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『神国日本』(佐藤弘夫) [読書(教養)]

 シリーズ“笙野頼子を起点に読む!”第8回。

 笙野頼子さんの新刊『海底八幡宮』がいよいよ出版されるというので、泥縄式に予習しておこうとあがくシリーズ。今回は、日本における神観念の変遷について解説してくれる一冊。出版は2006年4月です。

 『海底八幡宮』の展開を支える軸の一つは、神々の対話です。この作品にしても、続く『人の道御三神といろはにブロガーズ』にしても、そこに登場する神々は私たち現代人が普通に思い浮かべるような「神」ではないわけで、おそらく古代から中世にかけての日本人の世界観や神観念を分かってないと理解できないのだろうな、という気がします。そういうわけで、ちょっと勉強してみました。

 さて、本書は何かと感情的なイデオロギー論争のタネになりがちな「日本は神の国、神国である」という思想が、どのようにして生まれ発展していったのかというテーマを通じて、古代から中世にかけての神観念の変遷について解説してくれる本です。

 全体は序章、終章を加えて全7章から構成されています。序章では、神国という言葉や概念について先入観を排して客観的に研究し理解することの重要性が示されます。第一章では、古代における神の観念と、それが中世に向けてどのように変わっていったかが書かれ、第二章では神仏習合というか本地垂迹の影響、というわけで、ここまでが基礎知識になります。

 続く第三章ではいよいよ神国思想の発生と展開について、従来の考えを刷新する見解が述べられます。ここが本書のポイントでしょう。

 以降は補足的な議論となり、第四章では中世において神国思想が盛んになった事情、第五章では天皇との関わりが論じられます。最終章では、明治政府がどのようにして神国思想を換骨奪胎していったのか、現代に生きる私たちは神国思想とどのように向き合うべきなのか、といった議論を経て、全体がまとめられます。

 本書の主張を私が理解した範囲で簡単にメモしてしまうと、こんな感じです。

 神国思想は「海外からの脅威(蒙古襲来)への対抗」として生じたわけではない。社会構造の変化や仏教的世界観の発展により神観念が変遷するのに合わせて常に変化しながら古代から中世へ(さらに近代から現代へと)続いてきた思想である。

 中世における神国思想は必ずしも自国礼賛の選民思想ではない。むしろ世界との共通基盤を前提にした上で日本の特殊性を述べたという側面が強く、そこに自国他国の比較優劣の意識は薄い。神国思想は神道の側に立って仏教と対立する考えではなく、それどころかまさに仏教的世界観から生まれてきた。そして中世においては、天皇の存在感は薄く、神国思想の中心ではなかった。

 論旨は明解で、文章が読みやすいこともあって、一読するだけですらすらと頭に入ってきます。内容はとても興味深く、何しろ好感が持てる一冊です。古代から中世にかけて、人々の意識の中で神がどのようなイメージでとらえられていたのか、それが社会変化に合わせてどのように変わっていったのか、その背後にどのようなロジックが働いていたのか、といったことをおぼろげながら理解することが出来たのは大きな収穫でした。


タグ:笙野頼子
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