SSブログ

『猫ダンジョン荒神(後篇)(すばる2010年10月号掲載)』(笙野頼子) [読書(小説・詩)]

 シリーズ“笙野頼子を読む!”第51回。

 今日、書店に寄ってみたら、これがもう驚きの連続。とりあえず『テレプシコーラ(舞姫)』(山岸凉子)がマジ最終回だったのには正直くじけそうになりましたが、でも大丈夫。見よ文庫新刊コーナーを。

 そこには『金毘羅』(笙野頼子)河出文庫版が、平積みの御山様となって、たくさんのプラトーの向こうにそびえ立っているのです。そのてっぺんに輝く、目にも鮮やかな神々しいカバーアートが、私たちを導いて下さります。とりあえず一冊購入。

 さらに文芸誌コーナーを見ると、早くも『猫ダンジョン荒神(後篇)』、正確には『小説神変理層夢経 猫未来託宣本 猫ダンジョン荒神(後篇)』が、今月号の「すばる」に掲載されているではありませんか。「文藝」も含めれば、何とこの三カ月間、笙野頼子さんの小説が毎月掲載されたことになります。こちらも一冊購入しました。

 どちらから読めばいいのか迷いましたが(何という贅沢な悩み)、まずは気になる新作ということで、猫ダンジョン荒神の完結篇から。

 先月号に掲載された「前篇」は、荒神様の講演会が始まったところで了となっていたので、後篇は講演会のシーンからスタートするのかと思っていたら、意外にもなかなかそこにたどり着きません。

 講演会の様子はリアルタイムではなく、後から「猫未来託宣集」なる脳内書物を作者が読む、というか見る(今回は言葉だけでなくビジュアルイメージが重要になります)という形式で書かれており、しかも荒神様は三つの人格に分裂して、それぞれ異なる口調で語るのです。荒神とは何か、を。

 しかし、実は本当に凄いのはその後。次から次へと、凄まじい筆圧に押しやられるような勢いで、読んでいて途中で自意識が吹っ飛びました。これから読む方は、講演会シーンがいったん終わったあたり(広告が入ります)で一息ついて、食事やら入浴やら、そうそう落っこちないよう注意しつつ便所も済ませて、人事不省になる準備を整えてから続きを読んだ方が安全かも知れません。

 ずっと気になっていた、一人称「あたし」問題についても、ついに解説されます。「私を乗っ取りにやって来るあたし」(p.169)。「私」と「あたし」の境界線上にいる荒神様。複数の一人称を使い分けることで、「私」をこえた自我の在りようを表現しているらしいのですが、こうなると「文藝」に掲載された分も含めて注意深く再読して確認しないとまずいようです。

 前篇に続いて、あの女子も再乱入してきます。というか混じってきます。次回作『猫ストリート荒神』への乱入予告付き。乱入と言えば、過去の作品がいきなり飛び込んでくるのにも慣れていたつもりでしたが、まさか今になってカニバット「巣鴨こばと会」が出てきたのには仰天。ちなみに現実のネット上に思い当たる人物がいるのがまた嫌さ倍増。

 というわけで、笙野頼子さんの最新作を読むたびに衝撃を受けるのですが、今回はさすがに予想をこえていて、ちょっとおろおろして、うまく感想もまとまらず、どうにもすいません。とりあえず明日は『金毘羅』河出文庫版を読んで少し落ち着こうと思います。


タグ:笙野頼子
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0