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『浄土』(町田康) [読書(小説・詩)]

 シリーズ“町田康を読む!”第17回。

 町田康の小説と随筆を出版順に読んでゆくシリーズ。今回は、2001年から2005年にかけて発表された短編7作を収録した短編集。単行本出版は2005年6月、私が読んだ文庫版は2008年6月に出版されています。

 再読です。以前に読んだときは、何とも底意地の悪いブラックユーモアを書く人だなあ、と思ったものですが、デビュー作から順番に読んできた上で再読すると、これが、それまでの作品と同じく「救いなき人生」というものをリアルに書いているのだ、ということが何となく分かってきました。

 そもそも、なぜ短編集の表題が『浄土』なのか。そんなタイトルの短編は収録されてないのに。最初に読んだときは不思議だったのですが、再読して、こう思うようになりました。虚妄に惑わされ、煩悩にとらわれて、あがき苦しむ人間の姿、つまり浄土を求めつつもやっぱ「あかんかった」(熊太郎)というわけで穢土に沈む私たちの人生、それを書いているから。

 救済を希求しながらも自業自得でドツボにはまってゆく『犬死』、汚れ仕事を押しつけられ自棄になって「ビバッ! カッパ!」と叫びながら当てつけのように滅びる『どぶさらえ』、自我が傷つくのを回避することだけに専念する無能な部下への憤怒が「穢れ」となって吹き出す『自分の群像』、といったところがストレートな作品。

 怪獣ギャオスが東京をぼろくそにいてこます様を通じて人間の尊厳というものをはぎ取ってみせた『ギャオスの話』、不要なはずのモノにとらわれコトバに呪縛されて生きている私たちの姿を描いたとおぼしき『一言主の神』などは、他の作品と同じく穢土を描いてはいても、その痛烈なユーモア感覚で大いに笑えます。

 『あぱぱ踊り』や『本音街』は、最初に読んだときはドタバタナンセンスギャグとして笑ったものですが、再読してみると、どうもこれは「地獄」を書いているらしいという気がしてきました。

 特に『あぱぱ踊り』ですが、『権現の踊り子』の後に読んだせいか、背景となる街の悪夢のような生々しさ、魂なき空疎な登場人物たちの寒々しさ、それこそ地獄絵のようにおそろしく、しかもこれがつまり私たちの姿だと思うと、笑うに笑えません。

 というわけで、最初に読んだときと再読したときで、読後の印象が全く変わってしまった一冊です。そのうち再々読して、また印象が変わるのか、確かめてみたいと思います。


[収録作品]

『犬死』
『どぶさらえ』
『あぱぱ踊り』
『本音街』
『ギャオスの話』
『一言主の神』
『自分の群像』


町田康を語る言葉コレクション

「私小説の伝統をぶっちぎる」(松岡正剛)

    文庫版『浄土』解説より

タグ:町田康
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