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『人間の境界はどこにあるのだろう?』(フェリペ・フェルナンデス・アルメスト) [読書(サイエンス)]

 人間とは何か。人間とそうでないものを峻別する本質的な差異はどこにあるのか。古くからあるこの問題について、最新の知見を元に再検討する本です。

 まず、序章において、この問題が現実的な重要性を持っていることが示されます。例えば、妊娠中絶が合法であるということは、胎児は人間ではない(人権がない)と見なしていることになります。これが、自明なことでも、瑣末な問題でもないのは明らかでしょう。

 遺伝情報が人類と数パーセントしか違わないのに、チンパンジーを「人間ではない」として人権を認めない私たちの社会は、かつて黒人に対して同じ態度をとった人々の過ちを繰り返しているのではないでしょうか。

 遺伝子工学の発達により人為的に遺伝情報を改変できるようになったとき、どこまで原種から離れた者まで「人間」と認めればよいのでしょう。人工知能が発達して私たちと同じ精神を持つようになったら、それを「人間」と認めて人権を与えてよいのでしょうか。それをコピーするとき、人権もコピーされるのでしょうか。

 これらは、哲学的な議論としても、法理論の観点からも、そしてSFのテーマとしても、興味深い問題です。いずれ妊娠中絶と同じように、大統領選挙の争点となる日がくるかも知れません。

 さて、本書の第1章におけるテーマは、動物と人間の違いです。かつて人間を動物から区別するとされていた能力(道具、言語、火の使用、道徳心など)が、実は類人猿を初めとする動物の多くが持っているものであり、本質的な差異にはならないことが、豊富な実例と共に論じられます。

 第2章、第3章は、人間をその外見(形態)によって定義しようとした歴史、文化(行動)によって定義しようとした歴史が語られます。その結果は、根深い人種差別を生み出すばかりだったことが分かります。

 第4章では、絶滅したホミニッドに焦点が当てられます。我々の祖先が動物であったことは間違いないわけですが、ではどこから人間になったのか。ネアンデルタール人は人間だったのか。

 第5章は将来に生ずるであろう問題(特に遺伝子工学の発達により生ずる問題)を扱ってから、総括が行なわれます。

 特に結論を出すのが目的ではなく、この問題について包括的な論点を提示することを狙った本です。ですからある程度はやむを得ないのでしょうが、色々な議論がとり散らかっていてまとまりが悪いのが難点です。

 また訳者である長谷川先生が「あとがき」で述べておられるように、西洋哲学的な「認識的、感情的に完全な二分法」の前提(あるものは、人間であるか、人間でないか、どちらかである。人間でないものは、人権や“人間としての尊厳”は一切持っていない)の限界、そしてキリスト教ベースの人間観に対する違和感、なども強く感じます。

 にも関わらず、「人間とは何なのか」という問題についてここまで掘り下げて“深刻に”検討する本は少ないと思われるので、このテーマに興味がある方なら読んで損はないでしょう。

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