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『原色の想像力 創元SF短編賞アンソロジー』(編集:大森望、日下三蔵、山田正紀) [読書(SF)]

 第一回創元SF短篇賞最終候補作から厳選した9篇、および受賞作家の書き下ろし受賞後第一作を収録した、全くの新人ばかりによるSF短篇アンソロジー。文庫版(東京創元社)出版は2010年12月です。

 とにかくSFアンソロジーの出版ラッシュだった2010年。編集者も大変でしょうが、読者もついてゆくのに四苦八苦した一年でした。ようやくそれも終わった、と油断していたら、最後の最後に前代未聞のSFアンソロジーがやってきました。新人賞の応募作から選ばれた作品を収録した「オール新人作家デビューアンソロジー」です。

 巻末の「第一回創元SF短篇賞 最終選考座談会」がエキサイティング。何しろ選考委員の三名、いい歳した大人が大喧嘩、じゃなくて日本SF界の未来を背負って大激論。「小説としての完成度は高いけどSFとしてどうよ」vs「SFのアイデアは凄いけど小説としてどうよ」、「これはSFじゃないでしょう」vs「そこがSFじゃないですか」、「SFなら許されるのか」vs「SFじゃなければ駄目なのか」。『量子回廊』にも掲載されていた座談会ですが、作品を読んでから目を通すとさらに盛り上がります。

 さて。冒頭の『うどん キツネつきの』(高山羽根子)は、何といってもタイトルが印象的で忘れられません。実はこれは拾った仔犬を「うどん」と名付けて飼う三姉妹の物語なんですね。その犬の様子がどうもおかしい、ひょっとして狐憑きではないか。ということは、これが本当の、キツネうどん。とまあ、そういう話。

 団地のバルコニーから滑空脱走しては階段を上って玄関前まで自分で戻ってくるニワトリとか、ムーンウォークの練習をしていて犬を踏んづけてしまう母とか、部屋の中で行方不明になった蟹の捜索法とか、途中の挿話がやたらと可笑しくて、楽しく読めます。好き。

 『猫のチュトラリー』(端江田仗)は、介護ロボットが「猫」を人間だと認識して保護しようとする騒動をコメディタッチで描いた作品。なぜロボットがそんな「誤認識」をしたのか、というところにキラリと光るアイデアが使われています。人工知能の「フレーム問題」をうまく取り込んであり、感心させられます。これも読んで楽しい作品。

 『時計じかけの天使』(永山驢馬)もロボットテーマですが、こちらは「いじめ問題」に対処するために開発された「いじめられ専用ロボット」が教室にやってくる物語。要は『いじめてくん』(吉田戦車)のシリアス版ですが、女の子の姿にするところが嫌。途中で読者の心中に「この娘、本当にロボットなのか?」という疑問が生じてくるのがミソですが、かなり嫌な気分になりました。

 『人魚の海』(笛地静恵)は、こ、これは凄い。まばゆい光に包まれ身長50メートル近くに巨大化する全裸美少女たちの話なんですが、流麗な文章で神話的な物語を構築しており、多大なるインパクトがあります。

 山のような乳房が揺れ動く様から、たちこめる汗の匂いまで、力強い筆致でひたすら全裸巨大美少女を活写する前半は素晴らしいのに、後半は何だかなげやりになって、というか枚数制限に気付いたらしく、大急ぎで「あらすじ」を説明して終わってしまいます。何が書きたかったのか読者にひしひしと伝わるという点では文句無しですが、小説としては難がありすぎ。でも、収録作のなかでは実は最も好きな作品です。この「巨大女フェチ」って私には全然共感できないんですけど。

 『かな式 まちかど』(おおむらしんいち)は、「ひらがな」が住んでいる街を舞台に、それぞれの文字の悩みを書いた作品。例えば、「て」は、「線と線が離れている文字が怖くてたまらない。「ふ」にいたっては想像するだけで恐ろしく冷や汗がでてきて止まらなくなり字分の形が「で」に変わってしまう」(p.214)、という具合。同様に「の」は字分に欠けているものを探して歩き回り、「め」のナナメ線を奪おうとしたり、「あ」の十字架をひきはがそうとする。

