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『ぼくの、マシン ゼロ年代日本SFベスト集成〈S〉』(大森望 編) [読書(SF)]

 2000年から2009年までの十年間(ゼロ年代)に国内で発表されたSF短篇のベスト集成。二冊組で、本書〈S〉には宇宙船や仮想現実などいかにもSFらしいテクノロジーを通じて「人間とは何か」を問いかけるような作品が集められています。文庫版(東京創元社)出版は2010年10月。

 何しろSFアンソロジーの出版ラッシュなので食傷ぎみの方もいらっしゃると思いますが、それでもこの二冊だけは読んでおいたほうがいいですよ。名作、傑作、必読作ばかりが、ぎっしりと詰め込まれています。

 まずは本書〈S〉。最初の四篇は、大風呂敷からゲロまで、広げたり吐いたりする宇宙SFです。

 『大風呂敷と蜘蛛の糸』(野尻抱介)は、大気圏上層部まで何と気球と凧を使って格安に到達しようという実験プロジェクトの顛末を描いたハードSF。手作りの装置で宇宙を目指す。研究現場の情熱と知的興奮が見事に表現されています。

 夢想から計画へ、そして実現へ。一つ一つ積み重ねてやってきた空の果て、そして宇宙への入り口。そこで出会う「蜘蛛の糸」は、綿々と書き継がれてきたあの「クラークを読んだときの感動」を鮮烈に呼び起こしてくれます。大好きな作品です。

 『幸せになる箱庭』(小川一水)はファーストコンタクトもの。木星の質量を奪ってゆく謎の質量投射メカニズムを発見した人類は、それを太陽系に送り込んできた異星人とコンタクトすべく、システムに便乗して彼らの故郷を目指す。ついに異星の巨大スペースコロニーに到達した一行は探検を開始するが、異星人の真の狙いは彼らの想像を絶するものだったのだ・・・。

 いかにも昔の冒険活劇SFを思わせる作品で、仕掛けられた大ネタまで含めて楽しめます。序盤に張られた伏線が露骨なのと、あとタイトルがネタバレ気味なので、途中で気付く読者は多いと思いますが、最後まで油断しないように。現実とは何か、幸福とは何か、を問いかける作品ですが、何しろ本書に収録されている他の作品の尖り具合に比べると、その素直さ素朴さが際立ちます。そこが作者の持ち味でしょう。

 『鉄仮面をめぐる論議』(上遠野浩平)は、触れるもの全てが結晶化してしまうという特殊体質に生まれついた青年が、宇宙戦争の「兵器」となる話。戦闘機の前面に装着され、攻撃時には「体当たり」により敵を結晶化して粉砕するという荒技というか何というか凄い設定。『ナイトウォッチ』シリーズ番外篇です。

 『嘔吐した宇宙飛行士』(田中啓文)は、ようするにそういう話です。「著者のことば」によると、高校生の頃からこんなことばっかり考えていた、とのことで、やっぱりそうなんかい。というか、ゲロSFを書いてもとりあえず「人類圏」という言葉さえ出しておけば宇宙SFということにしてもらえる、 SFマガジン編集長にタイトルを決めさせればバラードのパロディだと言ってもらえる、そのような日本SF界の餡子喰う面を垣間見せてくれる作品。

 続く四篇はクローニングからブレイン・マシン・インタフェースまで、「人間性」という概念を危うくさせる技術を扱った作品。

 『五人姉妹』(菅浩江)は、大富豪の娘と、「いざというときの臓器採取用」に彼女のために用意された四人のクローン、この五人姉妹の愛憎を描く心理劇。派手な展開は皆無で、ほぼ姉妹間の対話だけで構築された短篇ですが、読後に深い余韻を残し、読み直すたびに新しい発見がある、そんな傑作です。

 『魚舟・獣舟』(上田早夕里)は、魚舟や獣舟と呼ばれる異形の海棲動物と人類との関係を扱ったバイオSF。分子生物学の最新知見をベースにしながら、SFでしか扱えないやり方で、人間とは何か、を正面から問いかけてくる衝撃作です。

