して一億総棄民、国びとは棄てびと、グローバル棄民主義。
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『思想としての〈新型コロナウイルス禍〉』p.99


 「健康でも本土でも、男性でも」


 では文学は。無力、無効、売れない文学に意味はない、と皆さんおっしゃる文学にいったい何ができるのか。ちゃんと分かりやすく書いてあります。というかいつもちゃんと分かりやすく書いてあるんです。


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 因果を捕らえずに単独の表層だけを見ていたら見かけの似ている偽物がその上を覆うから、捕獲されるから。因果関係を切って身振りだけをして来る存在は正体が判らないしかし台所から見てみればそれは、妖怪みぞうゆう。
 文学の仕事は、そんな本質の見抜きという地味な仕事である。それが極私的言語の効能であり、いつも始原の混沌に帰ったり自分の歴史を振り返って、身辺を書いていく必然性である。予見は自ずからそこに生まれる。むろん知っている些細な事をすべて使う心構えだけ。ていうか、そもそもコロナの前に医療は無効とか言うか? 予防さえも無効なのか生活指導も無効なのか? 手洗い声かけも無効なのか? そんなはずはない。
 毎度毎度同じ構造の危機言説がやってくる。すべてあやかしだ。切断されているから恐く大きく見える。
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『思想としての〈新型コロナウイルス禍〉』p.99


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 それで一体何が無効なんですか? だって無効になる程大層な事を文学でしているつもりは「ない」んですよ。ただ、コロナが収束した後も、自分が生きられるようにしておかなければならない。生きられるようにすることが文学なだけだ。それまで自由貿易をくい止めて戦争も止めて、何よりも自分が存在するための免疫を守るんだ。そして未来は、今まで払った私の国民年金(少額)をきちんと貰い、公営水道の水で洗った国産の蓮根や巨峰を安心して食べ、テレビで令和妖怪の連続逮捕を見たいんだ。
 デモは一年に一度さえも、なかなか行けないけれど、昨年秋は殺民売国って段ボールに書いて、官邸前に行って農民連や食健連の人に混ぜて貰って、座りこんできた。リウマチで少ししかいられなくて悪いけど。
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『思想としての〈新型コロナウイルス禍〉』p.96





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