『ギケイキ2 奈落への飛翔』(町田康) [読書(小説・詩)]
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このことを私はここで語らない。なぜなら語ると結果的に自慢になってしまうから。自分がいかに輝かしい勝利者であるか。自分がいかに楽しい人生を送っているか。そんなことを写真や短文で頻りにアッピールする奴。それは悲しい奴である。確かに私は悲しい奴で、これは悲しい物語だが、私はそこまで悲しい奴ではない。というか私自身はけっこう楽しかったし、こうして語っているいまもマア楽しい。だから語らない。知りたい人は平家物語とか読めばよい。虚実取り混ぜておもしろおかしく書いてある。大河ドラマとかにもなっているし。
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単行本p.16
シリーズ“町田康を読む!”第64回。
町田康の小説と随筆を出版順に読んでゆくシリーズ。今回は、室町時代初期に成立したという軍記物『義経記』を、義経ご本人が、活き活きとした現代の言葉を駆使して、ぶっちぎり現代文学として語り直してくれるギケイキパンク長篇第二弾。単行本(河出書房新社)出版は2018年7月、Kindle版配信は2018年8月。
いわゆる義経伝説を確立させたことで名高い『義経記』。それを主人公である義経ご本人が今の言葉で語り直す『ギケイキ』。タイトルからして原典に忠実。もちろん話の筋も原典に忠実。でも、現代を生きる私たちのために、分かりやすい言葉、生きた口語というか、声が聞こえてくるような文体で、語りまくってくれます。
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「うわうわうわうわっ、ウソウソウソウソ、大将が逃げてるー。えええええええ? 鎌倉殿の御名代として戦に臨んでるはずの土佐坊正尊ともあろうものが、一般の兵隊とおんなじようにびびって逃げてる。うわっ、これこわこわっ。逆の意味で怖っ。そんなことで鎌倉殿御名代って言えんの? マジい?」
(中略)
「いやいやいや、なかなかなか。ちょっと一瞬、馬が向こう向いてしまっただけですよ。戦場ではそんなこと普通でしょ」
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単行本p.132
原典と同じく、たった1ページで平家を滅ぼしちゃった義経。その活躍っぷりと人気に危機感を抱いた頼朝は、このままでは自分の地位が危ういというか、「判官贔屓」みたいな言葉が出来たら面倒というか、下手すりゃ「後のチンギス・カンである」なんて言いふらす奴が出てこないとも限らないということで、ついに義経討伐を決意。さあさあ、義経の運命やいかに。
――――
あー、ほんで、もうこの際なのでぶっちゃけた話をしておく。まあ、なんていうか、このとき私が追い詰まって京都を逃げ出した、誰も味方してくれないなか、寂しく落ち延びていった、みたいな、そんな感じをみんな抱いているかもしれないけれども、実はそんな感じはぜんぜんまったくなかった。
(中略)
それどころか逆に追い詰まっていたのは頼朝さんの方だった、というのは右にも説明したところ。私ははっきり言ってこの時点ではイケイケだったし、打つ手はいくらでもあり、私は最善手はどれだろうか、と考えていたのだ。だから。
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単行本p.236、237
英雄豪傑たちも、ああ、いるいる、いるよこういうのよくいる、という感じの面倒くさい連中として書かれており、現代を生きる私たちに親しみやすい人物造形となっています。
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世の中の評判というものはあまり当てになりません。ときに真逆の場合があります。というのはかくいう僕なんかがそうですよ。僕は世間的には豪快なパンクの人みたいに言われているが、実際は理屈っぽい、ネチネチした陰気な男です。或いは、いま、ホント、その通りだ、と呟いた武蔵坊弁慶なんかもそうです。鬼をもひしぐ荒法師的なイメージがあるけど、実際はメンタルを病んだ不細工なダメ人間です。いやいやいやいや、そうじゃないですか。まあまあまあまあまあ、どうどうどうどうどうどう。よーし、よしよしよし。という訳で、なにが言いたいかというと世間のイメージなんて当てにならないってことです。
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単行本p.240
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歓迎の宴を開いてくれとまでは言わないが挨拶くらいしたってよいのではないか。そんなに、そんなに忌み嫌わなくてもよいのではないのか。醇乎・醇朴な漁村の方々、みたいな、ひるどき日本列島、みたいなそんなイメージを僕は持っていたのだが。夢がこわれました。
と片岡は傷つき、また、そっちがそういう態度を取るのであればこっちだって無視するだけだ。こっちから挨拶なんか絶対しない。なめんなよ、土民が。土民連れが。文句あったら打ちかかってこい。二秒で皆殺しにしたるわ、アホンダラ、と思いながら情けない小屋群の前を通り過ぎて行った。
しかし、その足取りは内心の強がりとは裏腹、まるでメンタルを病んだ本郷猛のようだった。さほどに片岡は傷ついていた。
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単行本p.293
この巻では、堀川夜討から西国落ち、そして静御前との別離までが書かれます。
何しろ語り手は現代を生きる義経本人で、しかも自分がいない場で起きた出来事や会話も平然と描写できる神通力のような技を持っており、歴史の俯瞰、当時の社会制度の解説、現代世相の風刺、登場人物の内面描写、原典をはじめとする古典や落語などの語り口、一人称での滔々たる語り、などなど様々な語りをこれすべて一人でこなしてしまうというスーパー語り手。歴史小説の枠を大きく広げる『ギケイキ』、次の巻も楽しみです。
