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『プレカリアートの憂鬱』(雨宮処凛) [読書(教養)]

 昨今の雇用問題、若年貧困問題を扱った本は、それこそ書店に特設コーナーが出来るくらい量産されているわけですが、最初に読むのなら、やはり雨宮さんの本を強くお勧めしたいと思います。現場で闘っているだけあって、徹底的に当事者にこだわる作家だからです。

 本書は、ニート、ひきこもり、フリーター、フリーランス、派遣社員、シングルマザー、新聞奨学生、様々な「プレカリアート」(不安定な生活を強いられる人々)を丹念に取材し、その実態と彼らの本心を明らかにする労作。老舗文芸誌「群像」で連載されたことでも話題になりました。

 一読して、マスコミ用語のイメージに惑わされて現場の状況を理解してなかった、そしてその渦中にいる当事者たちが何を考えどう生きているのかを想像してなかった自分に気づき、愕然としました。ショックです。

 「格差社会の被害者」でも「辛抱が足りない甘えた若者」でもなく、リアルな“死”を見つめながら必死に今日を生きのびようとあがく人間の姿。そこを出発点にしない限り、何も始まらないのではないでしょうか。

 本書が凄いのは、「いや、君の場合はさすがに自己責任でしょう」と言いたくなる若者や、どうにも間の抜けたボンクラ青年、バレンタインデー断固粉砕を叫ぶ「革命的非モテ同盟」の猛者など、深刻な問題提起の際にはついついスルーしちゃいたくなりそうな人々もきちんと取り上げて、先入観なしに(ただユーモアたっぷりに)レポートしている点。プレカリアートの姿を差別なしにありのまま伝える、という強い決意を感じます。

 個人的には、プレカリアート運動について当事者の立場から描いてみせた第2章「プレカリアートの反撃」が非常に印象的で、これを読めただけでも本書を購入したかいがありました。

 悲惨で義憤に駆られるレポートが多いのに、意外にも読後感は明るく、開き直ったような勇気がわいてくるところがまた素晴らしい。

「こうして取材させて頂いた方々が「一人も死んでいない」ということは、私にとって本当に嬉しいことだ。(中略)私にとってプレカリアート運動とは、そんな多くの死者との運動でもある。彼ら、彼女らを生きさせなかった社会、それに対する異議申し立てであり、そして当時、何もできなかった自分の罪悪感をどこかでそうやって埋めようとしているのかも知れない。ただ、みんなが生きている。そのことがやはり、嬉しい」(「あとがき」より)

 ほぼ誰もがプレカリアート、あるいは潜在的なプレカリアートである現在、新自由主義、構造改革、雇用流動化、格差社会、グローバリゼーション、そんな抽象的で「大きな」言葉に振り回される前に、まずは本書を読んで、その怒りと絶望、そして生きる力と希望を、当事者意識をもってありありと想像してみることが何よりも大切なんじゃないか、そう思うのです。

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