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『深層学習の原理に迫る 数学の挑戦』(今泉允聡) [読書(サイエンス)]

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 数学に基づく理論研究は長い歴史を持ち、深層学習以前のデータ分析手法の理解に貢献してきた。しかし、近年急速に発展した深層学習の挙動は、これらの既存理論と矛盾していることが明らかになった。深層学習の「たくさんの層を持つ」「膨大な数のパラメータがある」などの性質は、既存の理論では不必要・予測の精度を損なうものとして避けるべきとされてきた。しかし実際の深層学習は、理論的な主張と正反対の方法を用いて高い性能を実現している。この実際と理論のギャップが深層学習の理解を阻んでいる。本書はこれから、既存の理論で説明できていない深層学習の謎と、それを解決するための理論の試みをいくつか紹介する。
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単行本p.30


 第三次人工知能ブームの主役であるディープラーニング、深層学習。だが深層学習の動作は、既存理論とは矛盾していることがわかってきた。すなわち深層学習がどうしてうまく機能するのかを、私たちはきちんと理解できていないのである。深層学習を原理レベルで理解するための理論研究の現状を紹介する一冊。単行本(岩波書店)出版は2021年4月です。


〔目次〕

第1章 深層学習の登場
第2章 深層学習とは何か
第3章 なぜ多層が必要なのか
第4章 膨大なパラメータ数の謎
第5章 なぜパラメータの学習ができる?
第6章 原理を知ることに価値はあるか




第1章 深層学習の登場
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 深層学習の研究が行われている機械学習の研究領域においては、論文の大半を無料で公開・閲覧できる環境が、学会・学術雑誌によって整えられている。よって研究資金が潤沢ではない大学や研究機関であっても、低コストで論文を閲覧・公開して研究に貢献することができる。(中略)IT大企業は深層学習のための整った計算ライブラリを無料で公開しており、研究に参入する障壁は非常に低い。このように研究界隈がオープンなシステムを整えているため、他研究分野や産業界の研究者が深層学習の研究に参入することが容易で、深層学習の急速な発展を推進する一因となっている。
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単行本p.12

 深層学習の概要と急速な実用化の流れを示し、その背後にある背景や研究環境について解説します。




第2章 深層学習とは何か
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 深層学習の原理は未だに完全には理解されていない。すなわち、深層学習が既存のデータ分析手法より良い性能を発揮できる原因は、十分には解明されていない。驚くべきことに、我々はなぜ深層学習が優れた性能を持つのかを理解しないまま、その優れた性能の恩恵を受けている。理解がなくても深層学習を活用することはできるが、現状の深層学習の問題点を解決し、さらに優れた技術を開発するには、現状の深層学習の原理を理解することが必要である。
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単行本p.29

 深層学習の基盤であるニューラルネットワークとその数学的取り扱いについて解説します。




第3章 なぜ多層が必要なのか
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 この結果は1990年代の数学者・統計学者によって示されたもので、普遍近似定理と同様に層が2つあるニューラルネットワークが、十分に良い性質を持っていることを示している。特に2層のニューラルネットワークによる関数近似能力について、これよりも良い性能を達成することは数学的に不可能であることを意味している。(中略)
 しかしながら、前章紹介した近年の高性能なニューラルネットワークは、数十から100を超える層を持っている。すなわち実験的には、ニューラルネットワークの層を増やしてデータの変換を数十回繰り返すことが、高い性能に必要であることが分かっている。(中略)ここに数学的理論と実際の深層学習との間に矛盾が存在しており、これが深層学習の理解を阻む障害となっている。
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単行本p.35、36

 深層学習を構成するニューラルネットワークは多層であることが重要、多層であればあるほど良い結果が得られる、ということが実験的に判明している。しかし、この結果は既存の数学理論と矛盾してしまう。深層学習が示す挙動を説明しようとする理論研究について紹介します。




第4章 膨大なパラメータ数の謎
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 前項では、膨大なパラメータの数が自由度を通して過適合を起こす、という理論的な主張を紹介した。しかしながら、この数学的な主張は近年の深層学習の実性能とは大きく矛盾している。すなわち、膨大なパラメータを持つニューラルネットワークは、計算機上ではほとんど過適合せず、それゆえにデータ分析において高い正答率や精度を実現している。(中略)これは理論が不十分で現実を説明できていないためであり、この矛盾を解決するための新しい理論が求められている。
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単行本p.65

