『ぼくの短歌ノート』(穂村弘) [読書(教養)]
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かなしきはスタートレック 三百年のちにもハゲは解決されず
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「扉のむかうに人がゐるかもしれません」深夜のビルの貼紙を読む
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UFOが現れたとき専務だけ「友達だよ」と右手を振った
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わたくしはけふも会社へまゐります一匹たりとも猫は踏まずに
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いつの日のいづれの群れにも常にゐし一羽の鳩よ あなた、でしたか
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字余り、リフレイン、日付明記、漢字多用。短歌に使われている技法は具体的にどのような効果を出しているのか。身も蓋もない短歌、平仮名だけで書かれた短歌、間違いのある短歌、ハイテンションな短歌など、近現代の名作から中学生の投稿作品まで、歌人が気になる作品を集めて分析してみる一冊。単行本(講談社)出版は2015年6月です。
テーマごとに作品をいくつか並べて寸評を加えるという形は『短歌ください』シリーズにも似ていますが、本書のキモは「この作品の味わいを生み出している技法は何か」という点を詳しく分析してゆくこと。
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短歌という定型詩が「何故五七五七七なのか」はわからない。これはとても大きな問題で、歴史的な経緯はともかく、本質的な理由となると、少なくとも私には見当がつかない。
だが、そのかたちを前提として個々の短歌をみたとき、破調の(けれど自由律ではない)作品について、それが「何故五七五七七でないのか」はわかることが多い。
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単行本p.41
ときには、わざわざその技法を外した「改作」を作ってオリジナルと比較してみるという「実験」まで。
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草つぱらに宮殿のごときが出現しそれがなにかといへばトイレ 〈原作〉
草はらに城のごときが出現しそれがなにかとおもへばトイレ 〈定型化の改作例〉
内容的には大差ないにも拘わらず、一読して原作の方に奇妙な力が宿っていることがわかる。改作例は「謎の建物=トイレ」出現についての単なる報告にみえるが、原作にはそれ以上の何かがあるように感じるのだ。言葉のどんな働きが、この印象の違いを生み出しているのだろう。
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単行本p.43
こんな具合に分析を進めてゆき、「字余り」の技法がどのように使われるのかをロジカルに教えてくれます。
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銀杏が傘にぼとぼと降つてきて夜道なり夜道なりどこまでも夜道 〈原作〉
銀杏が傘にぼとぼと降つてきて夜道なりけりどこまでも夜道 〈定型化の改作例〉
この単純な可能性が見落される筈がない。ということは、やはり本作の字余りも意図的なのだ。作者はここでも一首のもつ意味とリズムの連動を図っている。おそらくは、「夜道なり夜道なり」のリフレインによって、「どこまでも」続く「夜道」の長さを、詩的に永遠化するための手続きということなのだろう。
散文ならこれは単なる二度の繰り返しに過ぎないが、短歌には定型がある。ゆえに、「夜道なり夜道なり」の禁忌を犯した逸脱感が、読み手の意識のなかで木霊となって永遠に響き続けるのだ。
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単行本p.46
こんな感じで、まったくの素人でも納得できるように分かりやすく解説してくれます。他にも、例えば「サラダ記念日」はなぜ七月六日なのか、という分析。
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「七月六日は」の字余りにも奇妙な効果が隠されているのだ。それは「字余りになるにも拘わらず、敢えてこう詠まれているからには本当にこうだったにちがいない」という読者側の錯覚を誘うこと。無論、これは定型が生み出す一種の倒錯であり、先の自歌自注をみてしまえば、そのような事実はないことがわかるのだが、しかし、なんでもない一日が記念日になる、という基本コンセプトに対する、この倒錯的リアリティの有効性は残ると思う。
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単行本p.73
表記の仕掛けによって生み出される効果についての分析はこうです。
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なぐるおやけるおとこらのいないことひとりぼっちでねむるしあわせ
つきの
五七五七七で区切って読めば、「なぐるおや/けるおとこらの/いないこと/ひとりぼっちで/ねむるしあわせ」となって誤読の余地はない。だが、平仮名の文字の連なりとしてみるとき、本来は存在しない筈の「やけるおと」や「こら」なども浮上してくる。怒られて心の焼ける音が意識下に響く。
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単行本p.157
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原子爆彈官許製造工場主母堂推薦附避姙藥
塚本邦雄
(中略)最後まで読むと、読者は思いがけないところに運ばれてしまう。それは「母堂」自身がこの「避姙藥」を使っていれば「工場主」が生まれることもなく「原子爆彈」は「製造」されなかった、というアイロニーの世界だ。人類全体への呪詛とも被るような重いテーマを、重い漢字の羅列によって描きながら、奇妙にコミカルな味わいを示した珍しい歌である。「官許」という表現の痛烈さも見逃せない。
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単行本p.162
というわけで、様々なテーマに沿って並べられた短歌に、まず一読して感銘を受け、続いて分析を呼んで納得し、そこから短歌の読み方や作り方のヒントを学べる、というお得な一冊。
単に短歌アンソロジーとして収録作品を眺めるだけでも素敵です。
「身も蓋もない歌」より
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かなしきはスタートレック 三百年のちにもハゲは解決されず
松木 秀
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「貼紙や看板の歌」より
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「扉のむかうに人がゐるかもしれません」深夜のビルの貼紙を読む
清水良朗
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「軽井沢に跳梁跋扈する悪質な猿の特定が急がれます」とぞ
花山多佳子
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「会社の人の歌」より
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UFOが現れたとき専務だけ「友達だよ」と右手を振った
須田 覚
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わたくしはけふも会社へまゐります一匹たりとも猫は踏まずに
本多真弓
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「唐突な読点」より
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三越のライオンに手を触れるひとりふたりさんにん、何の力だ
荻原裕幸
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いつの日のいづれの群れにも常にゐし一羽の鳩よ あなた、でしたか
光森裕樹
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「間違いのある歌 その1」より
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鳩サブレは絶対くちびるから食べる。くちびるじゃなくってくちばしか
佐藤友美
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「ハイテンションな歌 現代短歌編」より
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畳のへりがみな起き上がり賛美歌を高らかにうたふ窓きよき日よ
水原紫苑
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