 単純に面白いんですが、『虚構船団』など筒井康隆さんの作品を連想させるのと、つい先日、ギリシア小文字を無理やりエッチな光景に見立てるという『ギリシア小文字の誕生』(浅暮三文)を読んだばかりなので、鮮度が不足しているように感じられたのが残念。

 『ママはユビキタス』(亘星恵風))はバリバリの本格宇宙SF。事故にあった宇宙船のただ一人の生き残りである少女がこれまでの経緯を語るという構図に、次から次へと様々なアイデアが詰め込まれた作品です。ただ、個々のアイデアは割と小粒な印象で、それらを一つ一つ積み上げた先にとんでもないぶっとび奇想でも飛び出してくれればそれだけで大喜び大満足なんですが、そういう中核アイデアがないため、読み進めるにつれて小説としての魅力不足が気になってしまいます。

 『土の塵』(山下敬)は、オーソドックスなタイムトラベルもの。よく書けているとは思いますが、あまりにも定番的な展開なので個人的にはがっかりしました。アイソレーション・タンク(感覚遮断実験)により引き起こされる超能力的タイムトラベルというのは、何だかすごく懐かしいネタのような気がします。

 『盤上の夜』(宮内悠介)は、囲碁の盤面を身体感覚としてとらえる四肢切除された天才棋士の物語。盤面を自らの身体とし、石の配置が織りなす抽象空間をひたすら登ってゆく話で、ストーリーテリングの上手さでぐいぐい引き込まれます。ただ、先の展開をわくわく期待しながら読んでいるうちにそのまま終わってしまった、という物足りなさが残るのが残念。もう一歩踏み込んで、はったりでもいいから、何だか凄いシーンを読んでしまった、という気にさせてほしかった。

 『さえずりの宇宙』(坂永雄一)は、すいません、何が何やら分かりませんでした。大森さんが「すべての可能性を重ね合わせた量子的宇宙が、その情報自体を収納するために、ひとつの巨大なバベルの図書館になって、それが互いに可能性をせばめあう」(p.479)、「要するに、バベルの図書館がシンギュラリティを突破して、人間の理解を超えた量子存在になって、似たような相手と闘っていると」(p.492)と二度も解説してくれているのですが、それでも分かりません。やっぱり今どきツィッターやってないと駄目なんでしょうか。

 『ぼくの手のなかでしずかに』(松崎有理)は、『量子回廊 年刊日本SF傑作選』に収録されている受賞作品『あがり』の作者による書き下ろし作品。舞台となる街や研究施設は『あがり』と同じで、今度は数学の研究者が主人公となります。最初はリーマン予想をテーマとした数学SFかと思わせておいて、地味でリアルな恋愛小説になって、ダイエット小説へと展開して、そしてラストは『あがり』と同じく、いくら何でも無理があるだろうというSF的アイデア(例によって「利己的遺伝子」の俗流誤解釈ベース)が提示されて終わるという作品。

 研究室や研究者の描写はやはり素晴らしく、今作では登場人物たちの行動もごく自然で無理がなく、展開も良い。それなのに中核アイデアが説得力に欠けていて興ざめなんですが、これは意図的な作風なんでしょうか。この困惑感こそが作者の持ち味なんでしょうか。

 というわけで、全体的にはかなりレベルの高い作品がそろっていて感心しました。とりあえず数年後に「ああ、この作家はSF新人賞に応募した頃から、ただ者じゃないと思っていたね、オレは」などと言ってみたい方は読んでおきましょう。あと、仲間うちで「SFってそういうもんじゃないでしょう」、「SFってそもそもそういうもんでしょう」と激論してみたい方は、SF研の課題図書に指定して皆で読むとよいかと思います。


[収録作]

『うどん キツネつきの』(高山羽根子)
『猫のチュトラリー』(端江田仗)
『時計じかけの天使』(永山驢馬)
『人魚の海』(笛地静恵)
『かな式 まちかど』(おおむらしんいち)
『ママはユビキタス』(亘星恵風))
『土の塵』(山下敬)
『盤上の夜』(宮内悠介)
『さえずりの宇宙』(坂永雄一)
『ぼくの手のなかでしずかに』(松崎有理)


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