 深層学習を構成するニューラルネットワークの特徴は、多層であることに加えて、膨大な量のパラメータを配置していることにある。だが、パラメータが多すぎると学習の偏りが起きて性能が低下してしまうと既存の理論は予想している。なぜそうならないのか。深層学習が過適合問題を回避する現象を説明しようとする理論研究について紹介します。




第5章 なぜパラメータの学習ができる?
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 最後の大きな謎は、パラメータの学習の課程そのものである。数学的には、多層ニューラルネットワークのパラメータの学習は、非常に困難であると思われていた。しかし実際に使われている多くの学習アルゴリズムは、この数学的な予想を裏切る形で開発されている。ただ、未だそのメカニズムは十分には理解されていない。
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単行本p.91

 機械学習においては、十分に複雑なパラメータ空間におけるアルゴリズム探査は局所的適地に到達して安定してしまうため、最適解を得ることは非常に困難だと、既存の理論は予想している。しかし実際の深層学習は容易に最適化をなし遂げてしまう。その理由はなにか。パラメータ学習がどのように機能しているのかを理論的に理解するための試みを紹介します。




第6章 原理を知ることに価値はあるか
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 現状の深層学習は、探索的に発見された層の多いニューラルネットワークを用いているが、具体的にどういう理由でそれが有用なのか、理解は未だ発展途上である。今後、数学的解析によりこれが理解できれば、深層学習の利点のみを引き継ぎ、その問題点を解決した全く別の技術を提案することが可能になる。そういった将来的な発展の可能性に向けて、今後もさらなる理論的な解析が望まれている。
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単行本p.116

 深層学習がニューラルネットワーク構造を採用しているのは「たまたまうまくいった」からだ。もしかしたら、全く異なる構成により深層学習を超えるAI技術が可能になるかも知れない。そのためには、現状の構成でなぜうまくゆくのか、その本質を理解する必要がある。どう活用するか、だけでなく、理論的な「理解」を目指す研究の意義について解説します。





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『カイメン すてきなスカスカ』(椿玲未) [読書(サイエンス)]

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 最古の動物は、カイメンか? それともクシクラゲか?
 ――じつのところ、この問題に対する明確な回答は、今もまだ得られていない。解析に用いる遺伝子領域やデータの解析手法によって結果が異なるからだ。
 2017年6月にアイルランドで行われた国際海綿動物学会では、カイメン最古説を支持する研究者がクシクラゲ最古説を「アーチファクト(人為的な効果)に基づく誤った結果」と一蹴し、会場のクシクラゲ派たちがピシリと固まって空気がスッと冷える一幕があった。
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単行本p.27


 脳も神経も消化器も筋肉もない、スカスカの身体で巧みに生き延びているカイメン。はたして最古の動物なのか? その骨片の美しさは意味不明? 一万年以上生きている個体が発見された? 神経系がないのに神経伝達物質を活用? 謎と驚きに満ちた地味動物カイメンの魅力を研究者が紹介する一冊。単行本(岩波書店)出版は2021年8月です。


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 カイメンの生きざまをひもといていくと、人間のものさしでは測ることができない「頭でっかちではない戦略」が見えてくる。それもそのはず、頭でっかちになろうにも、カイメンには脳も神経も、果ては消化管や筋肉すらもないのだから。あるのは、穴だらけのスカスカの体だけ。
 この上なく単純な体で、生きるためには避けられない数々の問題に立ち向かうカイメンたち。シンプルでありながら機能的、鈍重に見えて意外と軽快、そして時には生態系全体に大きなインパクトをも与える、めくるめくカイメンの世界を、本書で一緒に探検してみよう。
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「はじめに」より


 地味ながら興味深い二種類の生物、すなわちカイメンおよびカイメン研究者の知られざる生態を一般向けに紹介してくれる魅力的なサイエンス本です。




〔目次〕

第1章 ヒトとカイメン
第2章 生き物としてのカイメン
第3章 カイメン行動学ことはじめ
第4章 カイメンをとりまく生き物たち
第5章 生態系のなかのカイメン




第1章 ヒトとカイメン
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 実際、地中海地域では古来からカイメンは重要な交易品で、イソップ童話にもカイメンを運ぶロバの話があるくらいだ。沿岸地域の人々が自然に打ち上がったカイメンだけでは飽き足らず、より多くのカイメンを求め、海にくり出すようになったのは自然な流れだったのだ。
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単行本p.5

