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『禍』(小田雅久仁) [読書(小説・詩)]

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 小説という虚構は、意外にも彼にとって正直になるための手段として打ってつけのものだった。つまるところ、虚構とは、真実を語ろうとする者の恥じらいにほかならないからだ。
 しかし彼はすんなりと小説家への道を歩んだわけではない。彼にとって物語は書くものではなく、書かされるもの、あるいは書かせてもらうものだった。物語はすでに完成されたものとして宙を漂っており、ある日あるとき、みずからをかたちにする書き手を、名指ししてくる。お前が書け、と。私を書かせてやる、と。
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 目、耳、口、髪、肉。自分の一部であるはずのパーツが、誰も知らない恐ろしい秘密を抱えているとしたら。妄想からはじまるホラーストーリーが、やがてとてつもない想像力によって読者を翻弄してくる驚異の7篇。『残月記』の著者による怪奇短篇集。単行本(双葉社)出版は2023年7月です。




収録作品
『食書』
『耳もぐり』
『喪色記』
『柔らかなところへ帰る』
『農場』
『髪禍』
『裸婦と裸夫』




『食書』
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 誰にでもできるが誰にもできないことが、見えない一線となって世界をぐるりと縁取り、その崩壊を喰い止めている。本を喰うということも、ひょっとしたらそういう行為の一つなのではあるまいか。いや、その言いようが大袈裟だと言うのなら、私の日常の崩壊が。きっとそうだ。だからこそあの女はあんなことを言ったのだ。
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 書けないで苦しんでいる作家が目撃した奇怪な光景。それは書店のトイレで、買ったばかりの本をむさぼり喰っている女の姿だった。本を喰う? その行為の異常さにとりつかれた作家は、引き返せないと分かっていながら、おそるおそる物語を口から摂取してみるが……。口を通して、文字通り物語を消化する体験をえがいた作品。




『耳もぐり』
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 私がいまから話そうとしているのは、人間の手が長いあいだ隠し持ってきた、知られざる能力のことなんです。つまりそれが“耳もぐり”なんです。もちろん初めて聞く言葉でしょうね。耳もぐり、耳もぐり……なんとも無粋な響きではありますけどね、私も昔、ある男からそう呼ぶよう教わったんです。だいいちほかに言いようがありますか?
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 両手の指をある形に組んで相手の耳に差し込む、ただそれだけで相手のなかに入り込むことが出来る。奇怪な“耳もぐり”の技を伝授された男は、様々な人間のなかに潜り込んでゆく。無防備な耳という穴から何かが侵入して自分を乗っ取る恐怖と、その先にある奇想。




『喪色記』
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 目という器官によって、一人の人間の存在が世界に鳴り響くように彼には思われるのだ。目を通して、見ることを通して、人間は世界を把握し、世界とつながり、世界に居場所を見出し、世界に影響を及ぼしはじめる。目はほかの器官と較べ、まるで超越した存在によって顔に埋めこまれたかのように、あまりにも異質すぎはしないだろうか。
 しかし彼の目への苦手意識はそれだけでは説明できない。誰にも話したことはなかったが、違和感の核心をなしていたのは、目という器官がどこか別の世界につながっているという出どころのさだかでない不思議な感覚だった。
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 この世界は仮のものであって、目という器官こそがどこかにある本当の世界とつながっているのではないか。それは一人の青年が抱えている夢と妄想のはずだった。その目から不思議な女性が現れる、そのときまでは。外世界からの侵略、内世界の終焉の物語。




『柔らかなところへ帰る』
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 近ごろは太った女にばかり目が行く。ふと気づくと、目が飢えて勝手に探している。探しあてれば、きっと想像せずにはいられない。衣服のなかで幾重にも折りかさなる、たるみきった肉のありさまを。(中略)ままならぬ肉の奥深くにじめついた欲望を押し包んで生きる女たち……我ながら薄気味悪い妄想だ。いや、妄想と言うより、ほとんど狂気ではあるまいか。実際、じりじりと正気からずり落ちてゆくような感覚がある。
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 バスのなかで隣に座った女。だらしなく太ったその女に欲情した男は、異常に太った女との性的妄想に囚われてゆく。顔はそれぞれ違うのにどこか同一人物とも感じられる太った女が、何度も何度も彼の周囲に出没するようになる。妄想か、狂気か、それとも何らかの策略なのか。やがて彼がたどり付いた真実は、想像を超えたものだった。




