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『たべるのがおそい vol.1』(穂村弘、岸本佐知子、西崎憲:編集) [読書(小説・詩)]

「編集後記」(西崎憲)
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もちろんそれら大小の理想がすべてかなったわけではありません。そういうことは人生には起こりません。しかし驚くべき割合で―おそらく九割近くわたしの希望はかなっています。そして刊行された現在、わたしはそれが読者の理想と重なってくれることを強く望んでいます。
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 小説、翻訳小説、エッセイ、短歌。様々な文芸ジャンルにおける新鮮ですごいとこだけざざっと集めた文学ムック「たべるのがおそい」その創刊号です。とにかく掲載作品すべて傑作というなんじゃこらああの一冊。ムック(書肆侃侃房)出版は2016年4月、Kindle版配信は2016年4月。


[掲載作品]

巻頭エッセイ
  『夢の中の町』(穂村弘)
特集 本がなければ生きていけない
  『虚構こそ、わが人生』(日下三蔵)
  『Dead or alive?』(佐藤弓生)
  『楽園』(瀧井朝世)
  『ただ本がない生活は想像のむこう側にも思い浮かばず』(米光一成)
小説
  『あひる』(今村夏子)
  『バベル・タワー』(円城塔)
  『静かな夜』(藤野可織)
  『日本のランチあるいは田舎の魔女』(西崎憲)
翻訳小説
  『再会』(ケリー・ルース、岸本佐知子:翻訳)
  『コーリング・ユー』(イ・シンジョ、和田景子:翻訳)
短歌
  『はばたく、まばたく』(大森静佳)
  『桃カルピスと砂肝』(木下龍也)
  『ひきのばされた時間の将棋』(堂園昌彦)
  『ルカ』(服部真里子)
  『東京に素直』(平岡直子)



『あひる』(今村夏子)
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ねえねえ、のんちゃんね、一ぴき目が一番好きだったよ。
ここにいないの? ねえどこにいるの。ねえねえねえ。
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 父が知人から譲り受けた一羽のあひる、名前は「のりたま」。のりたまは人気者となり、近所の子どもたちがわが家に集まってくる。だがのりたまはそのストレスで次第に弱ってゆき……。まるでユーモア小説のようなプロットでありながら、あひると語り手の境遇が重なるにつれ切なさに涙が込み上げてくる傑作。


『バベル・タワー』(円城塔)
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縦籠の家は代々、垂直方向のガイドを専らとした家である。恭助は、帝国ホテルのカゴに生まれ、各地のエレベータを転々としながら成長した。エレベータ・ガールたちや整備員たちからひっそりと手渡される古文書を読みふけり、口伝を授けられながら育った。
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 「上へ参ります。ドアが閉まります」vs「次は六条、六条通りで御座います」。
 垂直方向への移動を司る縦籠家、水平方向への移動を司る横箱家。有史以来ずっとこの国を秘かに操ってきた二つの旧家がついに交差したとき、そこに立ち現れるものとは。驚異の座標系伝奇小説。


『桃カルピスと砂肝』(木下龍也)
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キリストの年収額をサブアカで暴露している千手観音
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再加熱されテーブルに舞い降りる唯一無二の天使ムニエル
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胃のなかのことは想像したくない桃カルピスにゆれる砂肝
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青春の管理下にあるぼくだった 明日を平気で殺しまくった
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 もうすぐ出版される第二歌集『きみを嫌いな奴はクズだよ』が楽しみな、注目の若手歌人による新鮮砂肝歌。


『ただ本がない生活は想像のむこう側にも思い浮かばず』(米光一成)
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名著は手に入りやすいが、トンデモな本(中略)は、これを手放したら二度と手に入らないという恐怖のために手放せず、名著と評判の高いものばかり手放してしまう(「バカの棚になる」と呼んでいる法則である)。
(中略)
全部読み返すことはとうてい不可能だ。どうでもよくなる。もはや読むために本があるのではない。
 P・K・ディックも憎い。サンリオ文庫で持っていて、それがハヤカワ文庫か創元文庫で出て、そちらも買ったところで、さらに新訳が出たりする。3種類5冊の『ヴァリス』がある。しかも、最後まで読んでいない。
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 タイトルが短歌になってたりする、読書好きあるある痛エッセイ。「こんなことをしている場合ではなく、部屋を片付けることが急務である」と気づき続けて終わる人生。


『静かな夜』(藤野可織)
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なんてことだろう、ずっと聞こえていたんだ、とちか子は思う。夜だけじゃなかった。昼間もこのたくさんの人々はなにかさかんに話していたのだ。(中略)でももうすぐわかる、絶対私はこれを知っている、とちか子は思う。
文字であれだけの絶望を日々味わっているというのに、ちか子の神経はどうなっているのだろう。ちか子は学ばない。決して学ばない。おれは驚嘆する。ちか子は深々と呼吸する。空気にそれらの声が粒子となって溶け出す。それを吸っていると、きっとその言語がわかるようになる。わけのわからぬ声がちか子の体を満たし、彼女の赤い血をいよいよ赤くする。
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 静かな夜、どこかから聞こえてくるたくさんの人の話し声。誰しも覚えがあるあの不安。研ぎ澄まされた文章技法により読者を予想外のとこに連れてゆく作品。


『コーリング・ユー』(イ・シンジョ、和田景子:翻訳)
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 ミスター・コリアを詩人にするのに役立てようと、私は徹夜で何十カ所かの文学サイトを見てまわった。午前五時が再び到来。水なしでチャンデン半錠を飲み込み、05に電話をかける。05の今朝の声は、きわめて普通。96に電話をかけ、ニルヴァーナの「リチウム」を流す。“きみがいなくて寂しいよ、きみが好きだ、ぼくは壊れかけてなんかいない”というあの曲を。そしてまた05に確認の電話をかける。42にはもう電話しない。とろんとした眠気。全身が熱いコーヒーの中の砂糖になって溶けていく感じ。
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 ソウル、午前5時、番号しか知らない相手と一瞬だけ繋がり、そして切れる。インターネットで申し込みをした顧客にモーニングコールをかける仕事。デジタルな人間関係だけの社会に漂う空虚でかわいた絶望をリアルに描く作品。


『日本のランチあるいは田舎の魔女』(西崎憲)
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 ランチという言葉を頭のなかに浮かべると、くもりはほぼ性的な快感を覚える。身のうちに固く甘い芯が形成され、皮膚の裏側や内臓の内側がそこに向かってきゅーっと引っ張られるような、そんな感覚に捕われる。
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 田舎から出てきた女性が、毎日違う街でランチを食べることにする。複数の魅力的なプロットを巧みにより合わせ魔法の糸を作り出すようなしびれる傑作。



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