 まずは人間の生活や歴史とカイメンとの関わり合いをまとめます。スポンジとして、避妊具として、画材として、医療用品として、わたしたちの身近にあったカイメン。その養殖にまつわる困難。医薬品の元となる化学物質の宝庫としてのカイメンなど。




第2章 生き物としてのカイメン
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 磯で目にするようなカイメンは一見すると地味で、貝や昆虫のように目を引く美しさはない。しかし地味なカイメンたちも、ひとたびその骨片に目を向けると、その外見に反して、息をのむほどに美しい造形を宿している(もちろん、すべてがそうではないけれど)。
 そんなカイメンを見つけると、世界でただひとり、私だけが周到に隠された重大な秘密にたどりついたような喜びがこみあげてくる。そして次にフィールドで出会ったときには、秘密を知る共犯者の心持ちで、そのカイメンにニヤリと微笑みかけるのだ。
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単行本p.38

 カイメンの体の構造を詳しく見ていきます。すり潰しても復元する驚異の再生力。その生殖方法と生活史。骨片の美しさ。最古の動物はカイメンかクシクラゲか論争、そして何と年齢1万年を超える長寿カイメンの発見まで。世界一長生きの動物はアイスランドガイ(500歳)、というクイズ番組の答えに憤激する著者。「言いようのない悔しさがこみあげてきた。さえない無脊椎動物枠として、アイスランドガイには勝手に仲間意識を抱いていた」(単行本p.49)のに!




第3章 カイメン行動学ことはじめ
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 また興味深いことに、カイメンがシグナル伝達に用いる物質はグルタミン酸やガンマアミノ酢酸など、他の多細胞生物の神経伝達物質と共通していることもわかった。(中略)カイメンは神経系をもたないため、これまではその他の多細胞動物は、カイメンと分岐した後に、神経伝達物質を獲得したと考えられてきた。しかしこの発見から、動物はカイメンと分岐する前に神経伝達物質を獲得した可能性が強く示唆された。
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単行本p.57

 筋肉も神経系もないため整合のとれた運動は不可能に思えるカイメン。だが、新陳代謝を担う体内水路をきちんと洗浄したり、付着している岩の上をじわりじわり移動したりと、意外に巧みに運動してのける。しかも細胞間でのシグナル伝達に使われている物質が他の多細胞動物と共通しており、神経系よりもずっと先に神経伝達物質が生じたこともわかる。カイメンの運動機能に関わる様々な知見を紹介します。




第4章 カイメンをとりまく生き物たち
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 このように繁殖に参加せず、攻撃など他の役割に特化した階級をもち、親子2世代以上が同時にコロニーに存在する動物を「真社会性動物」という。真社会性はハチやアリなどの昆虫でよく知られるが、海ではこのツノテッポウエビが唯一の真社会性動物だ。(中略)
 動物らしからぬ再生能力と迷宮のような水路網をもつカイメンの存在があったからこそ、ツノテッポウエビは生物が形づくる社会システムの一つの頂点というべき真社会性を獲得できたといえる。
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単行本p.76、79

 カイメンの内部で真社会性を進化させたツノテッポウエビ、カイメンに全身埋まって共生しているホウオウガイ、甲羅の上にカイメンをつけて共生するカイカムリ、カイメンを道具として使用するイルカ、カイメン奥部に棲息しながら光合成に必要な外部の光を吸収するためにカイメン骨片を光ファイバーとして利用するシアノバクテリアまで、カイメンと様々な生物との共生や捕食などの関係を見てゆきます。




第5章 生態系のなかのカイメン
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 白亜紀の終わりには、カイメン礁は地球上から姿を消した――と、考えられてきた。
 ところが、である。1987年、カナダ西岸沖水深約200mの深海から、絶滅したはずのカイメン礁が発見されたのだ。絶滅したと考えられていたカイメン礁の発見だけでも十分すぎるほどの驚きであったが、想像をはるかに上回るその大きさに、研究者たちは圧倒された。発見されたカイメン礁は、高さ20m、面積700平方km以上という、すっぽり東京23区が入ってしまうほどの巨大な構造物であった。カイメン礁を発見したカナダの研究者たちは、のちにそのときの驚きを「恐竜の群れに出会ったようだった」と表現している。
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単行本p.111

