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『幽界森娘異聞』(笙野頼子) [読書(小説・詩)]

 「森の長い悪文、九〇年代になるまで本が出なかった私。でも森も、私も、本人が壊れているのじゃなかった。ただ壊れない目で見たらはみ出してた世界を、正しい日本語でせいいっぱい整えて書いた結果なのだ。それはゲテモノではない。ジャンクでもない。クズ真珠もバロック連に化けるって事も含め、壊れてるのは----当たり前の日本語も読めないそちら様の方」(Kindle版No.2573)

 シリーズ“笙野頼子を読む!”第79回。

 森茉莉を取り上げた代表作の電子書籍版を、Kindle Paperwhiteで読みました。単行本(講談社)出版は2001年07月、文庫版出版は2006年12月、Kindle版配信は2013年10月です。

 森茉莉をモデルとした「森娘」、その人生と文学に寄り添うような長篇。しみじみと胸を打つ文体、静かで叙情的な文体、狂騒的で跳ねまわる文体、美しく、激しく、祈るように、啖呵を切るように、ときに割り込んでくる様々な「声」も含めて、多様な文体を縦横無尽に組み合わせる独特のスタイルを確立した代表作の一つです。

 「取れるはずの休暇もなかなか来ず、筋肉痛の片足を少しだけ強張らせて、その日の私は魚屋からコンビニに移動していた。すると、目の前の埃っぽく白い車道を故人が横切った。 それは痩せた清潔な感じの「おさない」老婦人だった」(Kindle版No.27)

 語り手が幻のように目撃した故人。それは森茉莉をほうふつとさせる、しかし決して本人ではない、活字のなかにだけあらわれる妖怪のような「森娘」でした。

 「その名を正確に書ける人の五分の一までは全集を持ってる。そして森茉莉を読んだ事のない人はその名前だけを知っていてもそのキャラクターにはまったく興味がないんだと」(Kindle版No.558)

 「原稿用紙に向かった時だけ世界一偉くなる、「偉きい」自分を、現実世界では発揮出来ず、変な黒猫飼ってる掃除しない森さんとか一部読者が熱愛する異色作家という、極小なレベルに落ちる辛い試練に耐えた」(Kindle版No.686)

 「森娘、それは生きても死んでも少数から愛される作家、死後十二年たっても一昨年からは、読者のホームページまで新たに出来てる程。そこのアクセス件数は二年未満なのにもう二万越えた。(中略)今後も永遠に読者から愛される道を歩いて行くはず。が、その「文学史的位置」は、というとどうなっているか。私の青春の好きすぎる程だった純文学境界例異色作家」(Kindle版No.704、719)

 「そう、作家作家。森娘って本当は作家だったの。ボヤ出したり肉汁(スウプ)拵えたり猫にフランス語で話し掛けたり、恋愛空想三昧で朝からチョコレエト剥いてるというその「主要部分」の他に、生活は執筆で立てていたのですねえ」(Kindle版No.1040)

 「生活能力のない彼女、いい気で傲慢な彼女、そんな視点は極力排したいものだ。(中略)「正論」を言う前に、彼女を好きかどうか、縁があるかどうか。だって、どんなに沢山の資料を読み込んだって、縁のない死者と語れるはずがない」(Kindle版No.68)

 「幽霊も妖怪もそれを「見た」人の気持ちが引き寄せるものなのだから、つまり「出る」理由が私の中に発生している、だから「出た」という事なのである。そう、ポイントになるのは私の、気持ち」(Kindle版No.208)

 語り手に引き寄せられたようにちらちらと姿をあらわす森娘。やがて語り手は彼女に自分の人生を重ねるようにして、語り始めます。森娘のことを、その作品のことを。

 「外から見た自分の姿というものにはいつも戦いていて、「歓び」と「怒り」の間を点滅しながら生きて、そのどちらの時でも外に向かって全身の光が放たれている。また、その点滅の度に増殖する虹のように、彼女の瞳に映る「記憶」と空想は繰り返し言葉になりあふれて出る」(Kindle版No.97)

 「独特の文章。独特の「リアリティ」。五感が感じたものやそこから伸ばした触手がからめとった、「空想」。思い込み多くとも自分の記憶に、絶対の、極私的信頼を置いて紡ぐ「気紛れ書き」」(Kindle版No.917)

 「映画の中の陶酔を握りしめながらも、活字に写したそれが「嘘」だという事を「私小説作家」の目はどこかで知っている。馬鹿げた少女趣味と冷笑しようとする日常の「理性」を、今までは観念の世界にもつれ込むためにしか使われなかったような、うねる「悪文」が踏みにじっていく」(Kindle版No.1633)

 「奇麗なリズムで華やかに文字はなだれ落ちて来る。残酷な感覚に忠実な句読点が、それを受ける。巨大な雪の結晶のようにも思える、選ばれた漢字の横の、文字の理性を攪乱するカタカナのルビを私は音読する」(Kindle版No.953)

