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『名井島』(時里二郎) [読書(小説・詩)]

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それは耳の形状をした集積回路の基板の破片
だった 彼の矢が過たずにつらぬいた空が一
点の闇を点している 矢の径よりも小さな基
板を射抜いて 錐眼のごとき仮想の穴を穿つ
技はこの世紀のものではない
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『朝狩』より


 機関、すぽら、ヒト標本、コトカタ、歌窯、言語採集船。SF的背景設定の存在を暗示しつつも決して全貌を明らかにしない謎めいた造語の数々に惑わされる人類補完詩集。単行本(思潮社)出版は2018年9月です。


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 すぽらという明かりは島の廃墟から洩れてくる。十三日の月の光が、旧精錬所の赤煉瓦の高い煙突を包みこんで、夜の闇のなかにぼうっとその煉瓦の色が明るんで光る。このすぽらの明かりは、歌窯のなかで歌が生まれる時に放出されるエネルギーによるものだと言う。

 島の旧精錬所は、今は銅の精錬の代わりにプレーンと呼ばれる歌の粗語を歌種にして歌の生地を作り、溶鉱炉を改良した歌窯で歌を仕上げる。プレーンは依頼主の歌人の差しだす歌語の数々で、これらの粗語はすぐ向こうに見える海を隔てた半島から不定期船で運ばれてくる。
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『歌窯』より


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この島には
ことばをめぐる争いしかない
親に与えることばをどの程度粉砕すべきかについて
犬にやる餌のことばの大きさについて
鳥の詐欺罪を論証することばの可否について
また 次の便でやってくる言語採集船に許可すべきことばの総量について
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『島のことば』より


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「言わなくともわかる
ことばは島の外に捨てられるのだ
人が死ぬと
人に詰めてあったことばのいっさいは
舟に積んで流すのだ
ことばは人のものではない
借りたものだから
返すにしくはない」
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『通訳』より


 精錬されたり、船で運搬されたりと、言葉が即物的なものとして扱われることにまず驚かされます。やがて、謎めいた造語がどんどん出てきて……。


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 このコロニーを「夏庭」と呼ぶ。わたしたちは「なつのにわ」と呼んでいるが、《機関》による正式な呼称は「カテイ」である。「夏」があるからには、「春庭」「秋庭」「冬庭」と四季に応じた施設が存在する。そのうち、「冬庭」はコロニーではない。わたしたち《ヒト標本》専用の墓地である。
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『夏庭1』より


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 うそかほんとうか、そういうことはわたしたちの埒外である。なぜなら、《ヒト標本》であるわたしたちには、その原型となるヒトがいるのは当然で、彼の(彼女の)履歴は消去されているものの、それらの履歴を組み立てている神経系の記憶伝達の受容システムはそのまま残される。完全な成人の《ヒト標本》として生きていくためには、「白紙」の履歴ではどうにもならない。それまでの履歴をスムーズに矛盾なく組み立てることができるように、比喩的に言えば、原型となったヒトの《残滓》を断片的に混ぜておくということになる。したがって、わたしの「履歴」も一通りではない。何通りもある。問題は、そうしたことが、ヒトとしてのアイデンティティの障害にまで陥ってしまう不具合をきたす《ヒト標本》が生まれることである。そうした《ヒト標本》を選別するのが「夏庭」というコロニーの役割の一つである。
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『夏庭2』より


 背後にSF的な背景世界設定があるかのようにほのめかす魅惑的な造語の数々。個人的には、コードウェイナー・スミスや円城塔の作品を連想しました。謎めかした言葉に魅入られつつ混乱させられ、あるとき「分かった、筋が通った」という錯覚を覚えてしまうところが罠。


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 名井島へ行くには 宝伝港から犬島行きの船に乗る 犬島直航の
便しかないので 名井島には行くはずはないのだが それでも 船
はたまに名井島に立ち寄る だれも予定の変更に不平を言わない 
降りていく猫がいるからである 降りたつ猫に みんなが 約束し
て別れる時の耳を見せると 猫はそれに答えて 約束の耳を ふる
ふると ふる
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『名井島の猫』より


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《コトカタ》をカタコトと猫に揺すられると
今度はセキレイの人工知能に残された音の標本を猫に聴かせるのよ
そのなかにはノイズの混ざった標本もあるのに
《コトカタ》のなかにいるとセキレイはノイズを感知しない
それは《コトカタ》が セキレイを人工知能の制御の埒外に連れていくから

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『鶺鴒』より


 猫が出てきて、いやますコードウェイナー・スミス感。


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 名井島。中世には、諸国の流し雛の流れ寄る島と言われた瀬戸内海の島嶼のひとつ。明治期には銅の精錬工場が建てられ、島に殷賑をもたらしたが、わずか十数年で操業は打ち切られ、島は一気に廃れた。煉瓦造りの様式建築や、高い煙突が幾本も聳え立つ威容はそのまま廃墟と化して、人は島を離れた。
 かつてはその廃墟の島で、室町期から続く《歌窯》を営んでいたわたしが、そこを閉じたあとも島の猫を束ねてここに残ったのには理由がある。島とその対岸の一帯が、時空のズレによってねじれた構造を持ち、過去-未来の時空の交通を可塑的に調整できる中継拠点《すぽら》として、ヒト文明消滅後の未来のテクノクラートの手が入っている場所だからである。猫に身をやつしたわたしは、《歌窯》を構えるヒト文明の言語系の解明を担った汎用性人工知能である前に、《すぽら》の管理者だった。
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『《母型》』より


 最後の作品に至って共通設定が明らかにされる……、という雰囲気になりますが、別にそういうわけでもなく、なにかをつままれた感を残して去ってゆくことに。よくわからないけど謎めいていてなんかすごそうな感じ、にシビれる方にお勧めの詩集です。



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