 カイメンを介した海の物質循環、カイメンループの発見。深海の栄養循環を駆動し、独自の生態系を構築するカイメン。そして直接的な食物連鎖に参加している肉食カイメン。海洋生態系のなかでカイメンが果たしている役割を解説します。





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『「役に立たない」研究の未来』(初田哲男、大隅良典、隠岐さや香、柴藤亮介:編) [読書(サイエンス)]

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 競争的資金には大きく分けると、研究者の自由な発想にもとづくボトムアップ型の研究費と、出口志向の強いトップダウン型の研究費があり、近年では、後者への投資が増えてきています。トップダウン型の研究費は、経済的価値につながる「役に立つ」研究分野に重点的に配分されることが多く、この「選択と集中」の施策については多くの研究者が疑問を持っています。

 もちろん、経済的価値の見込める研究への投資は重要ですが、「役に立つ」研究を支えているのは、研究者の自由な発想から生まれた無数の「役に立たない」(とされる)研究、すなわち運営費交付金により支えられている「基礎研究」であることも同時に考えていかなくてはなりません。なにより、読み進めていただければおわかりになるとおり、そもそも何をもって「役に立つ」研究とするのかは非常にあいまいで、難しい問題なのです。
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単行本p.5


 日本における基礎研究は危機的状況にある。「選択と集中」が叫ばれ、とにかく役に立つ研究、お金が儲かる研究をやれ、そうでない研究には金を出さない、という風潮がかつてなく強まっているのだ。研究現場に身を置く科学者たち、そして科学史の研究者が、基礎研究が置かれている状況と課題、解決策について語り合った対談を単行本化した一冊。単行本(柏書房)出版は2021年4月、Kindle版配信は2021年4月です。


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 われわれ研究者は、運営費交付金のことをよく「生活費」というんですけれども、それは研究者が、自分の好奇心のおもむくままに研究をおこなうのに最低限必要な資金なのです。そのような研究をおこなえる日々があって、そのうえで初めて、「選択と集中」をするという可能性がようやく出てくる。ここ十数年は、そのバランスが崩れていると言えますね。これは非常に大きな問題だと思います。(中略)
 日本の行政機関でよく見かけるのは、「海外ではこんなに進んでいる、なのに日本では遅れている、だから集中的にお金を投資しなきゃいけない」という謎の論理です。これって、まだ誰も知らない真理を発見しようと努力している科学者からすると理解不可能な論理です。このような意味でも、科学者、あるいは科学とは何かを理解している人が科学政策の策定に関与することが大事だと思います。
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単行本p.103、104


 多様性をその本質とし、応用研究との循環的な発展や長期的波及効果により評価されるべき基礎研究が、選択と集中、成果主義、説明責任、費用対効果、といった言葉によっていかに潰され、歪なものになっているかという現状が切実に語られます。さらには若い研究者が失敗を極端に恐れて「役に立つ」と見なされそうな研究にしか手を出さない、といった悪循環までが生じているといいます。では、研究者はどうすればよいのでしょうか。そして企業や民間団体、そしてわれわれ市民に出来ることは。

 対談本なので話は行ったり来たり繰り返したりして必ずしもまとまりがよい印象にはならないのですが、基礎研究の現場が今どういう状況にあるのかを生々しく伝えてくれる点で、研究者を目指している若い方には一読をお勧めします。もちろん科学政策の策定に関与している方にも。


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 ここで私からお話ししておきたいのは、なるべく多くの人が、学問の短期的な価値、とくに経済的・軍事的な価値だけでなく、長期的な有用性であるとか、有用性という言葉によらない精神的な価値といったものを意識できる状態をつくることの大切さです。これは、単に学者がすばらしい研究成果について社会に向かって話せばいいということではなく、周辺的な状況も関わってくると思います。つまり、真に重要なのは「教育」と「経済」なのです。
 教育の中で、長い時間をかけて研究の成果を伝えていくことに加えて、経済状況を改善していく必要がある。(中略)すぐには「役に立たない」科学のための場所を増やすには、まず、機会の不平等が過剰でない社会が前提になってくるはずですし、そういう社会を私たちはつくっていかなければならないのだと思います。
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単行本p.90





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『禍いの科学 正義が愚行に変わるとき』(ポール・A・オフィット:著、関谷冬華:翻訳) [読書(サイエンス)]

