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『人類と気候の10万年史 過去に何が起きたのか、これから何が起こるのか』(中川毅) [読書(サイエンス)]

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地球の公転軌道と自転軸の関係で、北半球の夏に降り注ぐ太陽エネルギーは増加しつつあった。つまり、氷期は時間の問題で終わろうとしていた。だが気候システムはその外力に対して非線形に応答し、太陽の変化に歩調をあわせてゆるやかに変動する代わりに、ある瞬間に大きな飛躍を見せた。それまで本質的に不安定だった気候は、一転して安定な状態に切り替わり、地球には安定した時代、言い換えるなら「近い未来なら予測可能」な時代がやってきた。予測が成り立つ時代とは、人間の演繹的な知恵が発揮されやすい時代ということでもある。氷期に巨大な古代文明が生まれなかったことと、氷期の気候が安定ではなかったことの間には、おそらく密接な因果関係がある。
 現在の安定な時代がいつまで続くのか、次の相転移がいつ起こるのかは、本質的に予測不可能である可能性が高い。
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新書版p.168


 過去7万年分の年縞が連続的に保存されている奇跡の湖、水月湖。世界の地質学的標準時計である水月湖の研究から得られた気候変動の正確な歴史、そしてそこから見えてくる将来の気候変動に関する重大な知見を、一般向けに分かりやすく紹介してくれるサイエンス本。新書版(講談社)出版は2017年2月、Kindle版配信は2017年2月です。


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私たちは無意識のうちに、進んだ科学技術で大きな商品価値を生み出す国を「先進国」と呼ぶことに慣れている。まるで文化も歴史も尊厳もすべて、経済という船に付随する飾り物に過ぎないかのようである。しかし、先進国を生きる私たちが「先を進んで」いるような気分でいられるのは、現代の気候がたまたま私たちのライフスタイルに適合しているという、単なる偶然に支えられてのことに過ぎない。
 人間や社会の価値を、現状における「効用」だけで測ることはきわめて危険である。だが歴史を通じて、人間はそのような過ちを何度も犯してきた。
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新書版p.207


 水月湖が世界の地質学的標準時計として認められるまでの困難な道のりをエキサイティングに描いた『時を刻む湖 7万枚の地層に挑んだ科学者たち』。その著者が、水月湖の研究から得られた知見のうち、過去の気候変動に関するものを一般向けに分かりやすくまとめてくれます。ちなみに『時を刻む湖』の紹介はこちら。


  2017年01月11日の日記
  『時を刻む湖 7万枚の地層に挑んだ科学者たち』(中川毅)
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2017-01-11


 全体は7つの章から構成されています。


「第1章 気候の歴史をさかのぼる」
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 念のため強調するが、私はここで、現在の温暖化予測も70年代の寒冷化予測と同様に信頼できないと主張しているのではない(ただし、信頼できると主張しているのでもない)。
(中略)
 むしろここで強調したかったのは、寒冷化と温暖化という正反対の学説が立て続けに提唱されたにもかかわらず、そのどちらもが同時代の人々の目に「本当らしく」見えたという事実についてである。私たちの直感は、時として驚くほど脆弱な根拠の上に成り立っている。学説の寿命は、データの寿命に比べて一概にひどく短い。それでも私たちは、提示される説に対して自分なりの意見を持ち、どのような「対策」が妥当であるかを考えなくてはならない。
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新書版p.41

 過去の気候変動のデータから未来の気候変動を予測することは可能なのだろうか。現在の傾向が今後もそのまま続くという直感、同じパターンが周期的に繰り返されるという直感。70年代の寒冷化予測と現代の温暖化予測を比較することで、直感に頼ることの限界を明らかにします。


