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『海を越える日本文学』(張競) [読書(教養)]

 海外、特に中国において、日本文学はどのように読まれているのか。その翻訳事情と読者の反応について紹介してくれる一冊。新書(筑摩書房)出版は2010年12月です。

「中高校生や大学生たちは紅衛兵の名義で図書館に押しかけ、青少年に害のある図書を押収するという名目で、中国や欧米の名著を私物化しました。(中略)文化大革命の世代は文学書をまったく読んでいない、という先入観がありましたが、じつは本を読むのに困りませんでした」(新書p.9)

「しかし、日本の文学作品はまったく読みませんでした。国交断絶の影響で、翻訳作品が極端に少なく、戦後の日本文学についてはほとんど紹介されていなかったからです」(新書p.10)

 かくして文革のさなか、シェイクスピア、トルストイ、ヘミングウェイといった反革命的「有害図書」を必死で読んでいた青少年が、長じてのち明治大学教授となって、中国における日本文学の翻訳と受容のあらましを語ってくれます。

 全体は三つの章に分かれています。まず最初の「第一章 何が読ませるのだろう -村上春樹、海外で人気のわけ」では、村上春樹の作品が東アジアにおいてなぜこれほどまでに人気があるのかを分析し、日本文学の受容のされ方を見てゆきます。

 『ノルウェイの森』は東アジアで絶大な人気をほこる一方、アメリカでは『羊をめぐる冒険』のほうが好まれている、など興味深い事実を指摘しながら、ある作品が他国で受け入れられるかどうかは、作品の文学的価値とはあまり関係がなく、読者の側の事情や翻訳書が出た国の出版事情によって決まる、つまり多分に偶然に左右されるのだ、ということが示されます。

 韓国、香港、台湾、中国。大衆消費社会へ突入した社会に住む若者の心に、『ノルウェイの森』がどのようにアピールしたのか。村上春樹現象の背景が様々な角度から語られます。

 村上春樹の作品は外国語に翻訳しやすい、翻訳しても原文のニュアンスがほとんど失われない、ということを(中国語が分からない読者に)示すために、幸田文の英訳版と村上春樹の英訳版を比較する、というのも面白い。英訳だと幸田文の文章のあやがきれいさっぱり消えるのに対して、村上春樹はほとんど変わらない。

 作中に日本特有の音楽や料理の名前が登場しない、という点も含めて考えると、村上春樹はおそらく最初から外国語に翻訳されることを想定して書いている、という推測が成り立ちそうです。

 「第二章 テクストたちの運命 -異文化という荒波のなかで」では、日本の作家が各国でどのように受け入れられているか、をながめてゆきます。

「東アジアのなかでも違いが見られます。韓国でヒットするが、中国ではほとんど知られていない作品があります。ただ、同じ言語圏ではおおむね反応が一致しています。たとえば、香港や台湾で人気の高い作家は中国大陸の読者も好きです」(新書p.63)

 中国における海外翻訳小説の人気、というトピックは非常に面白く、例えばカフカの作品はあまり評価が高くないそうです。それは、カフカの作品に書かれているような状況はごく普通のありふれた光景であって「むしろ陳腐に感じる」(新書p.75)ためだとか。

 欧米で人気の高い安部公房や遠藤周作の作品も、中国ではさほど人気がない。それは物語形式や、キリスト教に対する反応の違いによる。日本の「国民作家」、司馬遼太郎もさっぱり。

 その一方で山岡壮八『徳川家康』が中国でベストセラーになったのは、ビジネス本として読まれたという側面と、日本の戦国ゲームにハマっている若者たちが買い求めた、という側面があるとのことで、歴史小説(ただし近代以前を舞台とするもの)がこれから中国でブレイクするかも知れません。

 「第三章 たかが翻訳、されど翻訳 -ことばの壁は乗り越えられるか」では、翻訳によって日本語のニュアンスがどのように失われるか、という問題について詳しく見てゆきます。

 そして「第四章 まちがいだらけの文学交流 -誤解と反目の文学外史」では、日本に対する欧米の偏見(異国趣味や見下し)、戦後の韓国における日本文学受容の歴史、近代中国での翻訳事情、そして日本と中国の文学者たちがどのように喧嘩してきたか、といった生々しい話題に踏み込んでゆきます。

 文学者たちが互いの国の文学を「幼稚でとるに足らない」とけなし合う様はまことにみっともないものですが、そのいさかいの背後にあった本当の原因は何なのかを探るところが興味深いのです。

 反目について「文学観の違いや政治的、経済的な背景などに原因があるとする説があります。一理あるのかもしれませんが、もっと重要な理由は「欧米文学の影」でしょう」(新書p.143)、「日本の近代作家たちは欧米文学的な見方を内面化したのでしょう」(新書p.143)、「その意味では、たとえ日中間に戦争が起きなくても、反目は早晩起きたに違いありません」(新書p.144)といった指摘には、思わず、はっとする説得力があります。

 欧米文学の影、「欧米文学的な見方の内面化」という問題が、さらに「あとがき」において、「日本文学が「欧米で読まれている」ことと、「東アジアで読まれている」こととはまったく違う意味を持っている」(新書p.154)という指摘へとつながってゆくところはエキサイティングです。

 というわけで、「韓国、台湾、中国で『1Q84』がベストセラー」、「中国では、よしもとばなな、山崎豊子が人気作家」、「東野圭吾もヒット」といったニュースの背景にあるものを知ることが出来る一冊です。構成がやや甘く、同じ話題が章にまたがって繰り返されたり、トピックが散発的でまとまりが弱かったりする点もあるのですが、内容の面白さで最後まで興味深く読めました。


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