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 科学は、パンドラの美しい箱になりえる。そして、科学の力でどんなことができるのかを模索する私たちの好奇心が、時として多くの苦しみと死をもたらす悪霊を解き放ってしまうこともある。場合によっては、最終的な破滅の種がまかれることになるかもしれない。これらの物語は、有史以来、現在にまで続いている。そして、パンドラの箱の教訓は忘れられたままだ。
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単行本p.13


 科学の進歩は世界を変え、多くの人々の命を救ってきた。だが科学はときとして世界に災厄を解き放ってしまうこともある。鎮痛薬、マーガリン、化学肥料、優生学、ロボトミー、環境保護運動、メガビタミン療法。善意から生み出されたものが悲劇を招いた七つの事例を通じて科学と社会の関係を探究する本。単行本(日経ナショナル ジオグラフィック)出版は2020年11月、Kindle版配信は2020年12月です。


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 最後の章では、私たちが学んできた教訓を電子タバコや樹脂化学品、自閉症治療、がん検診プログラム、遺伝子組み替え作物などの最先端の発明に当てはめて考え、発明が誕生する段階で科学の進歩と科学が引き起こす悲劇を見分けられるのかどうか、私たちが過去から学ぶのか、あるいは再びパンドラの箱を開くのかを見ていく。そこから導き出される結論は、間違いなく読者を驚かせることだろう。
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単行本p.14


【目次】
第1章 神の薬 アヘン
第2章 マーガリンの大誤算
第3章 化学肥料から始まった悲劇
第4章 人権を蹂躙した優生学
第5章 心を壊すロボトミー手術
第6章 『沈黙の春』の功罪
第7章 ノーベル賞受賞者の蹉跌
第8章 過去に学ぶ教訓




第1章 神の薬 アヘン
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 かつて科学者たちは、モルヒネでアヘン中毒を治療できるのではないかと考えていた。次には、ヘロインでモルヒネ中毒を治療できるのではないかと期待した。そろそろ別の方法を試してみる時期が来ていた。彼らは、薬を合成することにより、痛み止めから中毒性を取り除くという挑戦を再び始めた。だが今度も挑戦はうまくいかず、結果は大失敗に終わることになった。
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単行本p.30

 痛みを取り去る鎮痛剤。神の恩恵ともいうべき鎮痛剤には、しかし中毒性という罠がつきまとう。アヘン、モルヒネ、ヘロイン、そしてオキシコンチン。麻薬中毒を治療するための新たな麻薬の開発をくり返した鎮痛剤の歴史をたどります。


第2章 マーガリンの大誤算
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 悪玉だと信じられていた飽和脂肪酸を大量に含むココナッツ油やパーム油などの熱帯植物油とバターのような動物性油脂を使用する企業を糾弾することで、CSPIやNHSAは知らず知らずのうちにもっと危険な食品であるトランス脂肪酸を米国に普及させていた。25パーセントのトランス脂肪酸を含むマーガリンのような食品が突如として「健康に良い代用品」に祭り上げられたのだ。1990年代の初めには、数万点の食品に部分水素添加油脂が使われるようになっていた。安価で、宗教の戒律に触れず、健康に良い代用品といわれたこれらの食品は、飛ぶように売れた。
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単行本p.62

 科学は脂肪の摂取が心臓病の原因となることを発見した。動物性脂肪を含むバターの代わりに、安価で健康に良い植物性脂肪のマーガリンを食べよう。だがマーガリンに含まれるトランス脂肪酸がどれほど危険であるか、手遅れになるまで誰も気づかなかった。脂肪の安全性に関する混乱の歴史を解説します。


第3章 化学肥料から始まった悲劇
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 ミュンヘンのドイツ博物館には、見学者が近づかないよう低い柵で仕切った内側に、フリッツ・ハーバーとロベール・ロシニュールが空気から窒素を固定するために制作した卓上装置が置かれている。時折、見学者が装置の前で足を止め、少し眺めてから、そのまま通り過ぎる。この装置から世界的な化学肥料の生産が始まり、多くの人命が救われたが、過剰な窒素で環境が汚染され続けているために最終的な破滅へのカウントダウンが始まったかもしれないことに、思いをはせる者はいない。
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単行本p.108

