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『カム・ギャザー・ラウンド・ピープル』(高山羽根子) [読書(小説・詩)]

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 おばあちゃんの体の中で一番きれいなところは、まずまちがいなく背中だった。こういうことは私みたいな子どもがかんたんに口に出しちゃいけないと思っていたから、家族にきいてみたことはないし、みんなはそのことに気がついていないかもしれないけれど、これは事実として揺るぎがなかった。
(中略)
 見ていると急に、おばあちゃんの背中はまだきれいなままなのか猛烈に確かめたくなった。ひょっとしてあのときよりもっと年をとって、あるいは死んでしまって急に、背中はもう顔と同じくしょうゆ色のくちゃくちゃになっているかもしれない。今のおばあちゃんの背中がいったいどんなふうになっているのか確認したい。できることならあの光るきれいな背中を最後に見たい。
 そう考えはじめたとたん、自分のその欲が恥ずかしいもの、たとえば、ぜんぜん知らない他人の裸を見たいということよりもずっといけないことを考えているような気分になったけど、もうすぐでおばあちゃんは燃やされてしまうんだ、燃やされてしまったらあの背中は見られないんだ、そう考えたら我慢ができなくなった。
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単行本p.7、24


 あるとき偶然に入った店を気に入った語り手は、そこでかつての知り合いの消息を知ることになる。周辺的な記憶を散りばめつつ、あえて明示しないことで中心となるプロットを読者に再構築させるような作品。単行本(集英社)出版は2019年7月、Kindle版配信は2019年7月です。


 過去の記憶をめぐる物語です。幼い頃に体験した性あるいは性暴力にまつわるエピソードが多く、これがほのめかしとしてきいてきます。おばあちゃんの背中がきれいだったこと、工事現場でおっさんにお腹をなめられたこと、学生寮に迷い込んで男の人に触られそうになったこと。一つ一つの記憶をたどり、いったいどういう方向に話が転がるのか想像しながら読み進めることになりますが、なかなかそれが見えてこない。


 やがて語り手は偶然に入った店が気に入って、そこに通ううちに、昔の知り合いの消息を知ることになります。


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 その日から私は、なんとなく木曜になるとお店のアカウントを確認して、開いているとわかれば、今までなじみのなかった駅で降りて『ハクチョウ』に行くようになる。いつも私がお店に行くとたいていのばあいはカンベさんがいて、もうちょっと遅い時間になるとサイトーさんがやってくる。SNSの写真に笑顔になるでもなく写っていたイズミは、いつも働いているのではなく、手伝いなのか客なのか曖昧なようすで店にいることが多い。ほとんどの場合、その三人が店員をかわるがわるやっていて、日によって客になったり店員になったりしている。
 お店は、最初に入ったときからあまり印象が変わらない。いろんなことを聞き出されたりしないし、疎外された気分を強く感じることもない。私のことをよけいにもてなしすぎたりしないけれど、私が彼らに持つのと同じくらいの好奇心で私のことをたずねてくる。私も語りすぎないていどに自分のこと、たとえば仕事のこととか趣味のことを話す。
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単行本p.54


 知り合いとの再会を促された語り手は、気が進まないながら出かけてゆきます。そこから始まる過去の記憶とのチェイスがクライマックスシーンとなるわけですが、それでもやっぱり事情がすべて明らかにされるわけではなく、何となく分かったようなでも細かいいきさつは全然わからないまま、過去の記憶が様々な形で蘇ってくるなか疾走する語り手の背中を読者も追うことに。


 『オブジェクタム』や『居た場所』と同じく、あえてどういう話なのかを曖昧にしたまま読者に再構築を任せるタイプですが、その焦点のぼかし方はさらに巧妙で、まるで記憶そのもののように捉えどころなく、しかし切実に進んでゆく、そんな作品です。



タグ:高山羽根子
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