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『パストラリア』(ジョージ・ソウンダース) [読書(小説・詩)]

 先日読んだ『変愛小説集2』(岸本佐知子編訳)に収録されていた『シュワルツさんのために』(作者名は「ジョージ・ソーンダーズ」と表記)がけっこう面白かったので、同じ作者の短篇集を読んでみました。単行本出版は2002年11月です。

 テーマパークの「原始人の生活」コーナーで、原始人に扮して生活するという仕事をしている主人公。同僚とはそりが合わず、常に失業の恐怖にさいなまれ、待遇はどんどん悪化。でも失業を恐れて何も言えない。

 そうこうしているうちに息子の病気は重くなってゆき、借金は積み重なってゆく。同僚の息子は麻薬中毒で母親は要介護者。顔なじみの売店員の息子は学校でいじめられている。誰もが家族を人質をとられたような状況で黙々と不条理な仕事を続けるしかない。

 やがて主人公は誰とも知れぬ“管理職”から、同僚の素行を密告してクビに追い込めば、自分は解雇を免れることが出来る(かも知れない)という示唆を受けるのだが・・・。(『パストラリア』)

 苦境の中でひたすら他人に小突き回されるだけの悲惨な人生。やたらリアルな職場の様子に、思わず苦々しい共感の笑いが込み上げてきます。大企業の不条理を鋭くえぐって笑わせる漫画『ディルバート』の毒を煮詰めたような作品で、じわじわと追い詰められてゆく主人公が、誰も観てないのにひたすら「原始人」のふりをしている姿が痛々しく、いったい文明って何? という気分になります。

 自己啓発セミナーに参加した主人公。人生を前向きにポジティブ思考で生きてゆくためには、邪魔な相手は断固として叩きのめし自分の人生から追い出すことです、それが相手のためにもなるのです、という授業に感銘を受け、さっそく同居している妹を追い出そうと決意して帰宅するのだが・・・。(『ウインキー』)

 自分と同じ、あるいは自分より恵まれない人々を苦境にたたき込むことで、ささやかな自尊心を満たそうとする卑屈な態度を「ポジティブ・シンキング」として肯定する風潮をからかった皮肉な作品。

 デブでみっともない中年男性、しかも年老いた母親と同居しているマザコン。女性に全く縁がない主人公が、若い美人にモテモテの自分を妄想してはひたすらハァハァ。でも実際に女性の知り合いが出来そうになると、相手の欠点ばかりが目について、腹立たしくなって逃げてしまう。そして次から次へと妄想ばかりが増長してゆき・・・。(『床屋の不幸』)

 人生で何一ついいことのなかった人の良いお婆さんが、死んだ後にゾンビとなって墓場から戻ってきて、何かが吹っ切れたらしく(そりゃそうだ)、人生を少しはマシなものにすべく家族に発破をかけまくる。(『シーオーク』)

 何をやってもダメなしょぼくれ主人公が、散歩の途中で、急流に流されて滝に向かっているカヌーにのった女の子を目撃。助けようと思うそばからどうせ駄目だ自分に人助けなんで出来るはずがない、いっそ見なかったことにして逃げようか、誰かがきっと何とかしてくれるだろう、などと責任放棄と気弱とネガティブ思考の滝に流されてゆく。(『滝』)

 みじめな、情けない話ばかりですが、しかし駄目な登場人物に作者が共感を寄せているという感じが強く、また状況の悲惨さや思考のネガティブさ自分勝手さが誇張されることから生ずるユーモアが印象的で、読んで不快にはなりません。むしろ「ああ、自分の人生だって結局は似たようなものだなあ」という感慨を覚えます。

 社会批判や風刺はもちろん含まれていますが、それを前面に出すような下策を巧妙に避ける手際はさすが。情けない惨めな展開の後、最後にちょっとした希望やささやかな勇気を見せる話が多いのもイイ感じです。

 というわけで、何というか、古くさい言い回しですが「ユーモアとペーソスあふれる」負け犬小説、といったところでしょうか。私はそれほどではありませんが、波長があう読者はどっぷりハマるかも。米国では「今、小説家志望の若い学生たちがこぞってそのスタイルを真似ようとする人気作家」だそうで、米国における「小説家志望の若い学生たち」が周囲からどんな扱いを受けているかよく分かるというものでしょう。


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