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『undefined』(伊藤浩子) [読書(小説・詩)]

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 あたしは向こう岸に渡り、すっかり石になってしまった子どものかもしかを叢に寝かす。辺りはシンとしていて、虫の声も聞こえない。かもしかに目をやると、石のまま見る見るうちに成長して、子どものかもしかを産み落とし、そしてそのまま死んでしまった。生まれたばかりのかもしかはとても小さくあたたかく、でもしっかりと息をしていた。
 後ろを振り返ると、あたしと同じような老人が、同じような小さなかもしかを抱きかかえて、群れをなして付いてきていた。あたしが先頭を歩いている。月明かりはいつまでも眩しくて、道は白く光っていた。
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『バースデイ・ケーキ』


 散文詩なのか、幻想小説なのか。カテゴリにおさまらない美しくもおそろしい15篇を収録した短篇集。単行本(思潮社)出版は2014年10月です。


[収録作品]

『鐘の音』
『早贄』
『クレプトマニア』
『刺青』
『呪い』
『ヒット・ガール』
『バースデイ・ケーキ』
『プレゼント』
『展覧会』
『バースデイ・パーティ』
『アイホー』
『古だぬきの手紙、一人息子のメール』
『電話、砂嵐、穴』
『思い出のクリスマス』
『歩く人』


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「昔、ノルマン人の国で不貞を働いた女性に刑罰として、どんなことをさせたか、知っている?」
「知らない、どんなことなの?」
「その著者によるとね、監禁する代わりに女性にわざと窃盗をさせたんだ、隣人たちから食料やら衣類やら、場合によっては子どもまで盗ませた。そしてそれをバルト海に棄てさせたんだよ。それがもっとも重い刑罰だったんだ。どうしてか、わかる?」
 彼女には答えられなかった。
「そうすれば、罪はどんどん重くなっていくし、誰からも相手にされなくなるからね。そこでは女性の不貞は、償いさえすれば許されるなどという罪ではなかったんだ。罪によって罪を贖う、著者はそう書いていた。発狂してしまう女性が大半だったらしいよ。
 でも中には、ほんのひとにぎりだけど、窃盗し続ける女性もいた。窃盗には、大きな性的快楽が伴う場合が多いからね、そうなったらなったで、それはいい見せしめになった。広場で首を刎ねるよりもずっと効果的だったんだ。それでも女性の不貞はなくならなかった。
 大きな性的快楽のために、むしろ女性の不貞が増えてしまった時期もあった。それが窃盗症の最初の記録だよ」
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『クレプトマニア』


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あたしはその人をずっと待っていた。すごく長いこと、ずっとずっと、永遠かと思うほど、ちょっと大げさかもしれないけれど、でも永遠。ほんものの永遠。どんなふうに待っていたかというと、例えば、その人の書いたものが何かの雑誌に載ったとき、あたしはそのページだけを破って家に持ち帰った。ごめんなさい、出版社の編集部さま、そして、そのページを胸に抱いてオナニーする。「そういうものだ」と思っていたから。
 ちなみにあたしはファッキンな雑誌は買わない。定期購読とか、考えると頭が痛くなる。だって、あたしは文字を見ると、そこに色が浮かぶから。アが赤、イが黄色、ウが水色、エがオレンジ、オが青、はっきり見えるから、そういうふうに覚えてきた。だからファッキンな雑誌は買わない。ファッキンな雑誌ほど、色がめちゃくちゃなものはない。できるだけ、同じ人が書いた本を買う。書いている人はきっと、できるだけ色がめちゃくちゃな文章にしたいと思っているだろう、そういうのって、若い人ほど傾向が強い、だってあたしにも覚えがあるから、ごめんね、悪口じゃないんだよ、でも何となくそんな気がする。だけど同一の人が書いたものなら、その人がどんなに努力したって、どうしたって同じ色の文字で統一されがちになる。だから、頭が痛くならない。
 何を言っているか、分からない? だってしょうがないよ、意識が朦朧としているんだから。
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『ヒット・ガール』


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 私は今でもときどき思うことがあるの、もうひとりの私がいて、私がこうしている間に、あるいは私が眠っている間に、何か別のことをやっていて、それが私の生活に入り込んでくる。私はそれに気づかずに生活していて、そのことでもうひとりの私の精神を根底から傷つけている。もうひとりの私は眠りながら私をいつも注察していて、夢の中で傷つくのね。
 私はそのことを夫に知って欲しいの。どうしてもどうしても知ってほしいの
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『プレゼント』より


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 丸い質素なテーブルにつき、私はさまざまなことに思いをめぐらす。
 例えば、街中に、歩く人のおだやかな心があふれて、夜の深さにその細い影が伸びていくことを。
 濃紺色のキャップと、夏色の空に光るスニーカーを。そこに重なる夏の思い出を。
 そして七分後に出会う人々のことを。
 彼らの心と、彼らの心によみがえる、いくつもの思い出を。その哀しみや喜びを。
 それから、風になって消えていった少年や少女たちの姿を。
 そのときに感じる、小さな傷の痛みを。
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『歩く人』より


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