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『美しさが僕をさげすむ』(ウン・ヒギョン、呉永雅:翻訳) [読書(小説・詩)]

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実際に世界を導いているのは理由もなく起こる事柄じゃないんですか? すべてのことが予測できる範囲内で起こるなんて、人生とも呼べないんじゃありません? わたしたちが計画を立てている間に起こった偶然こそが、その人の人生だというジョン・レノンの言葉を、あなたは聞いたことがあるかどうか知りませんけど。
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単行本p.28


 理由もなく起こる事柄によって決定される人生。そこには、定められた運命も、自分でコントロールできる余地も、どちらもないのではなかろうか。それともあるのだろうか。韓国現代文学を代表する作家による短篇集。単行本(クオン)出版は2013年12月です。


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 ウン・ヒギョンはデビューから一貫して、鋭く、繊細な観察力で現代人の心を凝視しつづけている作家である。その視線はどこまでもシニカルで、「冷笑的」と評されることも多い。ユーモアというよりもアイロニーを用いた、突き放したようなドライな感性は、従来の韓国文学には見られなかった性格の作品を生み出すことに成功した。
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単行本p.298


 荷物の誤配送から生じた男女の出会い。父親との再会に向けてダイエットに励む青年。ドラマチックな妄想癖のある少女が陥った危機的状況。忘れたはずの過去から不意にやってきた一通の電子メール。

 いかにも陳腐で安っぽいドラマが始まりそうなシチュエーションから紡ぎだされるのは、人生の不条理さ、そして不可解さ。読者の予想を巧みにかわしつつ、現代を生きる私たちの不安とある種の諦念を見事にえぐりだしてみせる短篇6篇を収録した短篇集です。

[収録作品]

『疑いのススメ』
『孤独の発見』
『美しさが僕をさげすむ』
『天気予報』
『地図中毒』
『ユーリィ・ガガーリンの蒼い星』


『疑いのススメ』
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人の心を動かすのは、客観的な情報ではありません。説明できない感情とフィーリングなんです。人間を、マンションが密集したエリアの防犯カメラやデータなんかで把握できる存在だと思うのですか? 密室にこもって、インターネットでこの世のすべてを検索できるとしたって、そこで生きている実感は絶対に得られない。
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単行本p.39

 荷物の誤配送で偶然に出合った男に、女は好意を抱いた。待ち合わせの場所に現れた「彼の双子の弟」と自称する男は、出会いを含めた様々な「偶然」はすべて兄の策略であり、あなたは騙されているのだと告げる。本当だろうか。何を信じるべきだろうか。というより、私たちの人生を動かしている偶然と作為の間に、そもそも真実などあるのだろうか。


『孤独の発見』
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あたしは、今あなたにしているみたいに、彼の前に座って話を聞いた。あたしの背が伸びないのは、あたしがいくつかに分かれて大きくなったからだと話したり。この世には、別の自分がたくさんいるから寂しくない、だから寂しさっていうのは、もしかしたら別の自分に対する恋しさのようなものなんだって。
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単行本p.88

 受験に失敗し、職にもつけないままぶらぶらしている孤独で内向的な男が出会った、謎めいた女。彼女は多くの分身に分かれた人生を送っている、だからそのぶん背が低いのだという。なぜ自分はこの自分であって他の自分ではないのか。あるいは、自分の記憶は他の自分の記憶ではないのか。アイデンティティの揺らぎが男をとらえる。


『美しさが僕をさげすむ』
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僕がイタリアンレストランで、それまで僕が知っていたのとは異なる世界を見たように、父もやはり今まで知らなかった息子の姿を見なければならないはずだった。しかし、父は太った子どもの記憶だけを抱いて逝ってしまった。ヴィーナスを見ながら僕はいつも考えていた。この世のすべての美しいものたちが僕をさげすむと。
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単行本p.154

 自分と母を棄てた父親が入院、もう長くない、という知らせを受けた肥満青年。父が亡くなる前に痩せた姿で再会しようと、過酷な低炭水化物ダイエットに挑戦する。カロリー過剰摂取を促す人間の本能との戦い。だが結局、再会を果たすことなく父親は亡くなり、青年は葬儀に出席するのだが……。


『天気予報』
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いつからかBは、この世には目に見えないたくさんの境界線が至るところにあると思い始めた。何気なく通り過ぎたと思ったら、まっ逆さまにブラックホールに落ちて、別の世界に行き着く境界線のことだ。(中略)いつどこでその境界線に出くわすかは、誰にもわからない。たとえ出くわしたとしても、普通の人なら気が付かないのだから、Bが思うに、人生というのは実に危険で、なおかつドラマチックなものだった。
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単行本p.161

 あるとき本当の親(大金持ちだったり異国の王様だったり)が私の前に現れる、通りすがりの映画監督が私の天才を見抜く、異世界からのメッセージに私だけが気付く……。自分の平凡さにうんざりしていた少女は、様々な妄想に耽る癖があった。そんな彼女に「親の負債を催促しに借金取りが学校にまでやってくる」という極めて現実的な危機が訪れる。妄想力、想像力、それらは人生を変えることが出来るのだろうか。そして彼女を待っていた境界線とは。


『地図中毒』
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 僕の場合、突出した行動をとらないことには生まれ持っての才能があった。「我々は人生で起こる出来事をただ受け入れるしかない。それ以外にできることは多くないのだから」。Bによれば、それこそが九番タイプの生き方だそうだ。(中略)現代のような細分化された社会では、どうせ我々は細々した取るに足らない部分を担当するだけだ。人類の未来なんてものを心配する、哲学的あるいは良心的な職業はほかに担当者がいる。
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単行本p.208

 消極的なインドア派である僕は、友人からの誘いでカナダまで行ってロッキー山脈に登ることになった。友人、そして地図中毒らしき変人先輩と、三人で山に登るうちに、ますます自然嫌いになってゆく僕。だが、山中で野生の熊と遭遇した体験が、僕を少しだけ違う人間にする。


『ユーリィ・ガガーリンの蒼い星』
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今日の私は、一瞬、時間を横切る通路に立っているのかもしれない。ユーリィ・ガガーリンの世界では、折り紙でもするみたいに時間を折りたたむことが可能なのだろうか。(中略)私は今、この世の時間とも断絶している気がする。これまでの人生のすべての日々とも断絶している。今夜の時間は、私の人生のどこにも属さない例外的な未知の時間だ。
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単行本p.290

 「今日は約束の日です。リバー・セーヌで八時に待っています。ウンスク」
 出版社の社長として成功した私は、自分を現実的で醒めた人間だと思っていた。しかし、遠い過去から届いたような一通の電子メールに、強く心をかき乱されてしまう。
 ウンスク? 約束の日? リバー・セーヌ?
 次第に蘇ってくる青春の日々。時を越えて過去とつながる心。収録作品中、最もストレートで感傷的な短篇。


『著者あとがき』
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 一編の小説を書き終えると、これでまた一つ韓国文学に貢献できたという思いに至るべきなのだろうが、私の場合は、やっと一つの孤独に打ち勝つことができた、という思いがする。さらに、つかの間とはいえ楽観的になりもするのだが、その瞬間に浮かべる安堵の微笑みこそが、小説を書く体力になってくれているような気がする。
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単行本p.295


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