『農場』
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 早朝のひと仕事を終えたみなの顔が、眩しげに目を細めつつ、わずかにほころんだように見えた。一歩離れたところから彼らを眺めていると、何を恥じることもない、誰からも逃げ隠れすることもない、もっとまっとうな仕事に携わる平凡な労働者のようだった。しかしすぐそばの長テーブルの上には、切りとられた鼻のずらりと収まったプラスチックケースがいくつも並んでいるのだ。目が狂ってくるような拗れた光景だった。そんなことを考えていると、権田が厳めしい面持ちで近づいてき、
「パレットを一つ持て……。きょうじゅうに全部植えんならん」と言った。
 それもまた、陽の当たる場所で堂々と発せられるべき、もっと崇高な、もっと深みのある言葉に聞こえたが、植えるのはもちろんあの鼻なのだ。
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 金に困ったホームレスの青年が連れてこられた農場。そこでは人間の顔からそぎ取った鼻を栽培していた。鼻の切除、培養、植えつけ、畑仕事、そして収穫から出荷まで。一通りの仕事を覚えて一人前になってゆく青年。農場を舞台にしたさわやかお仕事小説のはずなのに、育てているのが大量の鼻なので、そこは薄く長く引き延ばされた地獄。




『髪禍』
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 それにしても髪は不思議だ。いまのいままで自分の頭から生えていたものが、鋏で切りとられて床に落ちた途端、もうすっかり死体みたいに見えてくる。同じようでも爪や歯ではこうまで不気味にはならない。髪の毛だけが持つ、あの独特の死の翳り。生身の体から裏切られ、生者の世界から追放されたとでも言わんばかりの、あの薄暗い恨みがましい散らかりよう。いつだったか、自分が死ぬことを知っているのは人間だけだという話を母から聞かされ、そこに、頭だけからこんなに毛を生やすのも人間だけだという思いつきが重なり、人間というものは頭に死を載せて生きる唯一の生き物だという突拍子もない考えに囚われたこともあった。
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 髪を神としてあがめる新興宗教団体が行う秘密の宗教儀式にサクラとして参加してほしい。そんな怪しげな仕事を謝礼金めあてに引き受けた女。人里はなれた場所にある施設で何が行われるのか。髪に呪われた奇怪な物語。




『裸婦と裸夫』
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 状況は悪化の一途をたどっていた。みな屋上からときおり顔を出して下界をうかがうのだが、刻一刻と裸者の割合が増え、いまではもう八割方が裸者という印象だ。しかもこの前代未聞の異常現象に見舞われているのはK駅周辺だけではない。スマホに次から次ぎへと入ってくる情報を鵜呑みにするならば、まったくもって信じがたいことだが、日本じゅう、いや、世界じゅうのありとあらゆる都市で裸者による大決起が同時多発的に進行しているらしい。“ヌード”と“パンデミック”がつがって“ヌーデミック”なる造語までいち早く生み出され、そのほやほやの新語が世界を滅ぼす意想外の災禍の名となってネットじゅうを吹き荒れているのだ。
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 電車の中、隣の車両から入ってきた男はまったくの全裸だった。彼に触られた者は、やがて脱衣して着衣者を触りまくる。一気に感染が広がり車内はパニックに。何とか脱出したところ、すでに街には裸者が大量発生していた。次々と脱衣しては解放感をまき散らしながらさわやかに襲い来る裸者の群れ。ビルの屋上に追い詰められた着衣者たちの運命やいかに。脱衣アポカリプスという微妙なユーモア作品(たぶん)を最後に最後に配置してくるとは。





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