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『東日本大震災 石巻災害医療の全記録  「最大被災地」を医療崩壊から救った医師の7カ月』(石井正) [読書(教養)]

 「東日本大震災は2万人近くが死亡・行方不明となる未曾有の被害をもたらした。本書の舞台となった宮城県石巻圏は、その4分の1にあたる5000名近い命が奪われた被害の最も大きい地域である。(中略)ここに全国からのべ約3600チームもの多くの支援医療班が駆けつけ、被災者の救護活動に懸命に取り組んだ。本書は宮城県災害医療コーディネーターとして、その指揮統括の任にあたった石井正医師の7ヶ月間の闘いの記録である」(「解説」より)

 突如、22万人の命を背負うことになった一介の外科医は、そのとき何を考えどう行動したのか。東日本大震災における最大の被災地で、災害医療コーディネーターとして闘い続けた医師による詳細な手記。新書版(講談社)出版は、2012年02月です。

 「2011年03月26日に発足した「石巻合同救護チーム」は、7カ月という長期にわたる救護活動を終え、9月30日、解散した。活動した救護班はのべ3633チーム、約1万5000人。1日に最大59チームが活動した日もあり、のべ5万人を診察した」(新書版p.266)

 宮城県石巻市。東日本大震災で壊滅的打撃を受けたこの地域で、災害拠点病院となったのが石巻赤十字病院でした。地域の医療機関の大半が機能停止し、行政も麻痺、通信はシャットアウトして情報が入らない、被害状況すら不明、という悪夢のなかで、全国から駆けつけた救護チームを指揮し、医療崩壊や疫病流行を未然に防ぐことで22万人の命を救った一人の医師。NHKスペシャル等でも大きく取り上げられた著者による、災害医療活動の実態について書かれた一冊です。

 「26日現在で石巻市の死者は2127人、行方不明者は約2700人を数えていた。また合同教護チームの把握している圏内の避難所は302ヶ所で、避難所暮らしを余儀なくされている住民の数は4万3596人に達していた。(中略)避難者総数は約7万人にのぼっていた」(新書版p.100、101)

 現場はどんな状況で、何が問題となり、どうやって解決していったのか。なぜ人々は彼について行ったのか。

 事前の対策、震災当日の状況、すべての避難所をしらみつぶしかつ継続的にアセスメントするという驚くべき決断、医療の枠を超えた活動、組織化の困難、民間からの支援、マスコミ対応など、時系列に沿って石巻合同救護チームがどう動いたのかを詳しく解説してくれます。

 「これは、日赤救護班、各大学病院から派遣された救護チーム、宮城県を通して石巻医療圏に入る各都道府県の公立病院を中心とした救護チーム、宮城県や石巻市などの医師会や歯科医師会から派遣された救護チーム、さらにはDMATや自衛隊など、すべての救護チームを、宮城県の災害医療コーディネーターである僕が一元的に統括し、すべてのチームが協働して震災と闘うためのコマンド(部隊)だった」(新書版p.99)

 被災後の混乱のなかで、のべ1万5000人にものぼるチームを組織化し、一元統括して効率的に動かす。さらには企業や民間組織、ボランティアグループの支援申し出に対して適切に対応する。そして22万人の被災者、7万人の避難者の生命と健康を守る。

 これは想像を絶するほどの困難な仕事です。それを一人の医師がいかにしてなし遂げたのかが、詳しく、具体的に書かれています。

 「彼はぶれない心と強いリーダーシップで、医療の枠を超え、何事に対しても抜群の実行力で闘い続けた。震災発生後、政治や行政など、この国のあらゆるところで失われてしまったものが、ここにはあった。(中略)誰もが石井正になれるわけではない。だが、本書はこれからの災害医療にとって確固たる指標となるはずだ」(「解説」より)

 読み進めるうちに、真のリーダーシップというものが、まざまざと浮かび上がってくるようです。単純に災害ドキュメンタリーとして読んでも抜群に面白く、災害医療のあり方、組織の動かし方、リーダーシップについて学ぶことの多い良書です。


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