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『冥土めぐり』(鹿島田真希) [読書(小説・詩)]

 「本当に辛いのは、死んだのに、成仏できない幽霊たちと過ごすことだ。もうとっくに、希望も未来もないのに、そのことに気づかない人たちと長い時間過ごすということなのだ」(Kindle版No.479)

 過去にしがみつく母や弟との生活に疲れ切った奈津子は、脳発作で重度障害者となった夫を介護しながら一泊旅行に出かける。そこで彼女を待っていたささやかな啓示とは。鹿島田真希さんの家族小説の電子書籍版を、Kindle Paperwhiteで読みました。単行本(河出書房新社)出版は2012年07月、電子書籍版出版は2012年08月です。

 語り手である奈津子は、重度障害者となった夫とともに一泊旅行に出かけます。行き先は、かつて幼い頃に家族で泊まったことがあるホテル。様々な機会に、母や弟の思い出が蘇ってきて、奈津子を苦しめます。

 ひたすら過去にしがみつき、とっくに人生終わっているのに気づかないふりをし、もはや奈津子にとりついてしゃぶりつくす怨霊のようになった母と弟。その思い出にひたすら絶望するだけの、これまた亡霊のような奈津子。

 こうして亡者だらけの冥土めぐりが始まります。

 「奈津子はその自分の過去についてを、「あんな生活」と呼んでいた。あんな生活。まさにそんな言葉でしかいいようのない体験を奈津子はしてきた。それは貧困でも、孤独でも、病気でもない、なにものかだ」(Kindle版No.28)

 自分は他人から何もかも与えられてしかるべき選ばれた人間だと無根拠に信じ、ひたすら奈津子にたかる、俗悪で恥知らずな母と弟。虐待とか抑圧とか、そういうものでさえなく、どうにも言葉にすることが難しい、希望のない家族を、文章のちからで表現してのけることに挑戦した作品です。うわっは。

 誰にでも多少は覚えのある、「人としてどっか終わっている嫌な親族との付き合い」がもたらす、あの言いようのない濁った徒労感が、具体的に語られる母や弟のあさましいエピソードの数々を通して、小説として結実してゆきます。その迫力には感嘆させられますが、正直、読んでいて気が滅入ります。

 「奈津子はすっかりあきらめていた。なにもかもあきらめていた。そして自分の身に起こる、理不尽や不公平、不幸について、なぜそんな目に自分が遭わなければならないのか、よく考えることもしなかった。なるべく見ないようにして生きた。それは直視しがたいことであり、もし見てしまったら、血すらも流れない、不健全な、致死の傷を負うことになると知っていたからだ」(Kindle版No.483)

 「なにかを語るには、奈津子は疲れすぎていた。いつの間にか、泣くことすらしなくなっていた。語らない、泣かない、しかし退屈でもない。否定ばかりのこの有様は一体なんなのだろうとふと思い、きっと疲れるだろうからとその考えを止める」(Kindle版No.168)

 旅の最後に、小さな、本当にささやかな啓示の瞬間がやってきます。障害者となった夫との生活、それが自分にとってどういう意味を持っていたのか。「ある一つの季節が終わったのだ」(Kindle版No.835)という認識が生まれるとともに、かすかな希望と解放感をともなって、小説は幕を閉じます。

 読んでいる最中はまったく予想だにしませんでした。まさかこの冥土めぐりの旅に後味のよいラストが待っているとは。

 家族というもののすさまじさを描いているのは、併録されている中篇『99の接吻』も同じ。こちらは、母親と四人姉妹という女性ばかりの家族を、末の妹がじっとり観察する驚くべき作品。

 「わたしには、自分の物語がない。わたしの物語は、三人の姉さんによる物語だ。姉さんが笑った。姉さんが怒った。そんなことが綴られているのが、わたしの物語。そしてわたしは、そんな姉さんたちをじっとりと観察する」(Kindle版No.1272)

 「どうして一つになりたいのか。その理由は、わからない。私はあまりにも本能的にそれを欲していた。本当に単なる欲望なので、それを正当化する美辞麗句も浮かばない。私は姉さんたちにまったくゾッコンなのだ」(Kindle版No.896)

 どろどろに溶けて姉さんたちと一つになってしまいたい。奇妙に倒錯した欲望を持つ妹が、愛する三人の姉たちのあれこれを見つめています。見つめているだけではありません。

 「わたしはいつも、姉さんたちの匂いをかいでいる。彼女たちが出かけるときの、香水や化粧の匂いから、生理になった彼女たちのあとにトイレに入った時の、あの経血の独特の匂いまで、きっと女は争えば、その匂いが強くなる。わたしは、そのことに悦びを感じる。もっと姉さんたちの強い匂いをかぎたいと思っている」(Kindle版No.957)

 姉さんたちが男をめぐって嫉妬しあう様を、うっとりと眺め嗅ぐ妹。男に酷い目に合わされて泣く姉さんを想像して陶酔する妹。姉さんがマスターベーションに使ったポルノビデオをもらい受けて鑑賞する妹。

 ひたすら姉たちを観察し、その高貴で品のよい姿に昂奮し、奔放な行いに興奮し、ひたすら姉さんの姉さんの姉さんの人生を生きることに満足する妹。その濃厚な精神生活をひたすら書きつらねるという、ものすごい家族小説。思わずたじろいでしまいます。

 というわけで、家族小説というジャンルに対する先入観をぶっ飛ばすような強烈な作品を二篇収録した作品集。その情念の表現に圧倒されます。すげえよ。


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