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『湿地帯中毒 身近な魚の自然史研究』(中島淳) [読書(サイエンス)]

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 すごい……なんてかっこいい魚なのだろう。その猛烈な感動は何年たっても決して色あせることはなかった。
 中学生になっても、高校生になっても、いつも自宅ではカマツカを飼育していた。常に60センチ水槽を一つ、カマツカ専用にしていた。そのくらいカマツカは特別で、カマツカが好きだった。いつしか将来の夢は淡水魚の研究者ということになっていた。そして、大学ではカマツカの研究をしたいと願うようになっていた。そんな希望を胸に抱いて、カマツカ好きのとある男は、はるばる九州までやってきたのだった。
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単行本p.2


 ありふれた淡水魚カマツカやドジョウについてもっと知りたい。身近な河川に棲む普通の生物を研究対象とする研究者が、自身の半生を通じて、自然史研究の魅力を語る一冊。単行本(東海大学出版部)出版は2015年10月です。


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 研究者を目指す人にはそれぞれ、それを目指した理由があるだろう。私については本書を通読していただければわかるように、湿地帯の生き物のことがとんでもなく好きだったから、という理由ただそれだけである。なんとなくずっと湿地帯の生き物とかかわって生きていきたい。その結果として選んだのが研究者の道である。したがって本来的には湿地帯に入り浸って湿地帯生物に触れ、その生き様を調べることだけに没頭しているのが何より幸せなのである。本書では意識的にそのことを前面に出した。しかし、湿地帯環境の悪化という側面から、そんな牧歌的な自然史研究をのうのうとすることは許されない状況になっている。身近な湿地帯の生き物たちを研究対象にする以上、保全のことを考えずに研究を続けることは不可能である。
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単行本p.244


 全体は4つの章から構成されます。

「第1章 研究のはじまり」
「第2章 カマツカの自然史」
「第3章 ドゼウ狂」
「第4章 湿地帯に沈むまで」


「第1章 研究のはじまり」
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 職員四名、学生三名という実に贅沢な体制であった。当時の水産実験所には定期的なゼミもなく、学生同士の交流も特になく、自由な……まさに研究室としては崩壊寸前という寂れっぷりであった。
(中略)
 悪いことに研究室には広々とした飼育室があり、学生はほとんどおらず先生方も放任なものだから、水槽も空間も使い放題であった。調査で採ってきた珍しい魚は嬉々として生かして持ち帰り、きれいにレイアウトを組んだ水槽で飼育をはじめる始末であった。気がつけば飼育室にはずらりと那珂川の魚が入った60センチ水槽が並んでいた。
 肝心の大きなカマツカは全然採れなかったが、生来の淡水魚好きが仇となって、完全に初心を忘れ単なる淡水魚愛好家に戻って楽しい毎日を送っていた。
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単行本p.18、25

 修士課程におけるカマツカ研究について紹介します。


「第2章 カマツカの自然史」
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 2006年10月、七ヶ月前と変わらぬ姿で標本庫に並ぶ46本の標本瓶と1394個体のカマツカ標本を前に立ち尽くす男の姿があった。私である。博士論文の先生への初稿提出締切はあと一ヶ月とちょっとという状況であった。
 四月以降は産卵行動だの仔魚の飼育だのスケッチだので、あわただしくも充実した毎日を過ごしており、あまつさえ九月下旬には国際シマドジョウ会議のためクロアチアへ旅立つなどしていた結果、驚くべきことに十月になるまで解剖には一切手をつけていなかったのだ! 驚きである。しかし驚いてばかりもいられない。カマツカの生活史研究が博士論文の主要なテーマであるからして、この二地点間の生活史変異については必ず形にしなくてはならない。機は熟しすぎて今にも腐敗しそうである。私はついに重い腰を上げ、標本の計測と解剖を開始する決意をした。
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単行本p.121

 博士過程におけるカマツカの生活史研究について詳しく紹介します。カマツカはなぜ普通種なのか、という疑問に対してついに得られた答えとは?


「第3章 ドゼウ狂」
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 結局、修士課程の2003年頃からぼちぼちと開始したドジョウの研究は、学位取得後の2007年4月以降本格的に取り組んだものの、ポスドク時代(九州大学農学部学術研究員+日本学術振興会特別研究員)の三年間でもまとまらず、福岡県保険環境研究所に就職し数年たった後にようやく日の目を見たのであった。研究の開始から数えると、スジシマドジョウ類では九年、オオヨドシマドジョウでは六年もの歳月を費やしてしまったことになる。ここまで深く長くはまるとは思わなかったドジョウ沼。だが、これまでに出すことができた結果は満足の一言である。
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単行本p.186

 身近な河川にいる未記載種。ドジョウ研究の顛末を語ります。


「第4章 湿地帯に沈むまで」
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 私の場合は特に、黒魔術への傾倒が著しく、部屋中に結界を張って日夜悪魔を呼び出す研究にいそしむというような状況であった。とある本によれば悪魔の召喚には「罪人の額に打ち付けた釘」が必要ということだったので、入手できないか真剣に検討したものである。しかし、インターネットなどない時代でもあり、入手は不可能であった。今にして思えばインターネットがなくて本当によかったと思う。
(中略)
 高校生くらいからは悪魔を呼び出す研究よりもむしろ、妖怪あるいは悪魔とは人間にとってどういう存在なのか、ということを真剣に考えるようになっていた。その結果、大学で受験する学部を選ぶにあたり、農学部や理学部と同じくらい、文学部(で妖怪や悪魔の研究をすること)を選択肢に含めていた。最終的にはこれまで蓄積した淡水魚類への愛と情熱が上回り、文学部受験は回避したが、もし途中で何かきっかけがあったなら、魚ではなく妖怪を研究していたかもしれない。
 ただ一周回って現在は、再び妖怪について調べたいという思いが再燃している。
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単行本p.202

 大学進学前の著者はどのように育ったのか。後に研究者への道を歩むことになる子どもの生態を詳しく語ります。



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