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『フロム・ヘル』(アラン・ムーア作、エディ・キャンベル画) [読書(ファンタジー・ミステリ・他)]

 『SFが読みたい!2010年版』において、ベストSF2009海外篇第14位に選ばれたグラフィックノベル。出版は2009年10月です。

 『バットマン:キリングジョーク』に見られるような深みを感じさせる心理描写、ドラマチックなシーンを最も効果的に提示するテクニック、あるいは映画化され大ヒットした『ウォッチメン』のように複雑で精緻をきわめた叙述法とストーリー構成など、日本でも人気のアラン・ムーア原作グラフィックノベル作品の一つです。

 個人的には、完成度が高すぎて気を抜けない『ウォッチメン』よりも、お気楽で陽気なヒーローパロディ『トップ10』の方がお気に入りなんですが、まあそれは置いといて、そのムーアの極北的作品とされるのが本作『フロム・ヘル』。

 分厚い上下巻二冊組というボリュームで描かれるのは、19世紀のロンドンを恐怖のどん底に突き落とした「切り裂きジャック」事件。基本的なストーリーラインは、スティーブン・ナイトのベストセラー『切り裂きジャック最終結論』に沿っていて、要するに英国王室がスキャンダルもみ消しのために秘密結社フリーメイソンに依頼して行わせた犯行であった、犯人はフリーメイソンのメンバーで、警察上層部にもメイソンがいて捜査に圧力をかけたのだ、という陰謀論です。

 まあ、この陰謀論は『トンデモフリーメイソン伝説の真相』(皆神龍太郎、有澤玲)でも取り上げられているので(第24章「切り裂きジャックの正体はメイソンだった!?」)詳しくはそちらを参照頂くとして、まあたわいもない妄想に過ぎないようです。

 しかし、アラン・ムーアの手にかかると、そんなストーリーラインやその信憑性などはっきり言ってどうでもよくなります。読者を待っているのは、もはや(比喩ではなく)魔術の域に達した驚くべき叙述テクニック。時間と空間が意味を失い、内宇宙と現実が溶け合い、因果律は消え去りシンクロニシティが支配する、そんな壮絶なオカルト体験です。

 作中で未来(後の方のページ)に属するシーンやセリフが過去(前の方のページ)に平然と出てきたり、時間的にもページ的にも離れたシークエンスがよく読むと同時進行(というかある次元ではたぶん同じ出来事)だったり、次から次へと現れる様々な象徴や暗喩や魔法的シンボルが、作中の表面的な出来事とは別のシークエンスを構成していたり、とにかく恐るべき構成に目眩を起こしそうになります。グラフィック・ノベルの形をとった魔術的巨大建造物というか。

 『ウォッチメン』でいうと、ドクター・マンハッタンが火星で自分の人生を回想する超絶的シークエンス(時間を超越した超人であるため、彼にとってあらゆる瞬間は同時に存在し、過去と未来の区別はありません。その意識の様をあらゆる技法を駆使して表現してのけたシーンがあるのです)が、あれが数百ページに渡って続くようなものだと思って頂ければ。

 ある意味、本作もスーパーヒーローものに分類できるかも知れません。

 絵柄やコマ割りなどぱっと見た目は非常に取っつきにくい印象が強いのですが、腰を据えて読み続けるうちに19世紀の闇に取り込まれ、気がつくと 19世紀どころか20世紀へ、そして19世紀と20世紀にまたがるシンクロニシティが宇宙から時間の流れの意味を奪うオカルト次元まで、無慈悲に連れてゆかれるので、お気をつけて。

 付録として、おなじみ「各章の注解」と、そして解説マンガというか楽屋落ち二次創作コミック『カモメ捕りのダンス』がついています。この『カモメ捕りのダンス』は、これまで切り裂きジャックの正体について提唱されてきた異説奇説珍説の数々を取り上げ、「私の説こそが真相」と叫んで殴りあう切り裂きジャック研究家たちのバトルを面白おかしく揶揄しています。もちろんムーア自身もプレーヤーとして登場。

 あまりの混乱ぶりに、ついには「もう被害者は全員自殺だったということでいいのではないか」とか「容疑者全員を部屋に閉じ込めて戦わせ、生き延びたやつが真犯人ということでどうか」みたいなヤケクソ発言。最後には「じきに誰かが切り裂きジャックの犯罪とキャトル・ミューティレーションの無視しがたい類似に気づくだろう。そこから導き出される結論はひとつしかない」(蛇足ながら、むろん「切り裂きジャック=宇宙人」という結論です)。な、なんだってーっ。

 というわけで、明らかにSFではないにも関わらず、ベストSF2009に選ばれてしまったのもよく分かる名作です。かなり陰惨な話なので誰にでもお勧めするわけにはいきませんが、オカルト思考が好きな人ならハマるでしょう。ただし、そういう人は巻末の『カモメ捕りのダンス』まで読んで軽快に笑い飛ばしてすっぱり忘れること。でないと、いつの間にか刃物を隠し持って夜の街を徘徊している自分に気づくはめになるかも知れません。


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