 「美しい単語は時に、その音だけがひとつの場を占領する程重要なので。そういう美しい言葉をバロック連を組むように、使い込んだ竹のピンセットで、正確な凹凸のあるビロードの連台に連ねるようにして、お茉莉は、書きとめて行った」(Kindle版No.959)

 作品を一つ一つ取り上げて、その文章を味わい、その描写を、文章を、エピソードを、愛を込めて、ときに込めすぎて暴走モードになりながら、熱く語ります。変幻自在な文体、割り込んでくる様々な声、心地よい文章のリズム。素晴らしい。

 「もしも「贅沢貧乏」を読んでなかったら、たとえ文章それ自体がどんなに良さそうでも「おっとこりゃいかん」でパスしたはずの作家。でも、はまったのは「贅沢貧乏」から」(Kindle版No.295)

 「私はいつしか、森娘のなんだかなな部分を許ししまいにそれに慣れた。というより「来るな、今から二行だけちっと恥ずかしい森が来るな」と思うと、ワインで洗ったオレンジ色のチーズのようなその臭いを、えも言われぬ味と一緒にかぷっと飲んだ」(Kindle版No.310)

 「その空気は読者の血肉になり、読者は永遠に森化されてしまう。ひとりでいる事が平気になる。キャベツをガラス瓶を、ボロアパートを美しいと思うようになる。 ああ、なんで伝染するんだろう森娘の生活は」(Kindle版No.1304)

 「そうそうそう。----あのね、私もなのここ、ここ、好き、ね、いいでしょ、奥野健男氏は追悼文で耽美派の美少年描写を取り上げていた。でも実は私もここ、女だからまず美少年に関心をって事にはならないのだ----ちょっとちょっと、でも「そもそもあんたのやってる事創作でしょう」、「その上に批評入ってるお仕事ですぞこれは」、それが先人の解説を読んで喜んでいて一体どうするんでしょう。(中略)これでは独立した作品というよりファンの森話になってしまうだよ」(Kindle版No.1547、1552)

 オヤジくさい小説家、無理解な評論家、森娘を「やおいの元祖」とかいって商品化した通俗作家など、痛烈に批判、というか罵倒。挑発したり、喧嘩売ったり、啖呵切ったり。かと思うとイヤミの数々をねちこく塗り重ねたり。

 引用は避けておきますが、まあ「田吾作の乱暴狼藉」(Kindle版No.2007)とか、「へっへー、気に入らぬか。殴れよ、おら、」(Kindle版No.1216)とか。怒ってます。全国の森茉莉ファンが本書を読んで喝采を叫び、溜飲を下げたそうですが、まあ、そりゃそうでしょう。

 「ああ立派な事を言う時は急に文豪娘モードになりっ本当に立派になる作家だったっ。やってる事は目茶苦茶でも言ってる事は立派! でも言うのが商売だからそれも可ってことで。うーん、しかし「ドッキリチャンネル」の時なんかは言ってる事もやってる事も全部目茶苦茶なのもあるんだがなあ。まあ、でも、それも全部可。森娘だから。私は味方する。たとえその外見等を人が何と言おうと・・・・・・」(Kindle版No.2212)

 一方、『愛別外猫雑記』に詳しく書かれることになる猫保護の件が並行するように書かれ、やがて保護した猫たちを守るために千葉のS倉に家を買って引っ越すことになった、という顛末が語られます。

 最後には猫事情が森娘とつながってゆき、ついに本作の発端が明かされることに。

 「それに気付いた時から森娘偉い、って私は思った。このタマネギ後入れプラス牛肉と人参だけのスウプというふたつのフレーズから結び付けて、私はその昔異聞をもうでっち上げる事にしたの。キーワードは猫の飯」(Kindle版No.2349)

 「猫というものが元々嫌いで、三十過ぎまで猫と知り合った事のなかった私が、三十六歳にしてどうしようもない猫運命に巻き込まれた直後、好きな森娘の猫扱いにまでふっと目が行って、それで判った事だ。森料理をそんな風に見る事が出来て、森の中の「愛」を、私は一段また、深く感じたのだった」(Kindle版No.2358)

 ギドウ、モイラ、ルウルウ。それが保護猫たちにつけた名前。

 こうして、森娘、猫、自身の事情が、重ね合うように、響き合うように語られ、そしてS倉の「千葉というただ一点でだけ森娘とつながったでも別荘でもなんでもない私の本宅」(Kindle版No.2917)にて、静かに幕が下ろされるのです。

 なお、付録として『幽界森娘異聞後日譚 神様のくれる鮨』と『あとがき』が付いており、保護猫たちのその後のこと等が書かれています。

 というわけで、『S倉迷妄通信』、『水晶内制度』、『片付けない作家と西の天狗』、『金毘羅』といった21世紀の大傑作が立て続けに生み出される直前、20世紀最後の年に連載された、作家としての自身を振り返り、足場を確かめ、すぐ後にひかえた大ジャンプに備えているような印象を受ける長篇です。その融通無碍な語り、森茉莉作品の深い理解、猫事情、いずれも感動的。森茉莉の愛読者の方々にも是非読んでほしい作品です。


タグ:笙野頼子
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