「第2章 気候変動に法則性はあるのか」
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最近の1万1600年ほどは、一定の細かな変動はあるものの、基本的には安定して温暖な状態を保っている。それに対して氷期は、安定とはほど遠い時代だったことが分かる。基本的に寒冷であることは確かなのだが、その中に急速に温暖化する時代を何度も含んでいる。温暖化の速度はきわめて早く、場所によってはグラフがほとんど垂直の線になっている。変動の振幅もきわめて大きい。氷期の中だというのに、気温が現代の水準に肉薄することすらある。このような激しい温暖化事件は、氷期を通じてくり返し起こっており、その数は大小あわせると、過去6万年だけでも17回、氷期全体では20回を超える。
(中略)
氷期の中で起こっていた気候変動が線形でもなければ周期的でもなかったことだけは、どうやら確かなようだ。線形モデルと周期モデルは、世界観としては直感的にきわめて受け入れやすい。しかしじっさいの氷期は、どちらのモデルも現実には通用しない時代だったのである。
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新書版p.47、48

 グリーンランドの氷床研究から分かってきた過去の気候データを詳しく調べると、温暖で安定した温暖期と、寒冷で極めて不安定な氷期があることが分かる。氷期における気候変動は極端な変動と予測不能性を示しており、また氷期と温暖期の切り変わりは驚くほど急激だったということも判明した。カオス的な振る舞いを示す、直感がまったく通用しない気候変動。それを理解するためには、どのような変化が正確にいつ起きたのかを「人間が実感できる」くらいの時間精度で調べる必要があることを示します。そんなことが可能なのでしょうか。


「第3章 気候学のタイムマシンー縞模様の地層「年縞」」
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 地質学は数万年や数億年といった、きわめて長い時間をあつかうことを得意としてきた。いっぽう、人間が「実感」できる時間は長くても数十年から100年だろう。人間にとって切実な気候変動の実例を、地質学的な記録の中から見出そうと思えば、かなり特殊な試料を見つけてきて詳細に分析する必要がある。福井県の水月湖から見つかった縞模様の堆積物は、そのような研究をおこなうのに最適な「奇跡の泥」だった。
(中略)
明暗一組の縞模様は、ちょうど1年の時間に対応している。1年に1枚ずつたまるこのような地層は「年縞」と呼ばれる。水月湖には、厚さにして45メートル、時間にして7万年分もの年縞が、乱されることなく静かにたまっているのである。そのような湖は、世界でも水月湖の他に例がない。
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新書版p.74

 グリーンランドの氷床研究から先に進むために古気候学者たちが必要としているデータ、それは日本の水月湖に眠っていた。なぜ水月湖は「奇跡」と呼ばれるほど特別なのか。前述した『時を刻む湖 7万枚の地層に挑んだ科学者たち』(中川毅)の内容のうち、水月湖の特異性を解説した部分を要約します。


「第4章 日本から生まれた世界標準」
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2006年の掘削は、それ自体は単なる穴堀りであり、学術的な成果であると見なされることは少ない。成果として脚光を浴びるのは、通常は掘削試料ではなく分析データのほうである。だがひとつだけ自画自賛を許していただけるなら、その後に続いた水月湖研究の栄光のドミノ、その最初の1個を倒したのは、あの熱い夏に「完全連続」を達成するまで決して引き下がらなかった、私たちの愚直な掘削だったと思っている。
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新書版p.98

 水月湖の湖底にたまった泥を掘り出し、年縞を数える。言ってみればただそれだけのために、数十年の歳月と超人的な努力が必要だった。世界を驚嘆させた美しいデータの背後にある研究者たちの艱難辛苦。前述した『時を刻む湖 7万枚の地層に挑んだ科学者たち』(中川毅)の内容のうち、水月湖の掘削から試料分析、ついに世界標準時計として認められるまでの経緯を要約します。


