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『海獣・呼ぶ植物・夢の死体 初期幻視小説集』(笙野頼子) [読書(小説・詩)]

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 人は自分の肉体から逃げられない。第二次性徴がずっとずっと受け入れがたく苦しんだ自分、差別される女性というものについてずっとこだわりつつ忌避していた「オレ」。「オレは男になる」、……、しかしそういう自分が実は女であればこそ、女が圧倒的多数である膠原病になった。ひとりでいる時は男になっていられる、と思いながら暮らし、生理も排泄だと言い聞かせていた。――今も昔も社会性はある方だ。つまりむしろ社会性あるが故に性的役割や女性への偏見に抵抗して一人きりでいた。若い女である時代はまったく、困難ばかりだった。京都ではその困難が病と共に顕在化していたのだ。しかし、……。
 その難儀から私は小説を書きはじめた。女であり、病名もないというのに病人の体である。差別され「社会に通用しない」その身体性が私をつくっていた。それは漲る憎しみ、怒り、恐怖、精神世界への憧れ。しかし何も気付かなかった。結局書くことは向いていても他の事は出来ない、セックスもお化粧も全部嫌だから「女が書けない」。そもそも親からさえ、時には「女だから失敗作」と言われて育っていた。すると自由になる設定が小説には必要で、……。
 随分長い間、自分の書いている人物は性別不明瞭または「男」だった。
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文庫版p.285


 シリーズ“笙野頼子を読む!”第135回。


 作家デビューから最初の単行本が出版されるまでの十年。妄想と夢を武器に自らの身体性に向き合い続ける苦闘から生まれた初期作品集。文庫版(講談社)出版は2020年11月、Kindle版配信は2020年11月です。


 1994年11月に河出書房新社から出版された『夢の死体 笙野頼子初期作品集II』を中心に再構成された短編集です。解説(菅野昭正)、年譜と著者目録(山崎槇紀子)が収録されています。最新の年譜と目録は大いに助かります。特に電書版だと検索が出来るので。

 本書収録作は次の通り。

『海獣』
『柘榴の底』
『呼ぶ植物』
『夢の死体』
『背中の穴』
『記憶カメラ』

 『柘榴の底』は『増殖商店街』から、『背中の穴』は『居場所もなかった』から持ってきています。最後の『記憶カメラ』は当時をふり返る新作書き下ろし。

 単行本『夢の死体 笙野頼子初期作品集II』に入っていた作品のうち本書に収録されたのは、『海獣』『呼ぶ植物』『夢の死体』の三篇。ちなみに残り二篇のうち、『虚空人魚』は講談社文芸文庫『戦後短篇小説再発見10 表現の冒険』に収録されています。また『冬眠』は同じく講談社文芸文庫『猫道 単身転々小説集』に収録されています。講談社文芸文庫だけでこの時期の短篇をそろえることが出来るわけですね。

 ちなみに『冬眠』が収録された『猫道 単身転々小説集』は個人的にイチオシなので紹介記事へのリンクを張っておきます。本書の続きとして読んでください。

2017年03月16日の日記
『猫道 単身転々小説集』
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2017-03-16


 さて本書の収録作、ひさしぶりに再読したわけですが、以前に読んだときとは印象がずいぶん変わっていることに驚かされました。今回特に強烈に感じたのは身体性への強いこだわり。昔は何となく、透き通るような観念的小説、などと浅はかにも思い込んでいた作品でも、今読むと「人は自分の肉体から逃げられない」という言葉が重く切実にささってきます。妄想も夢も、怒りも憎悪も、痛みも苦しみも、すべてが身体性、女性性に深く根ざしている。そんなふうに感じます。

 もうひとつ。後に書かれた長編作品との関係を妙に意識してしまいます。読書としては邪道なのでしょうが、どうしても「あ、これは後のあれに発展するやつだ」とか感じてしまう。どうにも抵抗できないので、以下の紹介では長編とのつながりについて個人的に感じたこと(恥ずかしい誤読かも知れないけど)を明記することにしました。本書および『猫道』を気に入った方は、後に書かれた長編もぜひ読んでみてください。