このことを私はここで語らない。なぜなら語ると結果的に自慢になってしまうから。自分がいかに輝かしい勝利者であるか。自分がいかに楽しい人生を送っているか。そんなことを写真や短文で頻りにアッピールする奴。それは悲しい奴である。確かに私は悲しい奴で、これは悲しい物語だが、私はそこまで悲しい奴ではない。というか私自身はけっこう楽しかったし、こうして語っているいまもマア楽しい。だから語らない。知りたい人は平家物語とか読めばよい。虚実取り混ぜておもしろおかしく書いてある。大河ドラマとかにもなっているし。
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単行本p.16
シリーズ“町田康を読む!”第64回。
町田康の小説と随筆を出版順に読んでゆくシリーズ。今回は、室町時代初期に成立したという軍記物『義経記』を、義経ご本人が、活き活きとした現代の言葉を駆使して、ぶっちぎり現代文学として語り直してくれるギケイキパンク長篇第二弾。単行本(河出書房新社)出版は2018年7月、Kindle版配信は2018年8月。
いわゆる義経伝説を確立させたことで名高い『義経記』。それを主人公である義経ご本人が今の言葉で語り直す『ギケイキ』。タイトルからして原典に忠実。もちろん話の筋も原典に忠実。でも、現代を生きる私たちのために、分かりやすい言葉、生きた口語というか、声が聞こえてくるような文体で、語りまくってくれます。
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「うわうわうわうわっ、ウソウソウソウソ、大将が逃げてるー。えええええええ? 鎌倉殿の御名代として戦に臨んでるはずの土佐坊正尊ともあろうものが、一般の兵隊とおんなじようにびびって逃げてる。うわっ、これこわこわっ。逆の意味で怖っ。そんなことで鎌倉殿御名代って言えんの? マジい?」
(中略)
「いやいやいや、なかなかなか。ちょっと一瞬、馬が向こう向いてしまっただけですよ。戦場ではそんなこと普通でしょ」
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単行本p.132
原典と同じく、たった1ページで平家を滅ぼしちゃった義経。その活躍っぷりと人気に危機感を抱いた頼朝は、このままでは自分の地位が危ういというか、「判官贔屓」みたいな言葉が出来たら面倒というか、下手すりゃ「後のチンギス・カンである」なんて言いふらす奴が出てこないとも限らないということで、ついに義経討伐を決意。さあさあ、義経の運命やいかに。
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あー、ほんで、もうこの際なのでぶっちゃけた話をしておく。まあ、なんていうか、このとき私が追い詰まって京都を逃げ出した、誰も味方してくれないなか、寂しく落ち延びていった、みたいな、そんな感じをみんな抱いているかもしれないけれども、実はそんな感じはぜんぜんまったくなかった。
(中略)
それどころか逆に追い詰まっていたのは頼朝さんの方だった、というのは右にも説明したところ。私ははっきり言ってこの時点ではイケイケだったし、打つ手はいくらでもあり、私は最善手はどれだろうか、と考えていたのだ。だから。
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単行本p.236、237
英雄豪傑たちも、ああ、いるいる、いるよこういうのよくいる、という感じの面倒くさい連中として書かれており、現代を生きる私たちに親しみやすい人物造形となっています。
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世の中の評判というものはあまり当てになりません。ときに真逆の場合があります。というのはかくいう僕なんかがそうですよ。僕は世間的には豪快なパンクの人みたいに言われているが、実際は理屈っぽい、ネチネチした陰気な男です。或いは、いま、ホント、その通りだ、と呟いた武蔵坊弁慶なんかもそうです。鬼をもひしぐ荒法師的なイメージがあるけど、実際はメンタルを病んだ不細工なダメ人間です。いやいやいやいや、そうじゃないですか。まあまあまあまあまあ、どうどうどうどうどうどう。よーし、よしよしよし。という訳で、なにが言いたいかというと世間のイメージなんて当てにならないってことです。
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単行本p.240
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歓迎の宴を開いてくれとまでは言わないが挨拶くらいしたってよいのではないか。そんなに、そんなに忌み嫌わなくてもよいのではないのか。醇乎・醇朴な漁村の方々、みたいな、ひるどき日本列島、みたいなそんなイメージを僕は持っていたのだが。夢がこわれました。
と片岡は傷つき、また、そっちがそういう態度を取るのであればこっちだって無視するだけだ。こっちから挨拶なんか絶対しない。なめんなよ、土民が。土民連れが。文句あったら打ちかかってこい。二秒で皆殺しにしたるわ、アホンダラ、と思いながら情けない小屋群の前を通り過ぎて行った。
しかし、その足取りは内心の強がりとは裏腹、まるでメンタルを病んだ本郷猛のようだった。さほどに片岡は傷ついていた。
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単行本p.293
この巻では、堀川夜討から西国落ち、そして静御前との別離までが書かれます。
何しろ語り手は現代を生きる義経本人で、しかも自分がいない場で起きた出来事や会話も平然と描写できる神通力のような技を持っており、歴史の俯瞰、当時の社会制度の解説、現代世相の風刺、登場人物の内面描写、原典をはじめとする古典や落語などの語り口、一人称での滔々たる語り、などなど様々な語りをこれすべて一人でこなしてしまうというスーパー語り手。歴史小説の枠を大きく広げる『ギケイキ』、次の巻も楽しみです。
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