SSブログ

『恋文の技術』(森見登美彦) [読書(小説・詩)]

 京都を舞台にクサレ大学生どもが無用な試練にあたふたする妄想話を書かせれば日本一、いやおそらく世界一の作家、モリミーこと森見登美彦の最新長編です。

 モリミー初の書簡体小説、つまり手紙だけで構成された作品です。内容ですか、まあ京都を舞台にクサレ大学生どもが無用な試練にあたふたする妄想話。

 いつもと同じですが、今回ちょっとだけ工夫してあるのは、主人公が能登半島にある大学の研究所に修論のために飛ばされており、京都で進行している事態には知人との文通によって間接的にかかわるしかない(少なくとも最初のうちは)、という設定です。

 読者は主人公が書いた手紙しか読めないため、相手の返信内容は想像するしかありません。そうやって、複数の相手に出した手紙を読み進めるうちに、次第に状況がのみ込めてゆくという、まあそういう感じ。

 ちなみに同じ事件を少しずつ視点を変えて何度も書きながら、徐々に詳しいことが分かってくるようにする、という手法はモリミーの得意技です。さすがに巧い。

 物語のなかほど、おっぱい事件が勃発し(それがどんな事件であるかはアホらしくて紹介する気にもなりません)、まあ色々とあって、主人公は意中の女性に恋文を書かなければならないはめに陥ります。そこで、大学の先輩である駆け出し作家「森見登美彦」に手紙を書いて、どんな美女も籠絡する「恋文の技術」を教えてくれと頼むのですが・・・。

 作中の「森見登美彦」はおおむね作者本人でしょうが、黒髪の乙女ばかりで構成されるファンクラブがあって、彼女たちから熱烈なファンレターを沢山もらっている、その返事に忙しくて締め切りを守れないのが悩みという、まあ作家は何を書いてもいいのです。

 果たして主人公は無事に恋文を完成させ、それを彼女に渡すことが出来るのか。そんなことどうでもいいと思いつつ、何となく気になって最後まで読んでしまうところはお見事。

 ラストはちょっといい話風になって爽やかに終わるわけですが、それにしても、途中で、おっぱい、おっぱい、おっぱい万歳、と騒ぎ過ぎ。せっかく爽やかに終わっても、読後そればかりが記憶に残ります。もう作者も30歳になるのですから、「おっぱい」ではしゃぐ作風は見直した方がよろしいかと。

 余談ですが、作中における「森見登美彦」の作品に対する主人公の評価はこんな感じ。

「森見さんの小説は御都合主義的すぎます。リアリティというものがありません。野放図に妄想すればそれで済むというものじゃない」(単行本p.115)

「京都のことしか書かないから面白くない。自分の半径1キロより外のことは書けない。興味がないのだ」(単行本p.206)

 おそらく評論家や編集者や読者から言われ続けているのだと思いますが、そんなこと気にせず、これからも京都を舞台にクサレ大学生ども(狸含む)が無用な試練にあたふたする妄想話を、反省なく書き続けてほしいものだと思います。

タグ:森見登美彦
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(1) 
共通テーマ:

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 1