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『10の奇妙な話』(ミック・ジャクソン、田内志文:翻訳) [読書(小説・詩)]


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 個人的にこの短編集でもっともぞくりとさせられたのは、日常の中に潜む境界線と接した瞬間の人びとが巧みに描かれている点だ。それは、狂気と正気の境界線であったり、日常と非日常の境界線であったり、服従と蜂起の境界線であったりと十人十色なのだが、この本に登場する主人公たちは誰もが境界線のすぐ手前に立ったところから描かれ、物語は始まる。
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単行本p.175


 手作りトンネルを手作りボートで探検する定年退職者、蝶の修理屋を目指す少年、雇われ隠者として洞窟に住む男、市長に対する宇宙人情報公開要求デモに参加する子供たち。ふとしたきっかけで何かを踏み越えてしまった人びとの奇妙な体験を描く短篇集。単行本(東京創元社)出版は2016年2月、Kindle版配信は2016年2月です。


[収録作品]

『ピアース姉妹』
『眠れる少年』
『地下をゆく舟』
『蝶の修理屋』
『隠者求む』
『宇宙人にさらわれた』
『骨集めの娘』
『もはや跡形もなく』
『川を渡る』
『ボタン泥棒』


『地下をゆく舟』
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 水流は止まるところを知らず、いよいよボートの縁にまで水が上がってきた。懐中電灯が消え、まっ暗闇の中、激流は唸りをあげて猛り狂った。モリス氏はやがて、ついに死を覚悟した。
「まあ、こんな終わり方も悪かないさ」彼は胸の中で言った。「自分の掘ったトンネルで、自分の造ったボートに乗って溺れるんだからな」
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単行本p.40

 定年退職して暇になった男が、地下室でボートを作る。ところが完成したボートは大きすぎて地下室から出すことが出来ない。では、ということで、地下室の壁をぶち抜いて長い長いトンネルを掘ることにしたのだが……。日常的な話がどんどん変な方に転がってゆき、ついに激流とともに「あちら」に飛び出してしまう。ふとしたことから冒険の旅が始まる児童小説の初老版。あこがれ。


『蝶の修理屋』
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誰の人生にも一度や二度、圧倒的な確信に満ちた瞬間が訪れるもの。確固たる、揺るぎない現実と向き合う瞬間とは、そういうものなのです。ゆっくりと暗がりに包まれていく部屋に腰掛けながら、バクスター君は自分に今その瞬間がおとずれているのだと、目の前に延びる一本の道の前に立っているのだと、気付いたのでした。
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単行本p.53

 古道具屋で見つけた「蝶の修理屋」のための手術道具一式。それを手にしたとき、少年は自分の進むべき道を見出した。僕は蝶の修理屋になる。蝶の標本を手術して生き返らせる仕事に人生を捧げるんだ。少年の秘かな冒険を描き、読者をして「自分は職を間違えた」と後悔させる魅力的な一篇。


『宇宙人にさらわれた』
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「なんだね、その宇宙人っていうのは?」市長は、やっとの思いで言った。
 だが、これは激昂した少年たちを単に煽り立てたにすぎなかった。幾人かの子供たちが市長のことを嘘つきだと罵ると、でぶだのはげだの、さらに個人攻撃まで始めてしまったのである。少年たちはそうして騒ぎ続けたが、やがて全員に聞こえるような大声があがり、彼らを黙らせた。
「隠蔽だ!」ひとりの少年が叫んだ。
 選び抜かれたこのひとことは、少年たちの胸のうちをほぼ完全に言い表していた。宇宙人などいないと否定してみせた市長の態度への不満と、きっとこの裏側では何か不吉な企みが進行しているのだという疑念である。
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単行本p.102

 小学校の授業中に回されてきた小さな紙切れ。そこには宇宙人の侵略について断定的に書かれていた。噂は教室中を駆けめぐり、興奮した子供たちは真実を確かめるべく市役所に押しかける。市長の不誠実な対応に怒った未来の納税者たちは断固として情報公開を要求。そのとき、誰かが気付く。そういえば、音楽の先生、今日はお休みしている。きっと宇宙人に誘拐されたんだ! 噂の拡大とパニック、陰謀論の成長過程を楽しく描いたユーモア短篇。


『もはや跡形もなく』
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 少年は、記憶の嵐に取り巻かれるようにして、元来た道を駆け戻った。森で過ごしてきたいくつもの夜よりも、今の夜闇は遥かに荒涼として恐ろしく感じられた。森の端まで駆け戻ると、犬が彼を出迎えに歩み出てきた。そして、いったい彼の中で何が起きているのかを探ろうと、少年をじろじろと眺め回した。
「大丈夫かい?」やがて、犬が口を開いた。
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単行本p.139

 ささいな親子喧嘩で家出した少年は、森の中を歩いてゆくうちに、次第に色々なことを忘れてゆく。それから長い長い歳月が過ぎて、彼はふと思い出す。自分は森に住む前にどこか外から来たような気がする。森から出る道を辿ってゆくと、やがて行く手に見覚えのある家が見えてきて……。不思議で恐ろしい、しかしなぜか心安らぐような気もする、トワイライトゾーン迷い込み系の奇妙な物語。



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