 窒素固定技術。その発明により化学肥料の大量生産が可能となり、数十憶人が飢餓から救われた。しかし、それに伴う窒素化合物汚染は深刻さを増し、地球の生態系を脅かしている。私たちの生活を豊かにすると同時に爆薬や毒ガスを作ってきた化学の功罪に迫ります。


第6章 『沈黙の春』の功罪
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 DDTを足がかりとして、米国は泥沼から抜け出した。ハマダラカはいなくなり、人々がマラリアにかかる心配はなくなった。それから、環境保護の名目で、米国は自分たちが脱出に使った足場をしまい込み、途上国には役に立たない生物戦略や、高くて買えない抗マラリア薬だけを残した。
 環境保護庁が米国でDDTを禁止した1972年以降、5000万人がマラリアで命を落とした。そのほとんどは、5才未満の子どもたちだった。(中略)『沈黙の春』でカーソンが警告したにもかかわらず、ヨーロッパ、カナダ、米国の研究により、DDTは肝臓病や早産、先天性異常、白血病、あるいは彼女の主張にあった他の病気の原因にはならないことが示された。DDTの使用期間中に増加した唯一のがんは肺がんだったが、これは喫煙が原因だった。何といっても、DDTはそれまでに発明されたなかでは最も安全な害虫対策だった。他の多くの殺虫剤に比べれば、はるかに安全性が高かった。
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単行本p.208、209

 殺虫剤DDTの危険性を訴える『沈黙の春』(レイチェル・カールソン)はベストセラーとなり、ここから米国における環境保護運動は始まった。しかし、この本の警告には科学的根拠がなく、DDTの禁止による弊害は大きかった。カーソンが生み出した「ゼロ・トレランス」概念は今もなお大きな問題を引き起こしている。環境保護運動が抱える影の側面を示します。


第7章 ノーベル賞受賞者の蹉跌
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 理由はどうあれ、この3人が及ぼした悪影響は計り知れない。ポーリングは人々にがんや心臓疾患のリスクを高めるだけでしかない大量のビタミンとサプリメントの摂取を勧め、デュースバーグは間接的にだが南アフリカで数十万人をエイズで死亡させ、モンタニエは治療効果が見込めず、有害性を持つ可能性すらある薬を提供して、子どもたちを何とかしたいという親たちの切なる願いを利用した。
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単行本p.242

 ノーベル賞を受賞した科学者たちが間違うとき、その権威は大きな災厄を引き起こすことがある。自分の間違いを認められず、あらゆる証拠を無視して有害な療法を普及させた三人のケースを取り上げ、科学者の社会的責任について考えます。


第8章 過去に学ぶ教訓
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 あらゆる進歩には代償が伴う。その代償が高いものになり過ぎないかどうかを調べるのは、私たちに課せられた仕事だ。ワクチンや抗生物質、衛生管理プログラムのように、ごくわずかな代償で済む場合もある。だが、トランス脂肪酸やロボトミー手術、メガビタミン療法のように、ある場合には代表は非常に大きくなる。これらのケースについては、どれも計算は簡単だ。しかし、オピエート(アヘンアルカロイドの薬剤)や化学肥料のように、短期間のうちに得られた利益やメリットを長期的な損失が大幅に上回り、影響の大きさを簡単にはじき出せない場合も多い。
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単行本p.276

 科学の進歩によって生まれた問題解決の方法をどのように評価すればよいのだろうか。電子タバコ、樹脂化学薬剤、自閉症治療、がん検診プログラム、遺伝子組み替え作物など、今日の議論を取り上げて、その功罪について考えます。





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『三体問題 天才たちを悩ませた400年の未解決問題』(浅田秀樹) [読書(サイエンス)]

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 日常感覚からすれば、天体の個数が「2個」と「3個」の間に、劇的に大きなギャップが存在するというのが不思議です。
 実際、大昔の科学者たちも、「二体問題」が解けたのだから、「三体問題」も頑張れば(何らかのうまい数学的な操作を発見すれば)、その解は見つかるのではないかと楽観的に考えました。とくに天才数学者・科学者たちは、「俺こそ、その解の発見者になれる才がある」と自信満々だったに違いありません。実際に、天才たちによって「特別な状況」を仮定した場合においての「三体問題」の解は発見されています。しかし、「一般的な条件」での解を見つけることには、ことごとく失敗したのです。
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単行本p.8、10


