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『図書館情調』(日比嘉高:編、笙野頼子、三崎亜記、他) [読書(小説・詩)]

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 図書館は単に本が収められている空間ではない。そこで人が本に出会い、人に出会うことによって、静謐な読書の場は何事かが始まる物語の空間となる。多くの作家や詩人たちが、図書館という場に目を向けてきたのも当然だ。彼らはものを書く人間として、知識を書物から吸収しなければならず、図書館はその生活圏の一つであった。そうしてまた、書物を目指して見ず知らずの者たちが一所に集い、本を媒介として過去や現在に繋がり、その場所で人と人同士も接触するというこの空間の面白さに、創作の種子を見い出した者たちがいたとしても、何の不思議もあるまい。
 本書はそんな図書館に魅入られた作家詩人たちによる、〈図書館文学〉のアンソロジーである。
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単行本p.222


 シリーズ“笙野頼子を読む!”第112回。

 書物を介して見知らぬ者同士が出会う場所。図書館という不思議な空間を舞台とした小説や詩のアンソロジー。単行本(皓星社)出版は2017年6月です。


[収録作品]

  『図書館情調』(萩原朔太郎)

第一部 図書館を使う
  『出世』(菊池寛)
  『図書館』(宮本百合子)
  『文字禍』(中島敦)
  『世界地図を借る男』(竹内正一)

第二部 図書館で働く
  『柴笛詩集(抄)』(渋川驍)
  『少年達』(新田潤)
  『司書の死』(中野重治)
  『図書館の秋』(小林宏)

第三部 図書館幻想
  『深夜の道士』(富永太郎)
  『S倉極楽図書館』(笙野頼子)
  『図書館幻想』(宮澤賢治)
  『図書館あるいは紙魚の吐く夢』(高橋睦朗)
  『図書館』(三崎亜記)



『出世』(菊池寛)
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自分の顔を知って居るかも知れないあの大男は、一体どんな気持で自分の下駄を預るだろう。あの尻切草履を預けて、下足札を貰えなかった自分と、今の自分とは夢のようにかけはなれて居る。あの草履の代りに、柾目の正しく通った下駄を預けることが出来る。が、預る人はやっぱり同じ大男の爺だ。そう思うと、譲吉はあの男に、心からすまないように思われた。何うか、自分をしまって居て呉れ、自分がすまなく思って居るような気持ちが、先方の胸に起らないで呉れと譲吉は願った。
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単行本p.23

 貧乏学生だった頃に通っていた帝国図書館にひさしぶりに足を向けた語り手は、かつて下足番の老人との間で起きた小さなトラブルのことを思い出す。あの頃から自分は随分と出世した。それなのに、あの老人は今も図書館の地下の暗がりで客の下駄を預っているに違いない。そしてそのまま出世することなく一生を終えるのだろう。出世した自分との境遇の差に何やら申し訳ないものを感じ、語り手はどうか老人が自分のことに気付かないでくれ、と祈るような気持ちになるのだった。

 有名な短篇。若い頃に読んだときはそのエリート意識に何とも鼻持ちならないものを感じて嫌だったのですが、この歳になって読むと、まあ自意識過剰な若者らしくて大いに結構結構、といった気持ちに。


『図書館』(宮本百合子)
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広間の入口で、学生に、婦人閲覧室はどこでしょうときいたら、不思議そうに一寸黙っていて、ここです、と答えた。ここというのは、一般閲覧室である。入って行ってみると、男女区別なしに隣りあって読書したり、ノートしたり、居睡りしたりしている。戦争はその結果としていろいろの変化をもたらした。けれども、この役人くさい図書館が、やっと世間なみに、男女共通の閲覧室をもつ決心をしたということには一種のユーモアがある。
(中略)
 もうこれからは、どこの図書館でも、婦人閲覧室というものは無くなってゆくだろう。云ってみれば、社会の全面から、そういう差別を無くしたい気持ちに燃えている、女の人たちの集りが、最後の婦人閲覧室から生れたことは面白く思われる。
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単行本p.32

 ひさしぶりに帝国図書館を訪れた語り手。戦前の婦人閲覧室が廃止され、男女平等の一般閲覧室になっていることに、ある種の感銘を受ける。「男子、女子の区別は、従来の日本の半官的な場所では愚劣なほど神経質であった」という過去、「男女区別なしに隣りあって読書したり、ノートしたり、居睡りしたりしている」という現在、そしてその隔離された婦人閲覧室に集っていた女性たちこそ、その変化を勝ち取った主役であったに違いないことを想像する。

 前述の『出世』(菊池寛)と同じ場所、似た状況なので、読み比べると面白いと思います。前者がもっぱら自分と他人の出世を比べて互いに傷つかないように接するエリートしぐさに汲々とするばかりなのに対して、本作の語り手は、世の中の変化とそれをもたらした人々、そして自分がいまいる場所と彼女たちとのつながりに思いを馳せるのです。