 叙情的な話と見せかけておいて、その「ブラッドベリ的な感傷」をばっさり切り裂く手口が素晴らしく、さらに返す刀で読者の度肝を貫いてくるような、そんな作品。最新長篇『華竜の宮』は、実は現時点で未読なんですが、本作と同じ背景世界を舞台にしているそうで、期待したいと思います。

 『A』(桜庭一樹)は、名作『接続された女』(ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア)へのオマージュ。設定も展開もほぼ原典のまんまですが、舞台が日本というだけで全く違った感触になるのが不思議。その差は、たぶん米国における「スター」と、日本における「アイドル」の違いから生ずるのでしょう。

 『ラギッド・ガール』(飛浩隆)は、連作『廃園の天使』の一部ですが、独立した短篇として読めます。傑作ぞろいの本書収録作の中でもおそらく最高傑作でしょう。「著者のことば」によると、

 「『グラン・ヴァカンス』の書評で、大森望氏は「イーガン以降の目で見ると色々不満も残る(大意)」と書かれた。「ほう、それなら目にもの見せてくれやがりますわ、ホホ」と一念発起した結果この『ラギッド・ガール』が書けた」

とのことで、一念発起しただけでグレッグ・イーガンを超えてみせた凄い作品。目にもの見せて頂きました。とにかく読んでおくべきだと思います。

 最後の三篇はポストサイバーパンク、だと思うのですが、実はこの用語の意味が私よく分かりません。

 『Yedo』(円城塔)は、連作短篇集『Self-Reference ENGINE』に収録された一篇。「旦那ぁ、てぇへんだ。八丁堀の巨大知性体の旦那あぁあ」と叫びながら長屋に駆け込んでくるサブ知性体ハチ。なるべく大仰で馬鹿馬鹿しいやり方で「15を因数分解する」という演算を命じられたポスト・シンギュラリティな巨大知性体の試みとは。

 極限的なまでにスタイリッシュな馬鹿SFです。「2001年、IBMのグループが、七キュービットを用いた量子コンピュータによる十五の因数分解に成功しました」という「著者のことば」のネタばらしに愕然。

 『A.T.D Automatic Death ■ EPISODE:0 NO DISTANCE,BUT INTERFACE』(原作:伊藤計劃、絵:新間大悟)はコミック作品で、とにかく伊藤計劃さんが関わった作品を入れなければ「ゼロ年代日本SFベスト集成」は完成しないでしょう、という編者の思い入れを痛感。

 『ぼくの、マシン』(神林長平)は、名作『雪風』シリーズのスピンオフ作品。ついに撃墜されたとき、長年に渡って共に戦ってきたはずのパイロット(と自機)を、まるで壊れたツールのようにあっさり見捨てて基地に帰還する戦闘機『雪風』。これ以上ないほど見事にキマった(おかげで個人的には続編に興味が持てなくなってしまった)シリーズ第一作『戦闘妖精・雪風』のラスト。時間的にはその直後の話です。

 辛くも救出された『雪風』のパイロット深井零が、精神科医に語る少年時代の思い出。自分だけのマシンが欲しい、そのシンプルな願いが「世界」から拒絶されたとき、少年は・・・。『雪風』(特に第一作)のファンに向けた作品ですが、『雪風』シリーズを知らなくても、ハッカー気質を持った方なら大いなる共感を覚えることでしょう。

 というわけで、繰り返しますが、傑作揃いの名アンソロジーです。SFをあまり知らない方でも、このさい迷わず、対となる<F>と合わせて読んでみることをお勧めします。たちまちにして「今の日本SF」のレベルを把握できるに違いありません。

[収録作]

『大風呂敷と蜘蛛の糸』(野尻抱介)
『幸せになる箱庭』(小川一水)
『鉄仮面をめぐる論議』(上遠野浩平)
『嘔吐した宇宙飛行士』(田中啓文)
『五人姉妹』(菅浩江)
『魚舟・獣舟』(上田早夕里)
『A』(桜庭一樹)
『ラギッド・ガール』(飛浩隆)
『Yedo』(円城塔)
『A.T.D Automatic Death ■ EPISODE:0 NO DISTANCE,BUT INTERFACE』(伊藤計劃/新間大悟)
『ぼくの、マシン』(神林長平)


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