『海獣』
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 深海の風の吹く瞬間だけYはあらゆるものを笑い飛ばせた。海の底と背中合わせに暮らしていると、自分の背中から世界が壊れてゆくのだと信じられた。そのくせ、そんな考えは迫害されるもとだと、余計に脅えたりもしたのだった。
(中略)
 この件について、自分でも気付かない意識の底の方で何らかの解決がなされたのだ、とYが考えるようになったのはもっとあとの事で、その頃のYは自分の矛盾した感情を偏った世界観にあてはめては、非常に論理的に心が動いているのだなどと納得していた。何かが起こったのは確かだった。だがそれが何なのか納得できたのはずっと、後になってからで。
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文庫版p.29

 頭のなかにある海、そして水族館。自分のなかの夢の領域にいる海獣たちの記憶を“現実”と比べるためにYは郷里の水族館に向かう。水、海、深海のイメージあふれる作品ですが、海獣の体躯、黒髪をまといつかせた腐ったトマト、首だけバービー人形など、皮膚感覚にさわるモチーフが印象に残ります。深海世界への憧れ、というか深海生物としての自覚は、長編『金毘羅』につながってゆきます。


『柘榴の底』
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 今ではもう、自分の全行動をT・Kは一切信用してはいない。つまりただひたすらモチに支配されたりモチと戦ったりしながら暮らしているのである。
(中略)
 モチが強引な方法で家々の屋根や路上や脳の中を、粘りながら歩き続けている状態、それが人間社会だと今のT・Kは思いこんでいる。モチを統御するものは国を治める。個人でモチと戦えば人は狂う。
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文庫版p.125、135

 底の世界、と呼ぶ妄想によって生きていたT・K。脳や精神から吸血する透明虫たち、包丁で切られ内蔵を吐き出す電話器、そして斬ることが出来ないラスボスである、モチ。本書収録作品中でも妄想描写が最も強烈な一篇。
 大寺院やゾンビ、敵を包丁で切り刻んで戦うシーンなど、長編『レストレス・ドリーム』にストレートにつながります。余談ですが、T・Kとは『レストレス・ドリーム』の主人公「桃木跳蛇」のことだと勝手に思い込んだほど。後で『記憶カメラ』を読んだら「T・Kって実は「ただの記号」という名前なの」(文庫版p.294)と書かれていました。


『呼ぶ植物』
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 最後には「使途おかあさん男」、につながる言葉にきちんとつながるような言葉しか書けなくなってしまった。ところが「使途おかあさん男」、につながる言葉はそんなにたくさんはない。せいぜい「暁の死闘」とか「コアラ預かり所繁盛の巻」、そんなものだ。その上、そんなつながり具合さえも私自身にしか判らないであろう。しかも、その私個人の感覚の内側でさえ、なぜつながるか、何の意味があるかと問われればこう答えるしかない。つまり、通じない事で漸くつながるのだ、と。
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文庫版p.145

 文字世界、そこは植物の領域。だが他人に通じる言葉、話し言葉を得るためには、動物にならなければならない。言葉によって組み上げられた世界を読ませる作品ですが、内容とは別に「使途おかあさん男、暁の死闘」「コアラ預かり所繁盛の巻」そして「百獣の王おかあさん」といった言葉から、どうしても長編『母の発達』を連想せずにはいられないのです。


『夢の死体』
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 むろん古都を現実にしてしまったものは単なる時間の蓄積ばかりではなかった。幻が剥がれるのと反比例して、肉体が自己主張を始めていた。いや、もともとそれが古都の時間を現実のレベルに押し動かしたのかもしれなかった。
 例えば自分が女性であること、老化すること、結婚が嫌な事、痛くて、発熱し、疲れる事、思春期あたりから古都に住み着くまでYはただそれらから、肉体から逃れる事だけを考えていた。生物としての自分にYは疎かったと言える。いや、正確には生物、というよりは社会的動物とでも言った方がよかったのかもしれなかった。むろん、そうして肉体が刻む時間の感覚は無意識の内にも、Yに外の世界を見るように強制し始めたのだ。
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文庫版p.181、216