『文字禍』(中島敦)
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文字の無かった昔、ピル・ナピシュチムの洪水以前には、歓びも智恵もみんな直接に人間の中にはいって来た。今は、文字の薄被(ヴェイル)をかぶった歓びの影と智恵の影としか、我々は知らない。近頃人々は物憶えが悪くなった。之も文字の精の悪戯である。人々は、最早、書きとめて置かなければ、何一つ憶えることが出来ない。着物を着るようになって、人間の皮膚が弱く醜くなった。乗物が発明されて、人間の脚が弱く醜くなった。文字が普及して、人々の頭は、最早、働かなくなったのである。
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単行本p.40

 古代アッシリアの老博士が、粘土板に刻まれた文字は単なるシンボルではなく、そこには文字の精が宿っていることを発見する。文字の精は人間をたぶらかし、堕落させ、真の智恵からむしろ遠ざけるものである、と主張する博士。だが、さすがの博士も、文字の精による反撃は予期していなかった。

 SFファンならつい「ああ、飛浩隆さんのあれの元ネタ」などと思ってしまう有名作。頭でっかちな知的エリートに対する風刺でしょうが、文字をネットあるいはSNSと読み替えれば、そのまま今日の風潮に対する風刺になってしまうというのが恐ろしい。「歴史とはな、この粘土板のことじゃ」「書かれなかった事は、無かった事じゃ」と叫ぶ博士の姿にも、何やら強い既視感があります。


『S倉極楽図書館』(笙野頼子)
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 そこでの利用者は異種間の衝突を避けるため、頭から布類または木の葉をすっぽり被って、体を隠していることが多い。「いろいろな方が来られるのですから」という特別地下司書も、カウンターでは腹這い。その司書だけは多分、私と「同族」だ。初めての利用者は特別図書カードをまず拵えるのだが、署名はいらない。葉書大の紙と、朱肉ではなくて畑の土が一塊手渡されるだけ。そこで私は指先を丸めて肉球ぽくしながら土をなすり、紙に「足型」を押した。形で固体を区別するのなら土よりインクがと思って尋ねてみると。「形より足臭です、臭いで区別します」と。カードも今のプラスチックのでなく、昔高校の図書館にあったような紙製のである。隣でふと差し出したそれを見ると、「日本の言葉」なのだが、見た事ない文字だ。本の分類も数字ではなく、多くは肉球ハンコ、その大小の羅列で整理してある。
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単行本p.134

 千葉のS倉に家を買って保護した猫たちと共に引っ越した作家。とりあえずの「無事」と「幸福」のなかで森茉莉の評伝小説を書いていたところ、調べ物があって、S倉地下図書館に行くことになる。そこは神明神社の横にある小さい祠の床に開いた大穴から這って入る「哺乳類だけの」図書館。しかし、どうも狐狸妖怪のたぐいもいっぱい利用しているようで「動物でなくても動物の形さえとっていれば」OKという、さすが極楽図書館。

 本作が収録されている短篇集の紹介はこちら。

  2014年08月29日の日記
  『片付けない作家と西の天狗』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2014-08-29


『図書館』(三崎亜記)
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 地に繋がれたとはいえ、「図書館」は、完全に野生を失ってしまったわけではない。人のいない深夜だけ「野生」を取り戻すのだ。そこで働く者にとっては周知の事実であるが、一般の人々にはほとんど知られてはいない。
 閉ざされた暗闇の中で、図書館の野生に庇護されて、本たちはゆっくりと回遊し、遺伝子に遺された野生の血を受け継いでゆく。
 長き図書館の歴史に思いを馳せ、静まり返ったフロアを見渡した。私は、「図書館の野生」を、一般の人々にも触れる機会を持たせるべく派遣されてきた「調教士」だ。
 夜の図書館を一般公開するというのは、猛獣の檻の中に人を案内しようとするようなものだ。だからこそ、私のような仕事、すなわち「図書館の調教」が必要となってくる。
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単行本p.160、

 夜の図書館。一般利用者の目に触れないところで、書物たちは大きく羽ばたいて図書館内を回遊している。そこは本が束縛から解き放たれ、本能に従って群れなし飛翔する野生の空間。この、本来、人が触れるべきではない本の夜の生態を、地域振興のために一般公開するというイベントが全国で行われるようになってきた。事故が起きないよう安全に公開するためには、野生動物の調教と同じく専門家による管理が必要不可欠なのだ。

 本作が収録されている短篇集の紹介はこちら。

  2009年04月27日の日記
  『廃墟建築士』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2009-04-27



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