 とある事情から最近やたら有名になった数学の難題「三体問題」。なぜ一般解が得られないのか、近似解すら得られないというのはどういうことか、そして今日なお発見が続く特殊解の研究。数学の難問に挑んだ天才たちの歴史と、実際の宇宙における多体問題について解説する一冊。単行本(講談社)出版は2021年3月、Kindle版配信は2021年3月です。


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「三体問題」には、オイラー、ラグランジュ、ポアンカレといった、科学史にその名を残す有名数学者・科学者が挑戦し、彼らの挑戦を次々とはねのけてきた輝かしい戦歴があります。彼らの素晴らしい才能をもってさえ、完全には解決することができなかった「問題」なのです。そして、21世紀の現在でも、「三体問題」は永遠のフロンティアであるかのような雰囲気を醸し出しています。
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単行本p.4


〔目次〕

第1章 解ける方程式
第2章 解けない方程式
第3章 ケプラーの法則とニュートンの万有引力
第4章 三つの天体に対する解を探して
第5章 一般解とはなにか
第6章 つわものどもが夢のあと
第7章 三つの天体に対する新しい解が見つかる
第8章 一般相対性理論の登場
第9章 一般相対性理論の効果をいれた三つの天体のユニークな軌道
第10章 天体の軌道を精密に測る




第1章 解ける方程式
第2章 解けない方程式
第3章 ケプラーの法則とニュートンの万有引力
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 5次方程式の解法をめぐる話は大変興味深いものです。このことから本書の核心である「三体問題の解」を考察するときにも重要になる教訓が一つ得られます。ある方程式が「解ける」あるいは「解けない」ということを論じるさいには、その解を得るための手段――例えば代数的な操作に限る――をはっきりさせる必要があるのです。
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単行本p.48

 まず基礎知識として、ある方程式が「解ける」とはどういうことか、「解法」とは何なのかを、一次方程式、二次方程式を例に解説します。そして五次方程式が「代数的には」解けないことの発見と、楕円関数を応用した「代数的ではない」五次方程式の解法について、さらにニュートン力学と二体問題の解決について示します。


第4章 三つの天体に対する解を探して
第5章 一般解とはなにか
第6章 つわものどもが夢のあと
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 ブルンスは科学者たちの頼みの綱であった「求積法」を用いて「三体問題」を解くことが不可能なことを証明してしまいました。さらに追い打ちをかけるように、ポアンカレが登場し、級数の形でさえ「三体問題」の解が得られないことを証明しました。もはや「三体問題」の解をこれ以上発見することは、永遠の夢になってしまったのでしょうか。
 答えを先にいいますと「求積法」や「級数展開」を用いて解が得られないことは、もう解を見つけられないことと等価ではありません。
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単行本p.162

 オイラーの制限解、ラグランジュの特殊解(ラグランジュ点とトロヤ群の発見)、一般解への挑戦とその顛末、カオス理論の発見、などの話題を解説し、三体問題に挑んだ数学者・物理学者たちの足跡をたどります。


第7章 三つの天体に対する新しい解が見つかる
第8章 一般相対性理論の登場
第9章 一般相対性理論の効果をいれた三つの天体のユニークな軌道
第10章 天体の軌道を精密に測る
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 ヘギーによる数値計算の結果によれば、「8の字軌道」の3体系が存在する確率は、銀河あたり高々1個程度だそうです。確率の小ささは想定の範囲内です。しかし、そんな数学的なモノが宇宙に存在可能だということに驚かされます。
 以上のように、数学者、物理学者、天文学者、計算機科学者らが「三体問題」に対しての「8の字解」に関する研究を精力的に行いました。しかし、核心に迫る答えは得られていません。「8の字軌道」が存在する数学的証明があり、数値的に高精度で軌道の形も計算されました。しかし、現在までのところ、その「8の字軌道」の形を数式で表現することに誰も成功していないからです。
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単行本p.178

 三つの天体が互いの軌道を交差するように周期的運動を永久に続ける「十字形解」、同じ8の字軌道上を互いに追いかけるようにして移動し続ける「8の字解」など現在も研究されている特殊解から、一般相対性理論の適用や実際に発見された三体天文現象の意義まで、数学・理論物理学・天文学など様々な研究分野にまたがって今なお精力的に研究が進められている三体問題、N体問題の最先端トピックを解説します。





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