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『靴下編み師とメリヤスの旅』(川上亜紀)「モーアシビ」第32号掲載 [読書(小説・詩)]

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 こんなふうに小さなパン屋の片隅で、黙々とした編み物の世界からとつぜん顔をあげるとまもなく、私は見知らぬ年上の女性の靴下を編むことになったのだった。
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「モーアシビ」第32号p.42


 難病を抱えて母と二人きりで暮らしている語り手。パン屋で出会った老婦人のために靴下を編む約束をするが……。編み物を通じて自分の生活が異国とかすかにつながってゆく気配。小さな希望を静かな筆致で丁寧にえがく短篇。同人誌発行は2016年11月です。


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私はもう〈新しい〉といわれる薬や治療法をあまり信用しなくなっていて、早く下痢が治まらないとくたびれてしまう、ステロイドの内服で治療したいと言いはったので、骨がだめになって将来大腿骨がポッキリ折れたりしたら寝たきりになってしまいますよなどとさらに脅かされもしたのだが、ともかく八月の末にはさっさと退院してきた。〈将来〉のことなんてもういい。
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「モーアシビ」第32号p.33


 母親との二人暮らし、難病を抱えて、就職も断られてばかり。楽ではない、希望の薄い生活のなかで、語り手の女性は編み物を始めます。そんな彼女がパン屋の片隅で出会った年上の女性。会話の流れで、ふと、靴下を編んであげましょうか、と申し出てしまうのでした。


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「ええ、そうかもしれません。もしよかったら、水色の毛糸で靴下を編んであげましょうか?わたしにとっていまは靴下を編む時期みたいなんです。よい靴下編み師になれるとは限らないですけどね」
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「モーアシビ」第32号p.40


 そうして丁寧に慎重に靴下を編んでゆく語り手。完成に近づくにつれて、不安が頭をもたげてくる。果たしてあのときの約束を、忘れないでいてくれるだろうか。ちゃんとあの人に再会して靴下を渡すことが出来るのだろうか、と。


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減薬のあいだに少しずつ靴下を編むという作業療法に近い手仕事がなかったら、私はステロイドのもたらす高揚感や疲労感に振り回されてもっと妙なことを始めていたかもしれない。はたして今後靴下編み師になれるのかどうか、それはまったく別の問題だけれど。
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「モーアシビ」第32号p.50


 始めて他人のために、というか、「仕事として」編んだ靴下。それは、語り手が予想もしなかった運命をたどることに。自分の生活と遠い異国とが繋がったような気配。

 というわけで、落ちついた語りのなかから静かな諦念とささやかな希望が浮かび上がってくる、感動的な短篇です。川上亜紀さんの小説短篇集が出版されればいいのになあ。



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