SSブログ

『けもの王』(西元直子) [読書(小説・詩)]



--------
水を飲んだ。ひとりで飲んだ。そこは校舎の陰になっていて、ひんやりしていて、ひなたから走り込んできたわたしはきゅうに水の底にもぐったみたいで、わたしの白いブラウスもソックスもうす紫色になった。蛇口をひねってどんどん水をだした。手のひらで水を受けて息がくるしくなるまでつづけて飲んだ。つづけて飲んでいるうちにあまく冷たく透きとおった物体はいつのまにかわたしになってゆく。顎をぬらしたまま顔をあげる。つぎはなにをしようか。昼休みはまだはじまったばかりで、それは頭のうえにある青いがらんどうとひとしく永遠のものだった。
--------
『ことり』より
単行本p.11


 小説のように、随筆のように、いつの間にかことばが自分の記憶に刷り込まれてゆく、忘れていた若いころの記憶を取り戻すように。ふいに胸に迫ってくる情景をとらえた若々しい詩集。単行本(書肆山田)出版は2002年4月です。


--------
夏の花壇。タチアオイとダリヤとグラジオラスが丈高くのび咲き乱れている。裏庭の鬱蒼と茂った木々のなかを歩いた。正午の光のしたのつやつやと輝く木々の葉と赤紫色の地面。ふりそそぐような蝉の声。
--------
『ことり』より
単行本p.37


 さらりと書かれた情景描写が、驚くほど印象的です。まるで自分がかつて体験した記憶であるかのような生々しさ、若々しさ。小説とも随筆とも似ているようで、やはりどこか違う言葉を駆使して、読者を情景のなかに引き込んでゆきます。


--------
しゃがんで金網に額をつけしばらくちゃぼを見ている。ちゃぼは地味だ。もしも鳥になれるんだったらあたしはちゃぼは嫌だなと思いながら見ている。真んなかには黄色や緑や水色のセキセイインコが何十羽かいて、小屋の金網に爪でつかまりばたばたと羽ばたいていたり首を傾げたり糞をしたりしている。小さな嘴のなかにさらに小さな舌が見える。精巧にできている。左端の仕切りのなかには嘴の大きな鳥、名前はわからない。一羽だけいる。たいへん年をとっている。目と嘴のまわりは気味悪く禿げてしまいからだはぼろの固まりのようだ。石のように動かない。それでもなぜだろう。この鳥は立派でわたしより偉いのだった。偉い鳥はわたしを圧倒し、わたしは息をひそめて鳥を見つめる。
--------
『ことり』より
単行本p.33


--------
お昼休み。会社のそばのほかほか亭におべんとうを買いに出たとき、道路をはさんだ向かい側のビルの前で急に小さな竜巻きが起こった。竜巻きはすばらしい速さで葉っぱや紙屑やポリ袋を巻きこんで移動していった。すっかり見とれてしまった。ふいに竜巻きはこちら側へ向きを変え、道路を渡り、横断歩道の前で皆といっしょに信号待ちをしているわたしのところへやってきた。皆逃げたが、つぎの瞬間わたしは竜巻きのなかにいた。ポリ袋が膝に張りつきスカートがふくらみ髪が乱され足もとで葉っぱと紙屑がくるくる回る。砂や小石が数限りなく頬や手足に飛んでくる。めくれたスカートから下穿きを見せてわたしはこの世の中でほんとうに独りぼっちだった。
--------
『竜巻き』より(全文引用)
単行本p.74、75


 情景がふいに胸に迫ってくる感じが素晴らしく、同じ一節を何度も読み返してしまいます。そのたびに若い自分がそこにいて、でも読み終わると歳とった自分がここにいるという不思議。そして、瞬間と永遠だけが切実で、その間はあっさり飛ばしてしまう、その若さ。かつてわたしにもあった、その若さ。


--------
わたしは馬鹿だからいつも
すぐに忘れてしまうけれどわたしは
宇宙がはじまってから終わるくらいの
ながいあいだを生きている
たくさん泣きました、なっとくがいかず
なっとくできずにたくさんたくさん
泣きましたね
あまり泣いたので
どれほどのものがこわれたか
どれほどのことを失ったか
たくさん美しいものを
見たような気がするが
たくさん美しいことが
あったような気がするが
気がすると言ってしまうのはわたしが
すべてを不確かにしか記憶しないからです
次から次へとすべてを
忘れてしまうからです。
--------
単行本p.92、93


--------
これもまた永遠につづくものではない、わたしはすべてを忘れ果てるだろう、くりかえしくりかえしわたしは消える、かつてここにいたこともここであったこともこの意味を問うことも意味がないのだとしたら、いったいぜんたいなんのためになんのためになんのためにと、はげしく思う。
--------
単行本p.107



タグ:西元直子
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0