「外界に隔てられて暮らして来たYの嫌悪感が現実との境界に来てついに機能していた」(文庫版p.216)

 肉体から逃れるためのYの妄想や夢は、ついに崩れて死体となってしまう。踏み出すしかない現実の先にあるのは、あまねく女性差別、被害者にケガレを押しつける異様に理不尽なシステム、主体性も責任もない男から一方的な評価という権力をふるわれる呪い。

 これまでの妄想と夢がすべてを圧倒してしまう作品から、ついに手負いの獣が血を流しながら一歩踏み出すような作品。本書収録作品中で個人的に最も大切におもっている。読み返すたびに涙ぐんでしまう。『硝子生命論』や『パラダイス・フラッツ』、いやむしろ以後に書かれるすべての長編の原点ではないかという気がしています。


『背中の穴』
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 私は今さらどうしようもない恐怖に囚われていた。そう言えば、ンガクトゥが現れた時からずっとおかしかった。むしろ今まで怖くなかった方が変だったのだ。彼は、だが私の狼狽など気にも止めなかった。
 ――引っ越し、たのしーねー、オレのとこなんか九回陸へ上がって九回海へ下りて、未だに引っ越しの時だけすからねー、いいですなー背中の穴の話、ああ、わたしは椅子の話なんかもしたかったですなー。
 ――え、椅子の話ってどういう……。
 ――えーっ、そんな事言えませんよおー、言えませんから話が楽しいですよーお、でも引っ越しするんですねー、椅子のまわりに住んで、雨降らないとこに住んで砂漠の中に住んで、ストーブも焚いて陸はすごいですねー、椅子ひとつとテントひとつですぐに住める。
 恐怖の中から、自動的にまるで他人の言葉のように、ひとつの質問が出現していた。
 ――あなたは、いったいっ、どこの国の人なのっ、どのあたりから、……来たの(するとンガクトゥは)。
 ――あー、はははは、もうやめてくださいよおー、でもありますよお、いーぱいあるっす、背中の穴。
 ――いや、そういう事はオレは信じないな。
 鈴木が断定して、トラックが着いた。
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文庫版p.256

 散々苦労してようやく見つけた部屋への引っ越し。引っ越し業者の二人組は、あまりにも尋常な鈴木一と、黄色の布を頭から被っている謎の男、ンガクトゥ佐藤。次々とやってくる引っ越しの難儀を夢のなかにいる感覚で表現した作品。『居場所もなかった』に収録されている通り、もちろん『居場所もなかった』のスピンオフというべき短篇ですが、個人的にはむしろ『東京妖怪浮遊』のような狐狸妖怪の類が活躍する長編を連想します。


『記憶カメラ』
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 第二次性徴の頃は自殺したかった。初めて生理が来たのでこの世は終わりと思った。一方その割りには三十代、「オレは男なのに」女の子を四人欲しいと思っていた一時期もあった(無論単なる夢だった)。しかし今はもう閉経もしているしすべてオッケーである。そんな私が「ソフトじゃない売れないフェミニズムはいらない」とか言われる覚えはないしそもそも流派のあるようなフェミではない。今はただフェミ自称の乗っ取り男や侵入男、フェミ説教強盗を女の居場所から叩きだせと言いたいだけ。私? 私は文学だ、思想ごときになる前の永遠の原初だよ。なんらかの哲学や思想、政党等と親和的にしていてもいつでも捨ててやる。
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文庫版p.290

 デジカメのメモリに紛れ込んでくる過去の映像。作家は記憶をさかのぼってゆく。書き下ろしの短篇。いわゆる「あとがき」の代わりかと思ったら、確かにそういう面もあるけど、実は今のあれこれえぐるばりばり最新作だったりするので、気を引き締めて読まねばなりません。





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