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『あなたのための物語』(長谷敏司) [読書(SF)]

 『SFが読みたい!2010年版』で、ベストSF2009国内篇二位に選ばれた長篇作品。単行本出版は2009年8月です。

 ナノロボットを使って脳内に疑似神経系を構築することにより、使用者に対して体験や感情を直接的に伝えることが出来る技術。"ITP"と呼ばれる経験伝達言語により記述された量子コンピュータ上の仮想人格と、それを開発した女性研究者の対話を通じて、個人にとっての「死」とは何かを徹底的に追求した作品です。

 ヒロインの死の過程を主観描写するシーンから始まって、とりつかれたように「死」についての対話と考察が続き、最後にヒロインの死の瞬間にたどり着いて終わる。他に余計な要素はなく、乾いた硬質な文章でひたすらつづられる「死」の物語は衝撃的です。

 これまでSFが「死」そのものをテーマにすることはあまりなかったように思います。死はほとんどの場合、「プロット上の悲劇的要素」、「何かの価値を高めるための代償」、「盛り上げドラマシーン」、あるいは単なる「サスペンスを強調するための時間制限」といった記号として扱われ、「死」とは何か、逃れようのない「死」を前にしたとき人はどう感じるのか、といった問題は避けてきたのではないでしょうか。

 たぶんその理由は、「死」そのものをテーマにするのは主流文学の領域であってSFの仕事ではないと思われていたためでしょう。あるいは(ある作家の言葉を借りるなら)「二百万死のうと三百万死のうと人類の進歩と調和の前では無、な小松左京的粗野」がこのジャンルにおける気分を支配していたせいかも知れません。

 しかし、本作は逃げずに徹底的に「死」に立ち向かいます。先行作品(特にグレッグ・イーガンの『TAP』および『しあわせの理由』がすぐに思い浮かびます)のアイデアも駆使しながら、人間の意識や心といったものから尊厳をはぎ取って無味乾燥なテキストと見なし、自分自身の感情や主観を“編集”の対象としたり、人格のデジタルコピーから脳への人格上書きまで、SFでしか扱えない手法をもって「自意識にとって死とは何か」を追求してゆくのです。

 死を絵空事に感じさせないためか、肉体的苦痛の描写は執拗で、次第に身体が崩れてゆく痛みと苦しみが繰り返し書かれます。読んでいて息苦しくなってくるほどです。ヒロインと仮想人格との最後の会話からタイトルの意味が明らかになるラスト30ページは感動的ですが、それでも感傷を断ち切るように終わりに向けて終息してゆくのが壮絶。

 SFマガジン2010年4月号に掲載された姉妹編『allo, toi, toi』を先に読んだときはストーリーの単調さが気になったのですが、本作ではその単調さが、ほとんど真っ白なカバーと合わせて、効果を上げていると思います。決して読みやすい小説でも、読んで楽しい本でも、率直に言って好きな作品でもありませんが、SFというジャンルがここまで来たのかという感慨を覚える重要な作品だと思います。


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