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『海底八幡宮(すばる2008年10月号掲載)』(笙野頼子) [読書(小説・詩)]

シリーズ“笙野頼子を読む!”第43回。

 『すばる』に掲載された最新作を読みました。

 基本的には、『金毘羅』、『萌神分魂譜』に続く第三作目、ということになるかと思います。

 第一作は金毘羅の自分語り、第二作は金毘羅と萌神それぞれの語り(対話なし)、そして本作ではついに金毘羅と海神(亜知海)の対話が書かれます。後半になると『ろりりべ』も合流して、これまでの作品を総括するような大きなうねりとなって読者を引きずり込んでゆくのです。

 中央権力によって滅ぼされ服従させられ侮辱されたものたちの怨念を海神が語れば、私的な苦悩と闘争のあれこれを金毘羅が語り、それらが共鳴して古代と現代が結ばれてゆく。徴税と徴兵のために作られたシステムが、今なお個人の内面を圧殺し文学をなかったことにし続けている、そういう私たちの社会の構造があらわにされてゆきます。

 個人的には、金毘羅の語り(某評論家の件とか、三田文学のアレとか、愛猫ドーラの容体が悪化していることとか)がいちいち胸に刺さるようで、読んでいてつらい。特にドーラの話は悲しく、悔しい。

 笙野頼子さんを読み始めてわずか2年たらずの新参者である私でさえこんなに辛いのだから、長年ドーラとつきあってきた読者など、もう涙なしには読めないのではないかと心配です。

 笙野頼子さんの作品を読むというのは、本当に特別な体験です。自分が抱えている“生きづらさ”の奥にある、隠されている構造がうっすらと見えてくるような気がします。そして、理不尽な苦難を背負わされたものが、残り寿命の限られた愛猫とすごすべき1秒1秒を削って書いた文章を読む、その贅沢に心苦しさを覚えます。

 というわけで、とにかく本書は笙野文学の集大成にして最高傑作だと思います。まあ、新作を読むたびにそう思うのですが。

タグ:笙野頼子
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