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『金毘羅』(笙野頼子) [読書(小説・詩)]

シリーズ“笙野頼子を出版順に読む!”第10回。

 1999年を起点に、笙野頼子の著作を単行本出版順に読んでゆきます。今回読んだ『金毘羅』、単行本出版は2004年10月。

 とうとう笙野文学の最高峰ともいわれる『金毘羅』を読みました。祈りと信仰、そして神をテーマとした宗教小説です。と同時に、作者の自叙伝として読むことも可能な作品です。

 同じ作者の『水晶内制度』では、国家について書くために架空の国“ウラミズモ”を創造しました。同じように今作では、神について書くために、架空の神“金毘羅”を創り出してしまうのです。

 もちろん本物、というか一般に信仰されている金毘羅がベースになっていますが、本作における金毘羅は「見えなくされ、黙殺され、なかったことにされたもの」を救うカウンター神として再構築されています。このオリジナル金毘羅の細かい設定や描写だけでも、充分に楽しめます。

 しかし、本当に凄いのはここから。この小説は、神が自ら語る金毘羅一代記になっているのです。それでいて、その中に作者自身の人生がすっぽり納まっています。自叙伝としても読める、というのはそういう意味です。

 全体は『水晶内制度』と同じく四部構成。やはり第一部が神から人間への転生、第四部が人間から神への帰還を扱っており、はさまれた第二部と第三部が人間としての人生、すなわち金毘羅にとっての異界を扱います。『水晶内制度』との構成上の相似は明らかです。

 もちろん語り手は作者本人ではありません。別の小説で八百木千本(作者の分身、レギュラー)もそう言ってましたし。ときどき割り込む(笙野注)等の作者ツッコミも、語り手を笙野頼子と混同しないよう釘をさしてくれます。

 それでも、やはり自伝的に読めてしまうのですね。伊勢や佐倉などの地名が(S倉、のように距離を置かず)そのまま出てきますし。書かれているエピソードが事実そのものではないにしても、主観的な“真実”を正直に書いた、そう読めます。

 神が自らの精神世界について神の言葉で語るという、破天荒な小説でありながら、圧倒的なリアリティ、と言って悪ければ“切実感”を感じさせるのは、そのためでしょう。

 どうしようもなく生きにくい人生、生まれ故郷に対する激しい違和感、外界から侵入してくる疎外感、(女だから)黙殺され、なかったことにされる言論。それらを「自分は金毘羅だったのだ」と悟ることで、全て引っ繰り返してみせる。とてつもない力業です。

 この力業をなし遂げるために、本作では、それまでに書かれた様々な作品のモチーフが使われています。神話の再構築、担当の神の変更、黒い翼、鰐や天狗、純文学論争。後半、これらが集結してゆき「金毘羅としての自我」を確立するという形で昇華するところは、もう圧巻です。凄いです。

 オリジナル神を創造し、自分の人生を凝縮し、神話を再構築し、戦いの狼煙を上げる。300ページほどの小説で、これらを全てやってのけた力量には、感服する他にありません。しかも、読んで面白い痛快な作品に仕上げてあるのです。

 今の文学に何が出来るのかと論ずる前に、まずは読んでみるべき作品です。

タグ:笙野頼子
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