「第5章 15万年前から現代へー解明された太古の景色」
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 参考までに、私が1サンプルの花粉分析に要する時間は、前処理まで含めると平均で1時間を超える。水月湖で私がこれまで分析したサンプルの数は、そろそろ1400に届こうとしているので、単純計算でそれだけの時間を投入してきたことになる。最終的に成し遂げたいと思っている数は4500なので、最近ではそろそろ自分に残された時間が気になり始めている。
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新書版p.126

 水月湖の堆積物に含まれる花粉を分析することで、過去の気候(植生景観)を再現することが出来る。地道な分析作業を積み重ねることで、地球の公転軌道の周期的変化、地軸の歳差運動、などの天体運動が気候変動にダイレクトに影響していることがはっきりと見えてくることを解説します。


「第6章 過去の気候変動を再現する」
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水月湖の堆積環境は、おそらくある1年を境にとつぜん変化した可能性が高い。つまり氷期は、まるでスイッチをパチンと切ったかのように、本当に急激に終わったらしいのである。スイッチが切り替わった後では、水月湖のまわりの気候は温暖になり、しかも数十年スケールで激しく変動することをやめて安定になった。それは、人間にライフスタイルや価値観の変更を迫るほどの本質的で急激な変化だった。(中略)また、水月湖とグリーンランドのそれぞれの年代目盛りを用いて変化のタイミングを推定すると、両者は実質的に同時だったらしい。おそらく氷期の終わりは、一瞬で北半球全体、ひょっとすると全世界をも巻き込む、本当の意味での大事件だったのだろう。
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新書版p.167

 これまでの古気候学の成果により明らかになった過去の気候変動を見ると、地球の運動による周期的な変動に加えて、予測不可能な急激な変動があったことが分かる。特に氷期の終わりは極端で、おそらく「1年」で地球全体の気候が相転移する、という劇的な変化が起きている。このような激変が、その当時を生きていた人類の文化と歴史にも後戻りのきかない本質的な変化を与えたと考えられることを示します。


「第7章 激動の気候史を生き抜いた人類」
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 気候が安定しているときに、農耕をおこなって生産性を高めるか、あえて狩猟採集段階に留まるかは、人口さえ過剰でないなら、突き詰めれば「哲学の問題」に帰着すると述べた。だが気候が不安定な場合には、事態はそれほど牧歌的ではなくなる。来年が今年と似ていることを無意識のうちに期待する農耕社会は、気候が暴れる時代においては明らかに不合理である。
 言い換えるなら、氷期を生き抜いた私たちの遠い祖先は、知恵が足りないせいで農耕を思いつけなかった哀れな原始人などではなかった。彼らはそれが「賢明なことではない」からこそ、氷期が終わるまでは農業に手を付けなかったのだ。
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新書版p.200


 地球の運動から生ずる大きなサイクルに加えて、非線形的でカオス的な振る舞いを見せる気候変動。その本質的な予測不能性に、人類はどのようにして対処してきたのか。そして現代の社会は対処できるのだろうか。気象が極めて安定した時期に発達した人類文明は、予測不能かつ極端な気候変動という試練をどう乗り越えてゆけばいいのかを考えます。


 水月湖の湖底掘削から人類レベルの文明論へと駆け上ってゆくドライブ感。泥に刻まれた年縞を数え上げ、花粉サンプルを一つ一つ分析してゆく地道な努力に対する感動。十万年周期の地球の動きが、気候変動を通じて、過去の植生変化を決めていたという驚き。そして、私たちが生きている時代が例外的な気候安定期であり、しかもそれはどうやら終わりつつある(それこそ1年で相転移するかも知れない)という衝撃。

 様々な観点からエキサイティングなサイエンス本です。古気候学の入門書としても、いわゆる「人類の活動が引き起こしている(最近の「緩やかな」)温暖化」とは別スケールで見た激しい気候変動史の解説としても、天体現象と気象と人類史の関係を包括するサイエンス本としても、また『時を刻む湖 7万枚の地層に挑んだ科学者たち』(中川毅)の続篇としても非常に面白く、広くお勧めしたいと思います。


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